初めて取材したワールドカップは2006年ドイツ大会でした。このとき駆け出しだった僕は取材ADを持っておらず、チケット取材と呼ばれる手法で現地へ飛びました。AD保持者として取材したのは2010年の南アフリカ大会が最初で、それ以来、2014年ブラジル、2018年ロシア、そして、2022年カタールと現地でワールドカップを体験することができました。
これまでのワールドカップと大きく違うところは決勝を待たずして、日本代表が敗退した時点で帰国したことです。理由はいくつかありました。
まず日本でオフィシャルフォトグラファーを務めさせて頂いているチームの大切な仕事があったこと。歴史上もっともコンパクトなカタール大会では、フォトグラファーが集中しすぎて思うような取材ができない可能性があったこと。そして、僕自身がワールドカップを取材することへの情熱を失いかけていたこと。今、思えば、1つめと2つめの理由は言い訳でしかなく、3つめが最大の理由だったように思います。
結果として、リオネル・メッシが伝説となったフランスとの決勝戦をテレビで観戦しながら「僕はなんで現地にいなかったのかな、なんで帰ってきちゃったんだろうな」と後悔している自分がいました。
カタールで生活をともにしたフォトグラファー仲間3人は最後まで現地で取材を重ねました。残念ながら3人のうち2人は決勝の舞台に入ることはできませんでした。そのうちの一人は、プレスセンターで人目もはばからず涙を流したそうです。もう一人は大会前から今回のワールドカップが最初で最後と公言していたのですが、決勝を撮影できなかった悔しさを滲ませたメッセージを送ってきました。
僕は彼にこう返信しました
「ワールドカップの悔しさはワールドカップでしか返せないよ」
仲間へ送った言葉でしたが、自分に言い聞かせていたのは間違いありません。
大会期間中に、世界中のジャーナリストやフォトグラファーが所属する国際スポーツプレス協会(AIPS)がワールドカップの取材歴が8大会以上の取材者を表彰するセレモニーが行われました。プレゼンターはかつて「怪物」と呼ばれたブラジルのロナウド氏など錚々たる顔ぶれだったと言います。
そのセレモニーでは100名弱の取材者が表彰されたのですが、そこには日本人のフォトグラファーが7名いました。ジャーナリストを合わせれば10名を超える人数になります。彼らはフリーランスとして、日本でサッカーが不遇だった時から現地での取材に励み、ときには「お前らの国は出ていないのになんでいるんだ?」と嫌味を言われることもあったそうです。
そんな先輩方の長年の活動がFIFAにも認められ、日本は他国よりも多くの取材ADを与えられ、また多くのフリーランスが現地での取材を許されているのです。その恩恵を受けているにも関わらず、様々な事情があるにせよワールドカップへの情熱が消えかけていた自分が情けなくなりました。
ワールドカップの魔力って凄いなと改めて思い知らされた大会でした。
日本サッカーを支え続けてきた先輩方とノリの良い通りがかりの男をパシャリ
LOVE Football 終わり