人が山を登る理由はさまざまあっていい!
「そこに山があるから」
1924年のヒマラヤ遠征で帰らぬ人となったかの有名なイギリスの登山家、ジョージ・マロニーの名言として伝えられるが、どうやら「そこにエベレストがあるから」が正確な翻訳らしい。
「最近、運動不足だから」
これだって立派な理由だろう。日本の無名中年男性グループの動機は一点の曇りもなく明確だった。ましてや日本語、翻訳の心配もない。
山登りを思いついたのは二宮寿朗編集長。コロナ禍で体がなまりがちな今日この頃、山登りとは悪くないアイデアだ。これに編集者のわたくし渋谷、近藤俊哉カメラマン、さらには大德義幸さん(ボクシングの山中慎介さん、寺地拳四朗、フェンシングの三宅諒のマネジャーとしてお馴染み)が加わり、都心からわずか1時間(私の家からは30分強!)の高尾山に向かうことが決まったのである。
高尾山登山の玄関口、京王線高尾山口駅
「ねえ、高尾山は山登りって言わないらしいよ」
事前のやりとりでそう口にしたのは二宮編集長だった。確かに高尾山の標高は599メートルだから決して高くはなく、東京で小学生時代を過ごしたなら遠足で登ったことのある人も多いだろう。つまりは子ども向けのイージーな山。私もチノパンにスニーカーにダウンジャケットという普段と何ら変わらぬ服装で京王線の高尾山口駅に降り立った。
駅前で待ち合わせをしている間、それとなく訪れた登山客たちの格好をチェックしてみる。意外にもトレッキングシューズや登山メーカーのものらしいウエアといった“山歩き仕様”の人がけっこう目につくではないか。
一方で、小さな子ども連れや抱っこひもで赤ちゃんを抱いているお母さん、まったく軽装の若い女子グループの姿も。正解はどっち? そんなことを考えていると「さあ、行こう!」のかけ声。編集長の合図で私たちは駅をあとにした。
ハイキングコース案内板
少し歩くとケーブルカーの清滝駅前に出る。ここからいよいよ山頂へのアタックということになるのだが、「高尾山自然研究路コースマップ」を見ると、なんとルートが1号路から6号路、さらには稲荷山コース、高尾山~陣馬山コースの8ルートあることが分かった。清滝駅から頂上に通じるルートは1号路、6号路、稲荷山コースの3つ。さらに“日本一の急勾配31度18分”が売りの高尾山ケーブルカー、“12分間の空中散歩を楽しむことができる”リフトを使うという選択肢もある。さあ、どうする?
「当然歩くでしょう」
みんなの顔にそう書いてあったので迷わず上り坂に足を向ける。ひたすら森林の中を歩く6号路と稲荷山コースを避け、薬王院を通って山頂を目指す1号路(表参道コース)を登ることにした。
登山といってもそこは老若男女が楽しめる高尾山。舗装された道をみんなで軽いトークをしながら歩き始めた。空は晴れ渡り、空気も澄んでいるように感じられる。
「やっぱりいいよね、山は」
「オレ、海よりも山派なんだよなあ」
軽口を叩き合っていたのは最初の5分くらいだろうか。徐々に坂の勾配が増し、汗がジワリと背中を伝い始める。マスクをしているせいもあり、気がつけば口数は減り、「ハアハア、ゼエゼエ」と呼吸が荒くなっていた。無言でダウンジャケットを脱いで小脇に抱え、ハンカチで静かに汗を拭き、他のメンバーに遅れまいと重い脚を前へ、前へと進めていく。やがて舗装路は登山道となり、いよいよ坂の勾配は増した。
登り始めると徐々に坂はきつくなっていった…
「えっ、ヤバい…」(心の声)
自分でも表情が険しくなってきたと気がついたころ、スッと開けた場所に出るとそこは東京都心、さらには房総半島まで見渡せる展望台だった。メンバーたちは“難所”をクリアしてほっと一息。近藤カメラマンが「最初が一番きつい。だから最初にケーブルカーもあるんですよ」と説明してくれた。
高尾山といえば天狗、そして開運
つまりは“最大の難所”は最初の30分ほどで終わるということ。さすが高尾山、まずはしっかり登山気分を堪能させ、「きつい」と感じるあたりで急勾配の登りを終わらせる。この案配がなかなか心憎い。ちなみにケーブルカーの高尾山駅は標高462メートルだからあと137メートルで頂上ということになる。
遙か遠くに東京都心を見ることができる
展望台で水分補給をした私たちは緩やかな上り坂を歩いて頂上を目指した。ケーブルカーの高尾山駅付近には展望台とレストランがあり、フランクフルトやビール、ラーメンなど地上と変わらないメニューがそろう。自動販売機も少し歩くごとにセットされ、このあたりのホスピタリティーが“プチ登山”を楽しむにはもってこいだ。
山登りが中盤に差し掛かり、ニホンザルが暮らす「さる園、野草園」を通り過ぎると、根っこがクネクネしている大きな杉の木が私たちを迎えてくれた。その名をたこ杉という。近藤カメラマンの解説を聞いてみよう。
たこ杉の前で 開運ひっぱり蛸も
「その昔、薬王院への参道を作っていた天狗がこの杉が邪魔で切ろうとしました。天狗の話をその杉が聞いていて、切り倒されないように道を塞いでいた根を一晩でタコの足のように巻いて通れるようにしたとか。そういう言い伝えで、道が開ける=開運ということのようです」
高尾山の有名な天狗伝説だ。そもそも高尾山は修験道、いわゆる山伏が修行をする霊山だった。その高尾山に薬王院が建立されたのが今から1200年以上前、奈良時代(744年)のこと。グッと時代を進めて南北朝時代(1375年)に俊源という修行僧がやってきて、すさまじい修行の末に飯縄大権現(いづなだいごんげん)という仏様を薬王院に祀るようになったとか。
その飯縄大権現をサポートするのが天狗様の役割なのだという。天狗様は除災開運、災厄消除、招福万来といった利益を施す力を持っていて、山伏たちの修行も見守ってくれていたそうだ。そんな長い歴史を踏まえ、いつしか行楽地としての商業活動が重なり、高尾山といえば「天狗」に「開運」というイメージが定着したのである。
こちらは薬王院にある天狗像
そういえば10年ほど前、八王子中屋ジムに“八王子の小天狗”というニックネームのボクサーがいた。本名は野崎雅光。スーパー・フライ級で日本ランキングに入った野崎は確かにその名がふさわしい、すばしっこくてガッツのあるボクサーだった。小天狗は今、何をしているのだろうか…。
さて、その薬王院の階段を登りながら山道を進んでいくと頂上はもうすぐだ。万感の思いで頂上を踏みしめる4人の登山初心者たち。頂上まで登った達成感が湧き上がってくると、雪化粧をした富士山がきれいに微笑んでくれた。
2021年2月公開