「過保護」とは程遠い。
プロデビューの相手に東洋太平洋ミドル級王者・柴田明雄をぶつけられ、約3カ月後に行なわれた次戦は「8回戦」に設定された。無論、アマの世界は3ラウンドまで。いくら金メダリストとはいえ、プロのやり方に慣れるには4回戦を2、3戦こなして徐々に上げていくのがトップアマから転向するボクサーの通例だと言っていい。あのゲンナディ・ゴロフキンですら慎重にプロ仕様に切り替えていき、世界王座獲得まで4年以上、19戦もの時間を費やしているのだから。
経歴を見れば、簡単な相手ではなさそうだ。アメリカのデイブ・ピーターソンは13勝(8KO)1敗のキャリアを誇り、ダウン経験はない。トレーナーを務める父親も「村田のパンチが強力だって? デイブはアゴが強いんだ」と自信満々に答えている。
村田自身、ハード路線を歓迎していた。
「ハードルはほかの金メダリストと比べても結構高めに設定していただいているなとは思いますよ。でもそれは僕に対する期待だと受け止めています。海外のほうが、最初は弱い相手を選ぶ感じですよね。日本はそういうのをあまり良しとしない風潮があるし、僕もその流れを受けてそうせざるを得ないかなとは思っています。それもまあ、注目度の高さゆえくらいに感じてますけど。
アマとプロのスタミナで言えば、1500m走の選手と、10000m走の選手の違いと言えば分かりやすいんですかね。どっちがスタミナあるかじゃなくて、あくまで競技性の違いなんです。どっちが上でも、下でもない。ラスベガスでスパーのパートナーをやってくれているマイク・ジョーンズ(元WBA世界ウエルター級1位でアマ出身)なんかは『俺なんてデビューから2年ぐらい8回戦はやらなかったぞ』と驚いていましたからね(笑)」
2013年12月6日、東京・両国国技館。
村田がガードを固めて前に出ていこうとするが、重心が高く、プレッシャーが掛からない。逆にピーターソンのパンチをもらい、4ラウンドには強烈な右を顔面に浴びた。ちょっと嫌な空気が流れ始めていた。だが修正能力の高さが村田の持ち味。5ラウンド以降、左ジャブをうるさく出しながら右の射程距離を合わせ、ペースをたぐり寄せようとする。
徐々に力の差があらわれる。8ラウンド、左ジャブから右ストレートを浴びせて動きを止めておいてから右アッパー、左フック。猛然とラッシュしてスタンディングダウンを奪い、再開後に襲い掛かって試合を終わらせた。
村田は言った。
「柴田さんとの試合で得たものは、自分が何か持っているな、と感じたぐらい。デビュー戦で東洋太平洋王者にああやって勝てたのは、俺、それなりに持っているんだろう、と。でもプロでの何かを得られたかと言われれば、5分ちょっとじゃ得られなかったんですよ。
でも、ピーターソン戦は違いました。序盤にジャブが出なかったりとか、アマチュアのときみたいにブロックして前に行けばいいというスタイルではダメなんだということがすごく明確になったんです。アマとはグローブの薄さが全然違うので(相手のパンチがガードを)抜けてくるし、ブロックの上からパンチを受けてもダメージは残りますから。
そして何よりも左ジャブが大事なんだと教えられました。崩すのもジャブだし、距離を取って空間を支配するのもそう。『あのレベルの選手にパンチをもらうようなら世界なんか遠いよ』と人から言われようとも、僕にしてみればむしろ課題がクリアになって、それを克服すれば世界に近づけていけるなという感覚を持つことができた。いくらスパーリングをやったところで、実戦でやらないと気づけない。あの試合でプロの戦い方がちょっとずつ分かってきた感触があって、ようやくプロのスタートラインに立てた気がしました」
強がりでも何でもない。程よい苦戦によってプロの戦い方とは何かを、実戦で学べたことが大きかった。
それにしても最終ラウンドのラッシュはすさまじかった。敢えてスイッチを押して、仕留め切った。これはコンビを組むキューバ人トレーナー、イスマエル・サラスとずっと取り組んできたことの成果であった。
「あれはもう指導してもらっていることの賜物。練習のときからいつもスパーの最後に、サラスさんが僕に言ってくるんです。レナード、ハグラー、シュガー・レイ・ロビンソン、カルロス・モンソンの名前を出してきて、『ネバールーズ、ラストラウンド! ラストラウンド イズ チャンピオンラウンド!』だと。それで気持ちは入るし、ラスト1分、ラスト30秒でそのラウンドを取る意識も持っていますから」
未知の8ラウンドに入ってもバテるどころかエンジンが掛かった。これこそが今回の超えるべきハードルであった。
「ゴロフキンだって今でこそ穴がないですけど、アテネの決勝はバテて負けています。それがプロに転向してペース配分やらバランスなんかも掴んで時間を掛けながらアジャストしていった。(それと比べても)自分は2戦目で8ラウンドもったことで、少しずつプロにアジャストしていっているなという感触を得ているんです。だからこそスタートラインに立てたと思うことができているし、それが自信にもつながっている。僕のなかでは今、視界良好になってきた感じなんです」
マッチメークした帝拳ジムの本田明彦会長は試合後、「2、3試合分のキャリアを積めた」と試合内容を高く評価した。「2戦目で戦うような選手じゃない」と難しい相手だったことも付け加えている。
この2戦目が、村田のレベルを一つ引き上げたことは間違いない。彼は試合が終わっても、休むことなくすぐに練習を再開させている。
「それは試合の感覚が新鮮なうちに動いておきたいから。たとえば10つくり上げたものを、5ぐらいに戻してからスタートしてしまうのが嫌なんです。新鮮な感覚のうちに課題に取り組んで、10の上に積み上げておきたい。伸びるときって一気に伸びると思うんで。10からパッと積み上げて、さらにいい感覚を掴めたなら別に休んでもいいとは思いますよ。でも僕は試合を一区切りとは考えてない。良くなるときというのは、もっともっと良くなると思うから、やったほうがいいかなという感じなんです」
良くなるときに、一気に伸びる。
今こそが、そのとき。
「過保護」だったらこの感覚を得られるまでに、もっと時間を要したに違いない。
(表紙写真 高須力 記事中写真 山口裕朗)
2023年7月再公開