初めて経験したオリンピックの開会式、日本国民にとっても悲願になっていた上村愛子の4度目のメダル挑戦、一時は先頭にたち金メダルの可能性をみせたノルディック複合の小林範仁の力走、金メダルの最有力候補と期待されたスピードスケート男子500mの加藤条治と長島圭一郎。個人的には撮りなれているからこそ期待していたフィギュア男子の高橋大輔。まさに怒涛の5日間でした。
そして、JMPAに参加させてもらった経緯を思うと、指名してくれた編集者への恩返しのため、そして、フリーランスが今後もオリンピック取材ができる可能性を残すためにも僕には絶対に結果が必要だと思い込んでいました。今、考えると余計な力が入りすぎていましたと思います。そんな状態でまともな写真が撮れるはずはありません。ハイライトになるシーンではアクシデントやミスに振り回され、何度も心が折れそうになりました。
そんな中で迎えた大会6日目の取材予定は午前中にカーリング女子、午後がスピードスケート男子1000mでした。言葉は難しいですが、予選ラウンドが始まったばかりのカーリングに、メダルの可能性がほとんどない1000mのスピードスケート。誌面的に大きく扱わる可能性の少ない大会6日目は落ち着いた気持ちで迎えられた初めての取材日でした。
午前中のカーリングは競技自体が初めての撮影でしたが、氷上のチェスとも称される頭脳戦は、他の競技に比べると動体を捉える難しさはありません。またこの日は予選2日目で序盤の試合だったので、精神的なプレッシャーもありませんでした。本当に初めて平常心で臨めた撮影でした。難なく撮影を終えた僕は一旦BCプレイスに特設されたメインメディアセンター(MMC)に戻って、夕方から始まるスピードスケートに備えようと考えていました。その道中でよく知る先輩から昼食のお誘いを受けました。ダウンタウンにあるBCプレイス(BCはブリティッシュ・コロンビア州の略)周辺には多くのレストランが並んでいます。思えば大会が始まってからはファーストフードとインスタント食品しか口にしていないことに気がついた僕はこの申し出を快諾しました。とは言え、あまりゆっくりお店を探している余裕はありません。目についた日本人経営の寿司屋に入ることにしました。
店内は4人がけのテーブルが2×2の配置で4つ。入り口からみて左側の壁際に2人用の席がいくつかあるだけの小さなお店でした。僕たちは左手前の4人がけのテーブルに案内され、先輩は上座に僕は入り口に近い手前の席に座り、カメラバッグは左側の通路に少しはみ出す形で足元に置きました。お店には迷惑をかけてしまいますが、通路にはみ出させることで盗難防止を図ったつもりでいました。そして、メニューを眺めながら、マグロ丼にしようか、ちらしにしようか、ボーッとしていたそのときです。足元に置いておいたはずの撮影機材一式が入ったカメラバッグが消えていたのです。
ありえない瞬間、いや、あってはならない瞬間に遭遇すると人間の脳は覚醒するといいます。我が目を疑った僕は天井を見上げました。状況を整理しなければならないと思ったのです。そして、もう一度足元に目線を送ったときは、バッグが見えた、、、気がしたのですが、安心した次の瞬間、カメラバッグは無情にも消えてしまいました。まるで作中で物がなくなり「パッパッパッ」という効果音とともに点線で描かれた漫画のような描写でした。ドクン! 心拍数が一気に上がり、脇の下を冷たい汗が流れました。先輩に気付かれないように平静を装って女将に声をかけました。
「あ、大きな荷物が邪魔でしたよね。すみません」と往来の邪魔になったであろうカメラバッグのことを詫びました。このとき僕は女将が大きな荷物をバックヤードで保管してくれていると思った、というよりも思い込むようにしました。
「盗まれる訳ないじゃないか。日本人ならではの気遣いさ、うん」
そんな思いも虚しく、女将から返ってきた反応は「なんのこと?」という最悪のものでした。その瞬間、僕は加藤条治も真っ青の反射神経で店外へ飛び出しました。そこには多くの人々が行き交う賑やかな光景があり、怪しい人影はありませんでした。
もともと小心者の僕は、これまでもあり得ないミスや事件に巻き込まれる夢を何度となくみてきました。その度に「これは夢! 起きろ、俺!」と目に力をいれて無理やり目覚めては、嫌な汗をかいたことが何度もありました。ここで僕は思いました。「あー、はいはい。これは夢ですよね。わかります。そろそろ起きようか~」。努めて冷静に自分に言い聞かせました、、、、しかし、このときはいつまで経っても目が覚めることはありませんでした。なぜなら、これは夢ではなく現実だったからです。
僕の異変に気がついた女将が声をかけてきました。状況を説明すると女将には思い当たる節があったようでした。僕らが入店したあと、一人のインド系の男がやってきて席に案内しようとすると、友人を待つからと着席を拒んだそうです。そうこうしている内に僕が騒ぎ始め、気がついたときにはその姿が消えていたとのこと。おそらくメディアバスの停留所から目を付けられていたのだと思います。オリンピック取材をしている人間が乗るバスから大きな荷物を持って降りてくる人間は十中八九がカメラマンで、その中身は高価のカメラやレンズがぎっしり詰まっています。「さすがプロだな」と思わず唸ってしまうほど効果的な手口です。
女将の助けを借りて、警察を呼んでもらったのですが、ここで我に返りました。一緒にやってきた先輩の存在をすっかり忘れていたのです。僕は先輩にも状況を説明して、騒ぎ立てたことを謝罪して、こちらは気にせずに食事を摂って夕方の取材に備えて欲しい旨を伝えました。海外での取材経験が豊富な先輩に助けて欲しい気持ちはありましたが、そこまで甘えるわけにはいきません。でも、ほんの少しだけ期待していたのですが、本当にマグロ丼を平らげてそのまま行ってしまったときは「え? えーーーーwww」となったのは内緒です。そして、JMPAのチーフフォトグラファーにも状況を伝えました。チーフは盗難証明をもらうことをアドバイスしてくれ、夕方からの撮影のことは心配するなと気遣ってくれました。
やがて警官が2人やってきたのですが、英語が得意ではない僕の事情聴取は要領を得なかったのか、日本語ができる者を呼んだから少し待てと優しく対応してくれました。そして、やってきた「日本語ができる警察官」の日本語力は僕の英語力よりも低くて「なんでやねん!www」と芸人ばりのツッコミを脳内でいれたのは言うまでもありません。なんとか説明を終えて、証明書発行の手続きまで終えた僕は、やっとの思いでMMCへ戻り、その足でキヤノンのプロサービスへ直行しました。まだ10日もある残りの取材のために必要な機材のサポートをお願いする必要があったからです。幸いにも現地のスタッフや日本から派遣されてきたスタッフの厚意で機材一式を貸してもらうことができて、夕方からの撮影にもギリギリで間に合うことができました。
2010年2月17日は僕のカメラマン人生最大のミスを犯した日として、生涯忘れることはないと思います。
続く
バンクーバーのBCプレイス周辺の街並み
2024年1月公開