井岡一翔戦が八重樫劇場の幕開けだった
2012年6月20日の夜だった。原稿執筆がひと段落し、ボディメーカーコロシアム(大阪府立体育会館)近くの中華屋に入ると、大仕事を終えた2人の男がちょうど羽を休めているところだった。
「すごかったですね」
「そうだね、いや、ほんとに」
一人はWBC・WBA世界ミニマム級統一戦のレフェリーを務めた福地勇治さん、もう一人がジャッジ席から試合を見守った杉山利夫さんだった。それ以上の言葉を交わした記憶はない。言葉がいらないほどの壮絶な試合だった。あとから知ったのだが、福地さんはスピーディーな2人の動きに負けないよう、体重を3キロ絞って試合に臨んでいた。
2団体ミニマム級統一戦、井岡一翔vs.八重樫東─。
この試合、AサイドはWBC王者の井岡一翔だった。井岡は世界2階級制覇の井岡弘樹氏を叔父に持ち、デビュー戦から注目を集めたサラブレッドである。八重樫よりひと足早く世界王者となり、地元の関西を中心に絶大な人気を誇っていた。試合も井岡がやや有利と見られていた。
テクニカルに試合を進めようとする井岡と、前に出てプレッシャーをかける八重樫とが激しいつばぜり合いを演じ、試合は序盤から白熱した。初回のヒットで八重樫の左まぶたが腫れた。これがこの試合をよりドラマティックにさせる重要なファクターとなった。
八重樫の目の腫れがひどくなった7回、ドクターチェックが入る。陣営は「もともと目が細いから大丈夫だ」と盛んにアピール。止められてもおかしくない状況ながら、主審が八重樫をよく知る福地レフェリーだったことが幸いした。
ここから八重樫は激闘王の真骨頂を発揮する。右目も腫れて両目がふさがりかける中、猛然と井岡に襲い掛かり、最終ラウンドまで接戦を演じてみせる。まさに死闘。終了のゴングが打ち鳴らされると、満員の観衆から両選手に惜しみない拍手が送られた。
試合の2日後、横浜のジムで八重樫が“激闘の理由”を話してくれた。
「最初の4ラウンド、井岡くんのジャブが評価されて向こうがリードしていると思ったんです。そうしたら(公開された採点は)イーブンだった。逆にあれでイーブンなら僕の前に出る姿勢が評価されたということ。だからもっと前に出て戦えばポイントを取れると計算したんです」。
激闘に身を投じるのは、勝利の可能性を高めるため。理論的でありながら、理論だけの話ではない。そうは分かっていても、それを実行できるボクサーは希少だからだ。
八重樫は絶対に逃げない。それが強みでもあり、リスクでもある。
ロマゴン戦で見せた八重樫の真骨頂
2016年9月5日、代々木第二体育館の激闘─。
この夜、WBC世界フライ級チャンピオンだった八重樫は、3階級制覇を狙うローマン・ゴンサレスを挑戦者に迎えた。通称ロマゴンの戦績は39戦39勝33KO無敗。対戦相手が見つからないほど軽量級ではずば抜けた強さを誇っており、試合は王者たる八重樫の圧倒的不利が予想されていた。
この試合、八重樫はグイグイと圧力をかけるロマゴンを、フットワークを使ってうまくさばき、勝負を後半に持ち込もうとしていた。事実、スタートから作戦を実行しようとしたのだが、「この展開をこのまま続けるのは無理だ」と感じた。圧倒されながら3回にはロマゴンの左フックを食らってついにダウンしてしまった。
八重樫の勝負はここから始まるのだ
ワンツー、左フック、左右のアッパーで容赦なく攻めてくるロマゴンに対し、八重樫も左フック、ボディブローを打ち返して対抗。見ている者が「もうダメか!」と目を覆いそうになる瞬間、その思いが届いたかのように、八重樫は勇気を振り絞って打ち返す。
完敗ペースにもかかわらず、八重樫は勇敢に真っ向勝負を挑み続けた。ラストラウンドとなる9回、ロマゴンの猛攻に受けながら、八重樫はロープを背負ってなおも反撃を試みる。魂の反撃に奇跡の期待は高まるがもはや限界。ロマゴンの右で八重樫が赤コーナーに突き落とされると、マイケル・グリフィン主審が試合終了を宣告した。
「ゴンサレスと戦ったから偉いんじゃないんです。勝たないと意味がないですから」(八重樫)。
井岡戦、ロマゴン戦で、八重樫は敗れてなお株を上げることに成功した。激闘王という称号を不動のものとした。
ロマゴン戦のあと、八重樫はライト・フライ級に下げて再起し、1度は世界挑戦に失敗したものの、15年暮れにIBF世界ライト・フライ級王座を獲得して3階級制覇を達成した。いつ、だれと試合をしても、必ずどこかで激しく打ち合うシーンが生まれた。3度目の防衛戦でメリンドに初回KO負けしたのは既に書いた通りである。
2019年12月、横浜の大橋ジム─。
デビュー戦からは14年、初めて世界チャンピオンになってから9年の月日が流れた。
この日、3週間後に迫ったIBF世界フライ級王者、モルティ・ムザラネ戦に向けたインタビューが終わろうとしていた。最後に「勝って家族でいい正月を迎えたいですね」と言葉をかけてみた。八重樫は試合前の1ヵ月ほど、トレーニングに集中するため、家族と離れてウイークリーマンションで暮らしていたからだ。
3人の子どもの父親はニッコリ笑って私の言葉を正した。
「いや、その前にクリスマスですよ。サンタさんやらなくちゃいけないですから。顔を腫らしてる場合じゃないですよね。ああ、でもひげをつければ(腫れていても)分からないかな…。いや、勝たないとサンタさんにはなれないですよね」
決戦の日はクリスマスのわずか2日前。父親の顔を一瞬見せた激闘王の表情からは、不安も、自信も、はっきりと読み取ることはできなかった。
第4話に続く
2020年5月掲載