6月23日 襲撃の痕跡を見て驚愕。
ジョージから約2時間のフライトを経てヨハネスブルグに到着。ここからはレンタカーを借りて一路、デンマーク戦の会場となるラステンバーグを目指した。
ヨハネスブルグは特に治安が悪いと聞いていた。空港からすぐ高速道路に乗れたのはよかったが、後部座席の窓ガラスに黒い布が張られている車が多いことに気付いた。
あれは間違いなく襲撃を受けた痕跡だった。窓を割られて盗難にあうというのはよくある光景のようで、だからわざわざ修理しないのだろうと勝手に推測してしまった。
レンタカーで2時間掛けてラステンバーグのホテルに到着。チェックインしてから試合会場となるスタジアムへと向かった。日本代表の前日練習は試合時間とほぼ同じ時刻の午後8時15分から。とても寒くてカイロなしでは練習を見ていられなかった。選手たちは重圧もない様子で、デンマーク戦に向けてリラックスした雰囲気だった。
ハ、ハ、ハックショイ!
大事な試合の前に風邪を引いたらたまらない。僕も気を引き締めないといけない。
6月24日 感じたサポーターの力。
スタジアムで何がびっくりしたかって日本人サポーターが一気に増えていたこと。カメルーン戦の勝利を見て、駆けつけた人も多いのだろう。
ホームで戦っているような雰囲気に近い。その効果もあってデンマークに3-1と快勝。
試合終了のホイッスルと同時に、控えメンバーがピッチのなかに飛び込んでいく。チーム全員が勝利とグループリーグ突破を喜んでいた。記者席からも拍手が送られ、岡田ジャパンにとって歴史的な日となった。
取材を終えると午後11時近く。そこから原稿を書き始めて午前3時まで仕事をしてから、レンタカーで空港へ向かった。徹夜での仕事だっただけに、運転ではちょっと居眠りしそうになってしまった。危ない、危ない。
6月25日 ジョージに到着。ジョージよさらば。
朝、飛行機でジョージに到着すると、さすがに睡魔に襲われた。ゲストハウスに到着すると一緒に行動していたみんなも疲れ果てていたので、部屋のあちこちで寝てしまった。グループリーグを突破して安堵したことも理由にあるし、頻繁な移動で疲労も大きい。もちろん僕も。昼は代表練習を取材して、レストランで食事をしてからゲストハウスに戻る。
日本からたくさんの連絡をもらった。サッカー関係者だったり、メディアの人からだったり。「日本中が感動して凄いことになっている」と教えてくれるのだが、想像がつかない。出発する前は悲観する声が多かっただけに、期待していなかった分だけ驚きも喜びも大きいということなのだろうか。
明後日にはジョージを発つ。決勝トーナメントに入れば試合会場から試合会場へ移動するため、もうここには戻ってこない。ホテルには1人、2人と少人数で分かれることになるため、合宿生活も終わりになる。
おいしい中華料理のレストランがあるというので、みんなでそこへ。ジョージ最後の晩餐だ。
卵スープからスタートして、肉や海鮮の炒め物、そしてチャーハンと日本で食べる物とは少し味が違うが、「パン&肉」にだいぶ飽きていただけに中華への懐かしさもあってたらふく食べてしまった。デザートにはチョコレートソースをかけてのアイスクリーム。南アフリカでは自炊が基本だったので、少し贅沢な食事になった。
ジョージはとてもいい町だった。安全だし、人は親切だし、もっと長くいたいと思えた。
明日はパラグアイ代表との決戦の地、プレトリアに移動となる。
ありがとう、ジョージ!
6月27日 駐車場から出られない!
ジョージのゲストハウスを引きはらって、午後の便でヨハネスブルクへ移動した。約2時間のフライトではぐっすりと眠ってしまった。最近はいつなんどきでも眠くなってしまう。
ラステンバーグから空港に向かう際、居眠り運転しそうになったので、この日は一緒に移動するライター仲間とも協議した結果、タクシー移動が決定。プレトリアまで約1時間で、一人300ランド(3600円ほど)の運賃になる。大きな荷物を積むとさらにお金がかかる。
こちらのルールはよく分からないのだが、一台でいくらではなく、一人いくらになる場合が多い。南アフリカは乗り合いタクシーなどがよくあるので、おそらくそういう文化から一人支払い制なのだろう。
迎えに来てもらったおばさんの車は非常にリトル。その後ろに荷物を載せる台車をつけているのだが、空港の駐車場から出られなくなってしまった。縦に長すぎて、2つあるゲートに挟まってしまったのだ。みんなで手伝って車と台車を引き離してから、台車を押して移動。タクシーのほうが楽かと思っていたが、まさかこんなハプニングが待っているとは思わなかった。
6月28日 サッカーよりもラグビー?
午後から日本代表の前日練習を取材。試合会場となる「ロフタス・バースフェルト」の名は、南アフリカのラグビー選手から取ったものだという。もともとはラグビー場で、そこを改装して出来たスタジアム。少々古いが、ピッチの状態は悪くない。ただ、これまでのスタジアムより狭くて小さい感じがした。
練習を終えて迎えに来てもらったタクシーの運転手さんとライターのS君が、何だか楽しそうに話をしている。
「みんな南アフリカは危ないっていうけど、どうだい? そんなことないだろう。どっかの新聞が南アフリカはヘビばかりだというから笑っちゃうぜ」と運転手さん。
「そうだね。日本が忍者やサムライといわれるように、イメージってあるよね」とSくん。
後部座席で何気なく話を聞いていた僕だが、気付いたことがあった。
以前から思っていたことでもあるが、南アフリカの人は意外なほど今行なわれているワールドカップに関心がない。南アフリカ代表に対してだけなのだ、興味を持っているのは。
この運転手さんも「日本はいいチームだ」と言っておきながら「相手はウルグアイだよな」とか「PK戦まで進んで5人で決着がつかなかったらどうなるんだ」とか。
その運転手さんいわく「日本は強いから勝つよ、絶対に!」。
6月29日 試合が、ピッチが見えない!
運命のパラグアイ代表戦。
驚いたのはメディアの数。決勝トーナメントでは2番目に多い申請数だったという。これには理由があって、2会場あるヨハネスブルグに拠点を置くメディアが多く、ヨハネスブルグから約1時間のプレトリアだから足を運べたというわけだ。
そのあおりを食って、僕の席はメディア用の机のある席ではなく、サポーターの隣の席だった。真横で聞かされるブブゼラはたまったものではない。空いている席に移動させてもらった。前にいた南アフリカ代表のジャージーを着た若者2人は、試合前から音楽に合わせて立って踊っている。というか、これじゃピッチが見えない!
そんなこんなで苦労して見届けたパラグアイ戦は0-0のまま延長戦に突入し、敗退が決まった。日本を応援するファンが多かったため、私の周りは一様に落胆していた。
1カ月に及ぶ日本代表の戦いは終わった。
低評価を覆してグループリーグで2勝を上げ、決勝トーナメントに進むことができた。僕にとっても思い出深い大会になった。日本代表密着のミッションがあるため、僕も日本代表と同じタイミングで帰国することになる。
メディアセンターでは盗難被害が出ていると聞く。最後、気を引き締めて日本に帰るとしよう。お土産はどうしようかな。やっぱりブブゼラでしょ!
終わりっ!
2010年南アフリカの旅 終
2022年9月公開