信太選手が語るハンドボール界のファッション事情
信太選手はチームの先輩の影響でスニーカーに興味を持つようになったとのことですが、周りにスニーカー好き選手たちっているんでしょうか?
信太:「そうですね、もちろんいますよ。ただ関東には(ハンドボールの)チームが少ないので、スニーカーの並びに行くときはチームメイトと行くことが多いですね」
宅万:「むしろ信太さんでも並びに行くんですね。そっちの方が驚きです!」
私も同じこと思いました(笑) それに信太選手は身長190cmくらいありますから、並び行っただけでもすごく目立ちそうですよね。
信太:「たまにですけどね(笑) 他のチームでも仲のいい選手が結構いるので連絡取り合っていくこともありますけど、やっぱりうちのチーム(大崎電気)はスニーカー好きな人も多いので一緒に行くことが多いです」
確かに大崎電気は、SPOALでも取材した森選手を筆頭にオシャレな選手が多いイメージがあります。でもアスリートの服装って、ジャージというかスポーティなイメージが特に強いですよね、日本は。
宅万:「たとえば練習や試合とかでも、行き帰りってジャージだったりするんですか?」
信太:「僕たちの場合は、(試合の)前泊でホテルに行くんですけどその時は私服ですね。そして試合会場へはお揃いのジャージで入ります。ただ僕や森さんは、足元だけはお気に入りのスニーカーを履いたりすることもありますね」
なるほど。アスリートの方は、コート内はもちろんですがコート外でも見られる存在だと思います。そのあたり信太選手はどのように意識していますか?
信太:「僕は大崎電気に入社したときに先輩から、『見られてるから、身だしなみから全部気を付けろ』と言われてきました。なので、いつもヘアスタイルをセットしたり結構気をつけるようにしています」
それはすごく大切な視点のアドバイスですよね。信太選手が入社してから一番影響を受けたと思う選手って誰でしたか?
信太:「やっぱり(元ハンドボール日本代表でチームメイトだった)宮崎大輔さんですね。あの人がハンドボールをメジャーにしたので、自分が”見られている”という意識がすごかったんだと思います。」そういうのを教えてもらいました」
宅万:「僕もその頃の盛り上がりはよく覚えてますよ。宮崎さんってすごくテレビにも出てましたもんね」
ハンドボールのすごさを、マスに知らしめたレジェンドですもんね。宮崎さんの露出がきっかけで競技をはじめたり、見に行ったりした人も多かったと聞きます。話は変わるのですが、今の競技生活の中でスニーカーはどんなタイミングでどうやって買うのでしょうか?
信太:「もちろん試合や練習もあるので毎回並びには行けないです。だからオンラインで買うことが多いですね。それでもダメだったら、セカンドショップへ行って買ったりしています。タイミングで言うと、特にタイトルを獲ることができた時は、自分へのご褒美でドカンといいスニーカーを買いますね」
宅万:「じゃあ今度タイトルを獲った時は、今日見たジョーダン1の中から是非!」
最後の授業は、宅万先生のシンデレラストーリー。
そろそろ終盤にさしかかってきましたので、いよいよこの話題に入りたいと思います。宅万先生ご自身がデザインした「AIR MAX 1 OA YT “TOKYO MAZE”」について改めてお話をきかせてください。
信太:「この話は僕も本当に知りたかったんです、すごく楽しみです!」
宅万:「これが、僕がデザインしたスニーカー”TOKYO MAZE”です。きっかけは、NIKEがオフィシャルの一般公募で『あなたのデザインしたエアマックスを発売します』みたいなコンテストをやっていたんです。東京、上海、ソウル、ロンドン、パリ、ニューヨークという世界6都市で同時に開催されていました。そこにWEB抽選で申し込んで、ワークショップに運良く当選したことからはじまりました」
最初はワークショップだったんですね。しかもWEB抽選って完全に運要素じゃないですか!
宅万:「そうなんですよ(笑) ラッキーもありました。デザインのやり方も分からない人もいるので最初はワークショップだったんです。そこでは、ナイキがどのようにスニーカーをデザインしているのかを、本社から講師が来て教えてくれたんですね。カラーのデザイナーとか、生産ラインを管理している人など、いろんな講師が来てくれました。そして、10種類くらいあるエアマックスの中から自分の好きなものを1つ選んでそれにデザインをあてていくという流れでした」
信太:「10種類もあったんですね」
宅万:「はい。10種類それぞれの台紙があって、そこに色を塗ったり、布とかレザーを貼り付けたりするんです。ワークショップではいろんな素材も置いてあって、そこから好きなものを選んで使うことができました」
宅万さんはそう言って実際の台紙も見せてくれました
信太:「最初からあの(TOKYO MAZE)のイメージは浮かんでいたんですか?」
宅万:「いえ、全く浮かんでなかったんです。、むしろ最初はエアマックス95で作ろうかなと思ってたくらいでした。ちゃんと考えていかなかったんですよね。コンセプトは『東京をイメージしたエアマックス』だったので、なんとなくネオンっぽいイメージを使って作ろうかな、くらいに考えていました」
それを聞くと、逆にそこからどうしてあのデザインが出てきたのかがすごく気になります!
宅万:「ワークショップで講師に『”自分にとっての東京”をイメージしてください』って言われたんですよ。そして、自分が18歳の時に(鹿児島から)上京してきた時の想いや不安というものをデザインしようかなと。とにかく地下鉄が本当にわからなくて(笑) 今でこそ乗換案内とかありますけど、当時はなかったですしね。そんな東京を行き来する大変さを、迷路=MAZEという表現にしたんです。そしてそのきっかけになった地下鉄はシューレースのレインボーカラーに落とし込みました。」
そうだったのですね。でもコンセプトを一般論ではなく自分なりに解釈して表現するって、すごく難しいことだと思います。
宅万:「いや、本当に大変でした。2時間半で全部仕上げなきゃいけなかったんです(笑)」
信太:「え、これ2時間半でできたんですか…それがすごすぎます。これは他の都市も同じだったんですか?」
宅万:「そうですね。各国で同じようにワークショップが開催されてみんな選ばれたんですよ。それから6人全員がNIKE本社に集合して、1stモデルのサンプルレビューや今後どうしたいかなど、それぞれに担当がついて進めていきました。余談ですが、滞在期間中にホテルへ戻ると部屋にNIKEからのプレゼントが置いてあって、またそれがすごく嬉しかったです。」
世界中で売られたボックスに自分の名前が入っている凄さ
お話をお伺いして改めて思いましたが、本当にすごい経験をされていますね。しかもその最初は運要素、そして2時間半のデザインと、そこから一気に人生が変わっている感じですね。
宅万:「そうですね、本当に変わりました」
信太:「僕まだ実は”TOKYO MAZE”持ってないんですけど、この話を聞いたらまた気になってきました(笑)」
宅万先生、素敵な授業をありがとうございました。ここでひとつ提案なのですが、今日はせっかくのお天気なのでみんなでエア・ジョーダン1を履いて出かけませんか?体育の授業ってことで!
宅万:「是非行きましょう!そのために最初にちゃんと準備してましたので(笑)」
信太:「もちろんです!僕はまず履けるのが嬉しいです(笑)」
こうして、体育という名目でスニーカーを履いてみんなで公園へ行くことに。信太選手と宅万先生がエア・ジョーダン1を履いて愉しむ様子をたっぷりとお届けしていきたい。
2020年4月掲載