冬の寒さも一段と厳しくなった、とある平日の恵比寿駅。
どうも既視感があると思ったら、SPOALファッション記事の待ち合わせ駅で使うことが既に3回目という事実が判明しました。そして目の前には、安定タッグパートナーの近藤カメラマンが。
『スケボーのおはなし』――
これは、次回のオリンピックで正式種目として採用されたスケートボードという競技の魅力を様々な人達に語っていただくシリーズ企画です。スポーツとしての魅力だけではなく、カルチャーやファッションとしての魅力など、スケートボードを語る上でその視点はさまざま。
今回はそのシーズン2の取材なのであります。
さて、今回のゲストはいったいどんな方なのでしょうか?少しでもわかりやすくなるよう事前に証言を取ってきましたので、そちらをご紹介したいと思います。
「えっ!?国内のスケーターにとっては神のような存在ですよ!凄い!」
これは、シーズン1に登場してくれたスケートボードショップ『インスタント』の関虎次郎店長に次回のゲストを報告した際の第一声です。
そう、今回のゲストは国内スケボー界でもかなりの有名人!これは色々なおはなしを聞くことが出来そうですね。

恵比寿駅から歩くこと10分弱、本日の舞台となるスケートボードショップ「California Street(カリフォリニアストリート)」に到着しました。
代官山エリアに佇むこの「カリフォルニアストリート」は、1988年八王子で創業された国内有数のスケートボードショップ。1993年に現在の場所である代官山へ移転し、現在に至ります。
待つこと数分、本日のゲストが到着しました。
冬の寒さもなんのその、颯爽と自転車に乗って現れたその方――小原祐一さん。
「カリフォルニアストリート」ストアディレクター
ブランド「Color Communications」ディレクター、
池袋スケートボード推進委員会 代表、
そして、スケーター。
その人が持つ肩書、そのどれもがスケボーへとつながっています。
そんなとびっきりの愛に溢れた、スケボーのおはなし。

――小原さん、本日はよろしくお願いします!まずお伺いしたいのですが、スケボーが東京五輪の正式種目に採用されたことで、小原さんが感じた変化はありましたか?
やっぱりメディアで良く見るようにはなりましたよね。ショップ目線で言うと、「スケボーをはじめたい」というお客様がここ最近、特に去年くらいから急激に増えてきたように思います。
――やはり増えているのですね。今日はそんな盛り上がりを見せるスケボーにまつわるお話をたくさんお伺いさせて頂きたいです!はじめの質問ですが、小原さんがスケボーを始めるようになったのはいつ頃だったんですか?
出会いは15歳の時ですね。ちょうど親の転勤があって、日本からアメリカのニュージャージーへ移ったんです。結構南部の方で、フィラデルフィアのほうが近かったんです。小学校からずっとバスケットボールをやっていたので、アメリカの高校でもやろうと思っていました。
――1990年頃でしょうか。ジョーダンとピッペンがブルズでイケイケだったときですよね!本場でバスケってすごく憧れます。
そうです、ちょうどその頃ですね。ただ、部活には入れなかったんですよ。アメリカの公立高校に入学したんですが、クラブに入部するためのトライアウトに全部落ちてしまったんです。言葉ができなくて、監督が言ってることもわからず。だからやることがなくなっちゃったんです(笑)
――自由に部活へ入れないのもまた日米の違いですね。そこからスケボーとの出会いにつながるのでしょうか!?
きっかけは、スニーカーだったんですよ。『VANS(ヴァンズ)』のスニーカーが好きだったんですが、僕が住んでいたニュージャージーのエリアは買える場所がなくて。なので通販をしようということで『Thrasher Magazine』(※)を買ったんです。
※1981年にアメリカで創刊されたスケートボード月刊誌
――なるほど、だんだん流れが見えてきた気がします。VANSのスニーカーはスケートボードシーンでもよく見られますよね。
そうなんです。そこで初めてVANSがスケボーの靴だってことを知ったんです。(部活に入部できず)やることがなく一人でも出来ることを探していたので、じゃあスケボーでもやってみようかと。
もちろんカリフォルニアストリート店舗にもVANSが!
――VANSがきっかけだったのは意外でした!
僕が東京にいた頃は、渋カジとかアメカジみたいな感じでVANSが人気だったんですよ。本当ただそれだけのきっかけだったんですけど、その『Thrasher Magazine』の巻末にあった通販でコンプリートセット(スケボーがすぐに始められるように予め組まれたデッキ)を買いました。そうしてスケボーをするようになって、近くにあったレンタルビデオ屋でスケボーのビデオを借りていましたね。
――そこからまずスケーターとしての小原さんが誕生したと。
そうですね。オーリー(スケボーのトリックのひとつ)の原理だけは分かっていたので、3ヶ月くらいひとりで練習したんです。そこからある程度飛べるようになって、近所にいたスケボーやってる高校の同級生のところに行って仲間にいれてもらいました。言葉もまだわからなかったんですけどね。
――バスケができなくなったことで、結果的にスケボーと出会った高校時代だったんですね。その続きがとても気になります!
スケボーを始めるようになってから、家の近くにスケボーショップが出来たんです。おかげでもう通販をすることもなくなって、その店に通うようになりました。そこからですね、店にいることが好きで常連になって、手伝うようにもなって。結局そこで働くことになったんです。
――スケボーショップが近所にできたことで、またグッとスケボー環境が整ったんですね。前回の取材で「日本のスケートショップはちょっと怖くて入りづらい」という話もあったのですが、小原さんはそうした印象はなかったのでしょうか?
アメリカはそういう雰囲気はなかったですね。最初は言葉もわからなかったのですが、すごく優しかったです。日本みたいな感じはなかったですよ。(日本が)確かに雰囲気悪いというのはありますよね(笑) でもスケボーに限らずファッションもそうでしたよね、店に入っても店員さんは何も声かけてくれなくて、「好きなの買え」みたいな。
――すごくわかります(笑) そうしたフレンドリーな環境でスケボーと過ごしてきたアメリカの高校時代、最終的に向こうではどれくらい生活していたのでしょうか?
高校卒業するまではアメリカにいました。そこから「いったん」日本へ戻りました。帰国子女の枠での大学受験のために、帰国したんです。
――「いったん」というのが気になるワードですね(笑) また凄いストーリーが来そうな予感がします!
※取材は2020年12月下旬に行いました※
2021年2月公開







