インターネット配信の増加、実況アナの需要は高まる
フリーアナウンサーの西達彦はスポーツ経験ゼロからスポーツ実況に取り組み、いまではサッカーのJリーグ、ヨーロッパリーグ、格闘技を中心にさまざまなスポーツでその手腕を発揮するようになった。
西がスポーツ実況の世界に飛び込んだ15年前はまだまだインターネットによるスポーツ中継が少なく、スポーツ中継といえばテレビ局全盛という時代。それがこの15年で大きく変わった。いまではインターネット媒体が積極的にスポーツを中継し、ネットを使って自分たちで試合の模様を配信する競技団体も増えた。
「ネットによる配信が増えて実況アナウンサーの需要も増えたと思います。たとえば野球でいえば、プロ野球から大学野球、高校野球、社会人野球、独立リーグまで本当にたくさん試合が放送されるようになりました。そう考えるといまの若いアナウンサーはうらやましいですね。実況の機会がずいぶん増えましたから」
西が所属する事務所「ボイスワークス」では10年ほど前から女性実況アナウンサーの育成に力を入れている。実況アナ全体のニーズの高まりに、ジェンダーフリーという時代背景も後押ししたのだろうか。これとは別に西の後輩にはeスポーツの実況を目指している若い男性アナウンサーもいるという。
こうした事情を反映し、局アナをへずに最初からフリーで活躍するアナウンサーも増えてきた。局アナの経験がなくフリーになった西はそんな時代のいわば先駆け的な存在。若いフリーアナウンサーから相談を持ちかけられることも少なくない。
「若い人に言えることがあるとすれば、まずは何をしたいか、何が好きなのかをはっきりさせることですね。そのために自分はどこまで妥協できるのかを整理しておくことが大事なのかなと思っています。たとえば野球の実況をしたい人がいます。その人が『野球の実況しかしない』と言ったら他の競技のチャンスは回ってきません。なら、たとえ目標は野球であっても、キャリアを作るため他のスポーツにもチャレンジしてみるのか。それは自分で決めるしかない。私は何でもやるほうですが、『野球以外はやらない』と決めるのであればそれでもいいんです。ただしブレると迷走する。技術は練習次第ですが、やる、やらないは本人の気持ち次第ですから」
力が衰えてきてからが面白い!
夢中で走り続け、あっという間に15年が過ぎた。これからの15年を問うと、西は少し苦笑いを浮かべて「正直、もう衰えを感じています」と意外な言葉を返してきた。
「たぶんこの仕事って反射神経が大事で、そういう意味ではもう衰えを感じています。たとえば目です。40歳を過ぎて老眼が始まり、サッカーの実況で遠くのピッチの様子を見た後、パッと手元のモニターを見ると焦点が合わなかったりします。いままでなら出てきた言葉が出てこない。そんな経験もするようになりました。それをキャリアでどうごまかしていけるのか。最近はそういう興味が沸いています」
総合格闘技の選手に青木真也という実力者がいる。38歳にしていまだ現役。西は格闘技の実況で青木と仕事がすることが多く、青木の話に深く共感した。
「体力の低下や自分の限界を感じ始める。そこからどういうふうにやっていくかが面白い。青木選手がそう言っていたんです。もともと彼がインスパイアされたのがプロレスラーのレジェンド、武藤敬司選手。武藤選手はヒザのけがもあって必殺技のムーンサルトをできなくなった。そこからプロレスが面白くなったそうです。私も最近はそっちに面白さを感じ始めました。昔ほどの力はないけど、工夫を凝らして一線級に踏みとどまる。そんな選手に魅力を感じるようになりました」
ベテラン選手は老いに抗い、もがきながら戦い続ける。その姿を自分と重ね、強い共感を覚えるようになった。
「私もこれからいろいろな能力が落ちていくと思うんです。それに対応していくことができるのか。15年後に新たな姿が作れているのか。そこが勝負だと思っています。ひょっとするとスポーツ選手のように引退があるのかもしれません。またその先の15年があるのかもしれません。私にとってアナウンサーは人に喜んでもらうための手段です。純粋に喜んでもらいたい。これからもその気持ちだけは変わらないと思います」
VOICE。
己の声を商売道具に人に喜びを届けるのがアナウンサー。西はこれからもスポーツとファンを優しくつなぐ。
『VOICE』 終わり
2021年11月公開