昨年末、フィギュアスケートをテーマにした小説「氷上のフェニックス」(KADOKAWA)が発表されました。著者はスポーツライターでもあり小説家でもある小宮良之さんです。
バルセロナに在住していた経験を持つ小宮さんはスペイン語を駆使して、これまで多くのルポルタージュ作品や、フットボーラーの本質に迫るノンフィクション作品を残してきました。代表作は元日本代表選手、福田健二さんを描いた「RUN」(ダイヤモンド社)やプロサッカー選手の栄光と挫折を描いた3部作「アンチ・ドロップアウト」シリーズ(集英社)などゴツゴツとした骨太な作品が印象的でしたが、そんな小宮さんがこのコロナ禍に発表した作品はフィギュアスケートをテーマにした小説でした。
「氷上のフェニックス」は主人公の星野翔平がフィギュアスケートと出会い、世界のトップスケーターへと成長していく過程が描かれています。幼馴染や恩師、ライバルや後輩たちとの人間模様やアスリートの栄光と挫折、そして、復活。ノンフィクション作家としてこれまで数多くのアスリートに密着取材してきた小宮さんだからこそ、フィクションとは言え登場人物に対する愛情を感じる作品になっています。
今回はそんな小宮さんとフィギュアスケートとの出会いから小説「氷上のフェニックス」の誕生秘話を伺ってきました。
高須 まずフィギュアスケートとの出会いを教えてください。
小宮 2006年のトリノ五輪の前、自分がバルセロナに住んでいるときにオリンピックの取材をして欲しいとオファーがありました。メインはフィギュアスケートになると。それで2005年の年末にスペインから帰ってきて最初に見たのが、代々木第一体育館で行われたグランプリファイナルと全日本だったんです。それが僕にとって初めてのフィギュアスケートの現場でした。
高須 そのシーズンにシニアデビューした浅田真央さんは鮮烈でしたね。
小宮 それまでスペインのサッカーの現場、例えばカンプ・ノウとかで10万人の観客が入る試合に感動して、何度も泣いた瞬間があったんですが、そのうち慣れてしまって泣けなくなっていた自分がいました。でも、日本に帰って最初にグランプリファイナルで浅田真央さんが演技しているのを見たとき、知らずに泣いていたんです。当時はフィギュアスケートという競技の本質などまるで分っていなかったはずで、自分がなんで泣いているのかも分からず。14歳の少女に30過ぎた大人が泣かされる。その魅力は何なんだろうと、その圧倒的なパワーのようなものに惹かれました。
高須 最初にご覧になったときはルールやジャンプの種類についての知識はなかったんですか?
小宮 今みたいに知識が溢れている時代ではなかったので、図解を見ながらジャンプの種類を学んだりしましたが、これがなかなか難しくて、結局、アクセルジャンプが前から踏み切るくらいしか分かっていませんでした。今はyoutubeとかで、解説付きで動画もありますが。浅田真央さんはトリプルアクセルが代名詞になっていましたが、単純にジャンプだけでなく、音楽とのシンクロ性なのか、観客との呼吸のようなものを強く感じましたね。特に全日本の最終グループが印象に残っています。
高須 トリノ五輪の代表3枠を争う重要な一戦でしたね。
小宮 荒川静香さんや村主章枝さん、安藤美姫さんもいて、演技が終わるたびに客席から上がる拍手の波が凄かったじゃないですか。それまで触れてきたのが欧州や南米のサッカースタジアムの血湧き肉躍るような世界だったので。浅田真央さんの14歳にして作り上げる天真爛漫な世界は新しい発見でした。
高須 フィギュアスケートは競技性だけではなく、芸術的な側面も強く情感に訴えるものがあるので小宮さんには合っていたのかも知れませんね。
小宮 自分には合っていたというか、好きな世界だったのかも知れません。刹那の間に情感を表現するわけですが、少しの失敗で積み上げてきた努力が失われる緊張感というか。そこで生まれる熱の伝わり方が好きで、それを表現したいと思いました。ただ、十分に表現するためにはもっと経験を積んで、勉強しなきゃいけないと痛感しました。
高須 トリノオリンピックのあとはフィギュアスケートよりはサッカーの取材ほうがメインですね。
小宮 そうですね。ただフィギュアスケートで感じた世界観を忘れたことはなかったし、まずはサッカーで作品と言えるものを書かなければいけないんだなと思うようになりました。それが福田健二さんをテーマにした「RUN」(文庫版が「導かれし者」)、「アンチ・ドロップアウト」シリーズに繋がっていきました。どれも不屈の戦いを描いたもので。競技者と切磋琢磨するわけじゃないですが、彼らに「負けない」って思える書き手としての矜持みたいなものが少しでも掴みたかったんだと思います。フィギュアスケートでもいつか物語を書きたいとはずっと考えていました。
高須 媒体の休刊などの要因もあり、フィギュアの現場から一度は離れはしたもののサッカーをテーマに筆力を磨き作品を発表し続け「氷上のフェニックス」のようにフィギュアスケートの世界に舞い戻られたわけですね。
小宮 2018年に高橋大輔さんが復帰宣言をしたときに、それまでずっとワールドカップなどで一緒に取材していたカメラマンのスエイシナオヨシさんから、「高橋選手の復活の物語を一冊にする。一緒にやってみよう」と声をかけてもらいました。やるんだったら「革命を起こすような作品に!」と(笑)
高須 革命ですか(笑)
小宮 大口叩くので、それくらいの意気込みで言っていました(笑)2005-2006シーズンのフィギュアスケート、特に荒川静香さんが見せてくれた金メダルの風景というか輝きは表現しきれなかったという思いもありましたし、10年以上かけて書き手の経験を積み上げてきた今なら描けるんじゃないかと。高橋大輔さんがトリノ五輪にも出場していたのも縁を感じていました。あとはちょうどロシアのワールドカップが終わった直後だったこともあり、燃え尽きたって訳じゃないですが、やり切った感じもあって、ひとつの区切りを迎えた感じはしていたので、新しい道を求めていたのかもしれません。自分の書き手人生をかけてというか、読んでもらえる誰かに影響を与えられるようなものにしたいと思いました。
2021年5月公開