新国立競技場を時計回りにグルリと歩く。東京オリンピックミュージアムをあとにして、日本青年館の交差点を西に歩いていくと…。思わず「おおっ!」と声が出そうになるスポットを発見した。居合わせた年配女性2人組が「ああ、すご~い!」とこちらは本当に声を挙げた。なんのことはない、開いているゲートから新国立競技場の中が見えたのである。
外苑西通りの高架からほど近いところ。ぽっかりと開いたゲートから緑の芝生とスタンドの座席がほんの少しだけのぞけるのだ。どこの国の人なのだろう、外国の方も思わずスマホを競技場に向けてパシャリ。ほかの場所はすべて白い仮囲いでおおわれているのだから、わずかに中が見えるだけで興奮するのも無理はなかった。
ゲートから新国立のピッチが見えた!
ちなみに新国立のこけら落としとなった元旦のサッカー天皇杯決勝では、マラソンゲートの位置がゴールの真裏にあることで、サッカーファンからえらく評判が悪かった。暑さ問題でマラソンのコース自体が札幌に移ってしまい、本来の使命を奪われた末に邪魔者扱いされる哀れなゲートよ…。切り取られた写真のような緑の芝生を眺めながら、そんなことを考えた。
スタジアムに別れを告げて外苑西通りに出ると仙寿院の交差点。静かに職務をまっとうしていた近藤カメラマンがおもむろに口を開いた。
「ここはお化けが出る有名なトンネルです」
トンネルの入り口にツタがたれ、中は少しひんやりしている。正式名称は千駄ヶ谷トンネル。トンネルの上が仙寿院の墓地がゆえに心霊スポットなのだという。オリンピックの取材で心霊スポットに出会えるなんてなんだか素敵だ。このトンネル、「血まみれの女に追いかけられた」などなど、都市伝説の類は枚挙にいとまがない。
都内屈指の心霊スポット、千駄ヶ谷トンネル
トンネルの入り口に「昭和39年3月完成」と書いてあるから、トンネルができたのは前回の東京オリンピックが開催された1964年ということになる。これも何かの縁か。オリンピック観戦で熱くなった頭を冷ますのに絶好のスポットのような気がしてきた。
トンネルから引き返して外苑西通りを北上すると、待ってました! ようやく飲食店が姿を現した。洋風カレーの店にラーメンのホープ軒。このあたりに夜遅くまでやっている店は少なく、旧国立競技場時代から、サッカー取材を終えた記者がけっこう使っていたのだとか。冬場、寒いピッチで取材を終えたあとには、濃厚なスープで胃を温めたい気持ちになるのはよく分かる。
一方、「いや、ホープ軒よりもその隣にあるカレー屋がオススメ。ホープ軒はだいたい並んでいるけど、カレー屋は並ばなくても食べられる。味もそこそこおいしい!」との意見も。ぜひ食べ比べてみてほしい。
仙寿院の交差点から新国立競技場をのぞむ
ここからは少し寄り道をしてみよう、ということで新国立競技場を背に、住宅街のほうへ足を向けてみた。上り坂の入口にアーチが掲げられ、看板には千駄ヶ谷大通り商店街の文字が。豆情報をつぶやいたのは、またしても近藤カメラマンだった。
「昔はここから神宮外苑の花火が見られて、花火大会のときはこの坂にビニールシートを広げて花火見物をする人が大勢いたんですよ」
ほお、そういう人たちからすると、視界を遮りそうな新国立競技場はちょっと大きすぎるかもしれない。それにしても公道に広がって、ビール片手に花火見物をしてしまうとは。昔は許されたんだなあ、と感心してしまった。
坂を上っていくと左右には閑静な住宅地が広がる。狭小の戸建て住宅や、古くてしゃれた低層マンションやアパート。このあたりの住民は真新しい国立競技場から届く大歓声をどのような思いで聞くのだろうか。
坂を上り切ると鳩森八幡神社にぶつかる。ここは都内でも屈指のパワースポットだそうで、確かに平日の昼前でも人が絶えることはない。境内にある富士塚はミニチュアの富士山で、これに上ると富士山に登るのと同じご利益があるとされる。
ちょっとした将棋グッズも購入できる将棋会館
道をはさんで神社の隣に建つのが将棋界の総本山である将棋会館だ。実は日本将棋連盟と鳩森八幡神社はご近所ということもあって昵懇とも言える間柄。境内には大駒を納めた将棋堂があり、ここにお参りすると棋力が向上するとのこと。勝負運が上がる、と解釈する人もいるようだ。勝負運を上げようとこっそり訪れるオリンピアンはいないかな?
神社前の商店街には居酒屋やステーキハウスなど飲食店がちらほら見える。ここを抜けると東京体育館で、正面にまっすぐ進むと再びJR千駄ヶ谷駅だ。これで新国立競技場をグルリと一周した。
さらば、新国立競技場。私たちは巨大なスタジアムと多彩な街並みに別れを告げ、次の目的地に向かった。
2020年2月掲載