2018年7月、武田大作はスイスのルツェルンにいた。
自費を投じて自分のレベルアップのために視察に訪れたワールドカップ第3戦。40代なかばの大ベテランが「うまくなるためのヒントがあるはず」と目を光らせていた。元々一人で行くつもりだったが「海外のトップ選手がどんな練習をしているのか見てみたい」と頼んできた学生を連れての旅に。若者よりも競技に食いつく姿は容易に想像できる。
「行ってよかったと思いましたね。今のトップ選手たちはこんなテクニックを使っているのかって映像じゃなく自分の目で見ることで分かることがいっぱいありましたから」
その目は輝いていた。
隣で一緒に競技を見ていた学生からこう言われたそうだ。
「大作さんが教えてくれていたことの意味が、ここに来てようやく分かった気がします。正しいことを教えてくれていたんですね」
オイッ!とツッコミを入れそうになったが、苦笑いで返した。トップ選手をじっくり見ていけば、そこに答えがある。日本のトップとして長年にわたって海外を転戦してきた男だからこそ、誰よりもその点は理解できている。
かつて教えてもらっていたコーチにも出会った。
「久しぶりだな。お前はなぜ試合に出ていないんだ?今はコーチをやっているのか?それとも選手か?」
「今回は観光でやってきたんです(笑)。まだ選手やっていますよ」
コーチはニヤリと笑った。
「その体つきを見たら、分かるさ」
その一言がやけにうれしかった。
ここは思い出の地でもある。ルツェルンでのワールドカップでは様々な栄光を手にしてきた。2002年には軽量級シングルスカルで銅メダル、翌年には軽量級ダブルスカルで銀メダル、そして2005年のワールドカップ第3戦、軽量級シングルスカルで優勝を果たした場所。スタートダッシュに成功してトップに立ち、そのまま逃げ切って日本人初の快挙を果たしている。世界を知り、世界から学び、世界で結果を出してきた。
思い出の地から帰国した武田は、学んだイメージを持って練習に取り組んだという。これが翌2019年春、西日本選手権の準優勝、朝日レガッタの優勝にもつながっていく。
漕ぐテクニックもコンディションづくりも筋力トレーニングも。そのほとんどで自己変革を続けてきた。
「ルーティンというものはないですね。むしろ変えていかないと伸びていかないですから」が口癖の一つだ。
恵まれているとは言えない環境が、彼を心身ともにタフにしてきた。
高校でボートを始め、大学も地元の愛媛大学。湖、ダム、川などの漕艇場で練習するのが一般的だが、武田は波のある海で鍛えきた。段々畑が仕事場となるみかん農家の稼業を手伝いつつ、海で波にもまれたことでバランスを崩さない体幹がナチュラルに磨かれていった。
大学の強豪校であれば指導者を含めて環境は整っている。ボートの場合、地方で活動することはハンディキャップにもなる。だがこれを武田は逆手に取る。
「もし恵まれた環境だったら、外に目を向けて情報を集めようとしたり、観察したり、工夫したり、そこまでしなかったと思うんですよ。愛媛にいるからこそ外に目を向けて、何かヒントになるものはないかって探すことができた。農家の生まれなんで、モノをつくり出す作業って好きなんです。みかんを効率良く摘み取って出荷するというのは、みかん農家の鉄則ですから(笑)。この環境が僕をつくったと言えると思います」
情報収集、観察、工夫。
武田が初めて五輪に出場したのが1996年のアトランタだ。23歳、シングルスカルで世界に挑んだものの、予選で21位中20位に終わって大会を去ることになる。
しかし「ああ、終わってしまったな」ではもったいない。
他のチームの練習を見学し、レースにも足を運んでメモをつけることにした。過去2大会で金メダルを獲得していたドイツ人選手の漕法はとても参考になったという。ずっと観察して分かったことがあった。
ボールを漕ぐというより滑らせるというニュアンスなんだ、と。
オールを使ってどう漕ぐかは大切なのだが、それ以上に体でボートを動かしているんだと気づかされた。
この発想に基づけば、体幹を強化していこうとしていた自分の考えが「間違っていなかった」と確信を持つことができた。
逆三角形の肉体を目指す選手もいるなかで、世界トップクラスの選手の体型は「ドラム型」が多かったそうだ。腰回りに筋肉をつけて、ブレない体幹をつくりあげていけばいい。世界への道筋が見えた気がした。
オールをテコの支点として捉え、体幹と下半身の力でボートを滑らせていく漕法を確立させていく。翌1997年の全日本選手権のシングルスカルで初優勝を遂げ、揺るぎない日本の第一人者となっていく。2000年のシドニー五輪以降は軽量級ダブルスカルで勝負に挑み、シドニー、アテネと2大会続けて6位入賞を果たしてきた。
現状に甘んじてはいけない。
情報収集、観察、工夫を繰り返して今がある。高校時代からつけてきた競技ノートも数えられないくらいになった。振り返ることなく、先に進もうとしてきた。
東京五輪に向けたエルゴメータートライアルで通過はできなかった。だが、競技生活が終わるわけではない。これも競技者と指導者の2役をこなし、農家の後継者として農業に対する意欲も湧いている。
やりたいことをあきらめず、やりきろうとする力。武田には胸に刻む言葉があるという。
高校時代に教わった「It is up to you」。それはなにごとも君次第、という意味である。
そう、自分次第。
武田大作はなぜそこまで自分を貫くことができたのか。そこにはやはり愛する家族の存在があった。
2020年4月掲載