もっと試合に出たい、もっと練習がしたい
プレーヤーとして契約解除、チームのリーグ降格。気持ちがなえそうな経験をいくつもしながら、東京エクセレンスのGM兼プレーヤー、42歳の宮田諭はバスケットボールを辞めようと思ったことはない。
「よく聞かれるんですけどね。僕は大学でも2部のチームでそんなに試合出てないですし、トヨタ自動車アルバルクでも同じようにそんなに使ってもらえませんでした。バスケばっかりやっていたのに、それを披露する場がなかったんです。いまプロになっている選手ってずっとトップで、試合に出続けてきた人ばっかりじゃないですか。僕はそれとは違うので、いまでもすごく試合に出たいし、すごく練習がしたい。モチベーションが落ちない理由があるとしたら、そういうことなのかなあと思います」
成長が遅かったということもあるかもしれない。高校は強豪校ではなく、大学は関東大学リーグ2部のチームで専属のコーチがいるわけではなかった。もちろん学んだことは多かったが、1部のトップ校には及ばない。トップでやれる体もできておらず、大学に入ったときの体重は60キロもなかった。
トップリークだったJBLのトヨタ自動車アルバルクではじめてエリート選手たちとチームメイトになったものの、コーチの言っていることがよく分からず、育ってきた環境のギャップを感じたこともあった。
「あのころは、アルバルクでも一緒だった齋藤豊に『さっきコーチが言ってたこと、どういう意味なの?』なんてこっそり教わってましたから」
まだまだ自分には伸びしろがある。そう思いながら必死にプレーし続け、気がついたら42歳になっていたのかもしれない。
#スポーツを止めるなプロジェクト
宮田はいま、コロナ禍に端を発した競技横断型のプロジェクト「#スポーツを止めるな2020」というムーブメントに参加している。7月には「一般社団法人 スポーツを止めるな」が設立され、若いアスリートを応援するさまざまなプロジェクトを立ち上げている。その中で宮田が気に入っているのは「青春の宝」プロジェクトだ。
今年の中学3年生、高校3年生はコロナの影響で学生最後の大会がなくなってしまった。プロジェクトはこうした3年生たちに自分たちの最後の試合、あるいは紅白戦の映像を送ってもらい、プロ選手の解説とアナウンサーの実況をつけてプレゼントしようというもの。素敵な思い出を作ってもらい、自分たちの代がコロナによって被害を受けた、というネガティブなイメージを少しでも払拭してもらおう、という狙いだ。
「最後の大会って親御さんとか学校の友だちが見に来てくれたりする。がんばってきたところを最後は見てもらえる。そういう場って大事だと思うんですよ。そうじゃないと、僕が大学で4年間がんばってきたのに、試合に出られなくて悶々として終わったみたいな、そんな人が増えるような気がするんです。そういう学生が少しでも減ったらいいな、という思いがあります」
あのとき大人たちが素敵な思い出を作ってくれた。そんな思いが子どもたちに残れば、今度は自分たちが残った1、2年生たちに何かしてあげようとか、進学先や就職先でもそのスポーツを楽しもうとか、ファンになって応援する側に回ってみようとか、いろいろな関係が深まるのではないだろうか。宮田はそんなふうにも考えている。
長い競技人生でネットワークと視野が広がり、コートの外での役割も増えるようになった。それでもなお、まずはプレーヤーとしてコートで暴れ回りたい、という意欲が、42歳の現役プレーヤーの心を何よりも支えている。
新型コロナウイルスの特例により、来シーズンはB1、B2、B3の間でチームの入れ替えはない。財政的にもクラブの体力が落ちている状態で昇降格があると、クラブの存続に多大な影響を及ぼすのではないか、というリーグの判断である。
つまり東京エクセレンスは来季、B2ライセンスを再取得してB3で優勝しても、B2に上がることはできない。最短でもB2に上がるのは2シーズン後ということになる。
2シーズンは長いのではないか? そう問うと宮田はうれしそうに答えた。
「おかげさまであと2シーズンはやれますから。上がれば絶対にやりたいので、そうなるとあと3シーズンはやれます。1年でも長く? それは考えてないです。1年でも長くやろうとすると休んじゃうじゃないですか。それ、違うんですよ。いっぱいやりたいんですよ」
好きこそものの上手なれ―。
宮田の好きな言葉だ。
「まだ上手じゃないんですけど、好きで続けてきたから道も作ってこれたし、それなりに成長もできたと思うんです。遅咲き? それも違いますね。まだ咲いてないですから。つぼみくらいですから(笑)」。
まだ咲いていない42歳。今シーズンもはつらつとした姿がコートで見られるに違いない。
「好きこそものの上手なれ」終わり
2020年8月掲載