浅田真央は僕にとって最も思い入れのあるアスリートの一人です。なぜなら、僕はこの大会が始まる直前に彼女の公式写真集に携わらせてもらっていたからです。もともとは飲み友達の編集者から相談を受けて始まった仕事でしたが、そのおかげでオリンピックシーズンの彼女の全試合を撮影することができました。それまで特定の誰かを狙い続けた経験がなかったので、新しい撮り方を模索することができ、今の僕にとってもとても貴重な経験になりました。
彼女は幼いときから天才少女として常に注目を集めていた存在です。当時の総理大臣がコメントを求められほど話題になったのは、年齢制限で2006年のトリノ大会に出場ができなかったときでした。スポーツに絶対はありませんが、もし彼女が出場していれば金メダルは間違いなかったはずです。それほど当時の彼女は強かったのですが、その後は女子選手の宿命とも言える身体の成長と感覚のズレに苦しむ日々を送っていました。僕が追いかけることになった2009-2010シーズンはグランプリシリーズで過去最低の成績となり、一時はオリンピック出場すら危うい状況にまで追い込まれてしまいました。しかし、大阪で行われた全日本選手権で優勝を果たし、見事に五輪への出場を勝ち取りました。様々な苦難を乗り越えてやっとたどり着いた4年越しの夢舞台がバンクーバーのリンクだったのです。
その過程を撮影し続けてきた僕にとってもバンクーバーは大切な舞台でした。僕以上に彼女を追いかけ続けてきたJMCAの先輩フォトグラファーとフリースケーティングの日は何時に現場入りするか話し合うことになりました。というのも、当時のフィギュアスケートのフォトポジションは早いもの勝ちだったので、何時に到着するかはとても重要な要素だったからです。普通に考えれば、メディアバスの始発に乗るところですが、それだと他のフォトグラファーと差がつかないので、このときは始発よりも1時間ほど早い5時にタクシーで駆けつけることになりました。これは先輩からの提案でした。普段から仕事に対してガツガツする素振りを見せることのない先輩でしたが、実際は誰よりもアツい思いを内に秘めています。これまで何度も行動を共にしてきましたが、必要以上に早く現場入りすることはなかったのすが、寝ぼけ眼で乗り込んだタクシーの車内で「さすがに早すぎたかなぁ。俺らポールポジションなんじゃね?」と少しだけ興奮気味に話していたのが印象的でした。
まだ暗い闇に包まれた会場に到着すると、早足にプレス受付を目指しました。そして、僕たちは目を疑う光景を目の当たりにします。あわよくば先頭を狙えるかも知れないと思っていたのですが、そこには既にテープや荷物が置かれた待機列ができていたのです。辺りを見回すと広いプレスルームに10数人のカメラマンが机に突っ伏していました。その中に知っている顔があったので、話を聞いてみると、彼らは昨夜から待機列を作り始めたそうです。そして、1時間に1度点呼があって、その場にいない人の荷物は弾くというルールがあったようです。その場にいたのはほとんどが日本の新聞社のカメラマンでしたが、彼らは昨日の公式練習取材から一度も帰らずに、プレスルームにいたそうです。昨日の練習開始が10時で、終わったのは22時くらいでした。今は明けて5時。受付開始は10時、競技終了が22時予定でしたから、彼らはシャワーを浴びることもなく、36時間は会場にいる覚悟を決めていたのです。この瞬間、僕の脳内では「24時間、たたかーえますか? ビジネスマーン、ビジネスマーン、ジャパニィィィズ、ビジネスマン!」のメロディが再生されていました。
浅田真央のフリースケーティングはラフマニノフの「鐘」でした。重厚なメロディにロシアの金メダルメーカーとも呼ばれるタチアナ・タラソワが振り付けた演技は、あまりの難易度の高さに批判的な声も聞かれるほどでしたが、今見ても心が震えるプログラムです。おそらくこの日の彼女の写真が表紙に採用されるだろうと考えていた僕はどの瞬間を狙うか、数日前から考え続けていました。2本組み込まれているトリプルアクセルを成功させた直後か、鬼気迫る表情が印象的なスパイラルか、長い手足を存分に使って見せるステップか、、。何を撮るかによってフォトポジションも変わってきます。その選択肢を増やすためにも早い順番でポジションを選びたかったのですが、想定外の状況で出遅れてしまい、あまり選択肢が残されていない中で僕が選んだのはジャッジ席の真裏のポジション。ロングサイドのど真ん中あたりでした。フィギュアスケートはジャッジに向かって表情を作ることが多い上に、このポジションでは背景にジャッジが映り込んでしまうので、あまり良い場所とは言えませんでした。それでも僕がここを選んだ理由は、スピンを終えると同時に曲が終わり、両腕を天高く掲げる最後の瞬間を狙うためでした。彼女が戦ってきた4年間の想いが溢れるだろう瞬間の表情を切り取りたいと思ったのです。
この日の狙いが決まってから、僕はスピードスケートのときのように彼女の演技でのシミュレーションを兼ねた撮影を意識していました。最後の表情をなるべく大きく撮りたかったので、レンズの焦点距離を1.4倍にしてくれるエクステンダーをボディとレンズの間にかませることにしたのですが、エクステンダーを入れたままだと、最後の瞬間以外は絵が大きくなりすぎてしまいます。そこで僕は最後のスピンに入るまではエクステンダーなしで撮影をして、スピンを始めたら手早くエクステンダーを装着することにしたのです。彼女の直前に滑ったライバル、キム・ヨナまでは問題なく撮影することができました。そして、いよいよ彼女の登場です。プログラム構成は頭の中にしっかりと入っています。しかし、ここでもガラスメンタルが発動した僕は、膝が震えて立っているのがやっとの状況になっていました。そして、あっという間に演技が終わり、撮影した画像を手早く確認しているとき、我に返りました。
「あれ、、だいぶ大きいな、、あッ!!!!」
なんと演技の全編をエクステンダー付きで撮影していたのです。本来であれば、キム・ヨナの演技が終わったら外さなければならなかったのですが、キム・ヨナと入れ替わるように彼女がリンクに上がった影響でそのままの状態で撮影に入ってしまったのです。ここでも自らの経験不足がモロにでてしまい、想像していた撮影をすることができませんでした。それでも最後の瞬間で彼女の表情を切り取ることができたのは、唯一の救いとなりました。
続く
2009年、モスクワで行われたロステレコム杯。バンクーバーで撮りたいと思った瞬間の背中バージョン
2024年1月公開