編集長 プロレス担当だった1998年にスポニチを退社することになります。
古 川 書くことは面白かった。でも記者の仕事は一生やる仕事じゃないなって、途中から思うようになっていた。どっちかと言うと、俺は選手と一緒に戦っていきたいタイプで、もっと真剣勝負のなかに生きたい。そうやって悩んでいたら誰かが「それならスポーツトレーナーじゃないか」って。ああそうだなと思って、鍼灸師の専門学校に行くための勉強をやるようになったんだよね。
編集長 ボクサーのときもそうですけど、一度決めたら決して後ろを振り向かない。
古 川 自分でもそうだと思う。
編集長 専門学校に通いながら、併行して治療院で修行していくわけですよね。
古 川 スポニチの同僚がJリーグの湘南ベルマーレでトレーナーを務めていた三宅公利さんを紹介してくれて「三宅鍼灸スポーツマッサージ接骨院」で修行させてもらえることに。
編集長 アラサーになってイチから修行ですか。大変そうですが。
古 川 俺よりも全然若い人が先輩になって、その人たちから怒られるわけだからね(笑)。買い物や治療院の掃除、トイレ掃除からやったし、時間が空いたときに先輩の体を借りて練習させてもらって。まあでも段々と患者さんを任されるようになって、ステップアップさせてくれた。感謝しかないよ。
編集長 鍼灸師やあん摩マッサージ指圧師の資格を取って、最初は治療系の仕事が多かったとか。
古 川 専修大学の野球部やラグビー部、湘南ベルマーレとか、選手たちの体を見させてもらうようになって。最初のころは必死だったね。
編集長 湘南のトレーナーを務めていたころに、女子ソフトボール日本代表監督の宇津木妙子さんから連絡があった、と。
古 川 スポニチを退社する際に「スポーツトレーナーになります」と挨拶をして「いずれ一緒にやろうよ」と言ってくれたんだよね。そうしたらアテネオリンピックの2年前かな、「全日本でトレーナーを探している。どう?」と声を掛けてくれた。いつも宇津木さんから連絡があるときはマネージャーさんが最初に出てきて、宇津木さんが代わるっていうパターンだったんだけど、このときは直接。そういうのもうれしかった。
編集長 全日本と日立高崎(のちに日立&ルネサス高崎などチーム名を変えていき、現在はビックカメラ女子ソフトボール高崎)合わせて、9年間もソフトボールに全面的にかかわっていくことになるとは思わなかったね。
アテネオリンピックで女子ソフトボール日本代表のトレーナーを務めた古川さん。坂本直子選手のケアをしている際の写真
編集長 アテネオリンピックはどうでした?
古 川 記憶にあるのは毎日、必死でやっていたっていうことくらいだね。金メダルが期待されて結局は銅メダルに終わったけど、選手と一緒に真剣勝負のなかにいることができたのは幸せだった。
編集長 「真剣勝負」というキーワードから見ていくと、あのエピソードがパッと思い浮かびます。
古 川 ああ、峰(幸代)の骨折ね。
編集長 ちょっと説明させていただきますね。峰捕手は上野由岐子投手の剛速球をずっと受けてきた相棒役。北京オリンピックで悲願の金メダル獲得に貢献しました。しかし実は北京の前に右手親指を骨折してしまう大ピンチに見舞われています。骨折が明るみになると代表選考から漏れる可能性もあった。そこで水面下で手術、リハビリを行なって、何とか間に合わせたという流れだったと思います。代表を離れてチームのトレーナーを務めていた古川さんが当時、担当されていました。
古 川 まず骨折が表に出てしまうとメンバーに選ばれない可能性もあって、手術してリハビリしていけばギリギリ間に合うと。骨がつくと同時に動かすリハビリをやっていかないといけなかった。峰は俺のことを「鬼」とか言っていたらしいけど、通常のリハビリのペースじゃ絶対に間に合わない。だから敢えて煽ったところもある。彼女は凄くのんびり屋さんなところがあるので。
編集長 まさに真剣勝負、まさに一緒に戦う、ですね。
古 川 オリンピックって人生で一度チャンスがあるかどうか。次のオリンピックから除外が決まっていたし、このワンチャンスを活かさなきゃって思って取り組んでもらわないといけない。
編集長 ただ単に「支える」っていうだけじゃなくて、「引っ張り上げる」のもトレーナーの仕事なんですね。
古 川 俺が考えるトレーナーとアスリートの関係性は対等。泣き言を言わさないのもトレーナーの仕事だと思っているから。それに仕事は治療だけではなくて、メンタルやコンディション、トレーニングのところも指摘させてもらっている。自分も当然だけどプロ意識を持っている。というよりトレーナーという競技種目を選んだアスリートだと思っている。そこは真剣に選手たちとも向き合っているつもり。
編集長 ソフトボールの世界だけでなく、スケートショートトラック日本代表のトレーナーやパラリンピックアスリートのパーソナルトレーナーを務めるなどスポーツトレーナーとして活躍を広げていきます。前橋には、ふるかわマッサージ療院を開いて多くのアスリートが訪れています。
ふるかわマッサージ療院にはアスリートのお宝グッズがズラリ
古 川 実はここ何年かはスポーツトレーナーとしての「死に場所」を探しているところがあるんだよね。
編集長 えっ、どういうことですか?
古 川 散々スポーツトレーナーとして経験させてもらったし、もう年齢的にもジジイだから(笑)。もう1回納得できる仕事ができたら、次のチャレンジを見つけたいと思っている。真剣勝負できる仕事が、ほかにもあるんじゃないかなと。もちろん何か見つかったわけじゃないし、スポーツというラインを外すつもりもないけどね。
編集長 一つの道に安住しないのが古川さんらしいですね。
古 川 良いか悪いかは別として。妻にも支えてもらっているし、そこは感謝している。ただ、年齢を重ねても真剣勝負を続けていきたいよね。それがやっぱり自分だと思っているから。
前橋育英高で行なったトレーニング指導。幅広い活動を展開している
(写真はすべて古川雅貴さん提供)
超レア様に会ってきた! 古川雅貴篇 終わり
2020年10月公開