プロ野球の裏方で活躍する職人に迫った『スカウト』
著者の後藤正治さんと言えば、学生時代から何冊もその秀作に触れ、「自分もいつの日かこういうものを書きたい」とあこがれた作品をいくつも発表しているノンフィクション作家だ。医療問題を扱った作品も数多く手がけているが、私にとって後藤さんといえばやっぱりスポーツノンフィクションの印象が強い。
本書『スカウト』(講談社文庫)は1998年の出版。その名の通りプロ野球の裏方で活躍するスカウトたちの物語だ。主人公の木庭教さんは広島カープで40年にわたりスカウト活動にいそしみ、後年は“スカウトの神様”とまで呼ばれた人物である。
広島といえば2009年におしゃれな“ボールパーク”MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島を完成させ、“カープ女子”なる言葉が生まれてからもだいぶ経つ。2016年から18年にかけてはリーグ3連覇をはたしており、いまやセ・リーグを代表するチームと多くの人が感じていることだろう。
しかし、木庭さんが1956年にスカウトになったころ、カープは本当に弱かった。お荷物球団、貧乏球団と呼ばれていたのだ。そんなお金も人もいない弱小球団をいかに強くするのか。木庭さんはスカウトという立場から強化に奔走し、1975年のリーグ初優勝の土台を作ったのである。
木庭さんがスカウトした選手は、2215試合という連続試合出場の日本記録を打ち立てた“鉄人”衣笠祥雄、同じ赤ヘル黄金時代に活躍した池谷公二郎や高橋慶彦、珍プレーの常連でもあった名捕手の達川光男、80年代から90年代にかけてのエース川口和久ら枚挙にいとまがない。5人以外にも広島の日本一に貢献した数多くの選手が木庭さんのお眼鏡にかなって入団していた。
後藤さんは1994年夏から足かけ3年にわたって木庭さんのスカウト活動に同行してこの本を書いた。スカウトという仕事は旅の連続であり、全国を歩き回り、たいていは「これは」というような選手には出会えない。どこかほのぼのとしながら、時にもの悲しさを感じさせる旅の情景と、木庭さんが話すプロ野球界の数々のエピソードが重なりながら物語は進んでいく。
昔のスカウトは耳と足と目が命だった。ネットワークを張り巡らせて選手の情報を集め、学校のグラウンドに、球場に、足繁く通って選手の動きを自分の目で確かめる。選手の家族構成や家庭環境、性格までを丹念に調べ、その選手がプロ向きかどうかを判断する。そうやって他球団のスカウトたちが赤丸をつけなかった選手を掘り起こし、その選手がプロの世界で活躍すれば、スカウト冥利に尽きるということになる。
また、ダイヤの原石を発見するだけがスカウトの仕事ではない。たとえばドラフトで何位に指名するか、指名した場合に入団してくれるのか、というところの見極めも重要になる。「契約金をいかに安く抑えるか」も腕の見せどころ。特に当時の広島のような貧乏球団であれば、これは死活問題と言えた。
たとえば目をつけた選手が、ドラフトで他球団から指名されないと判断すれば、広島も指名しないでドラフト外での獲得を目指す。そうすれ契約金が安くすむからだ。ドラフト外での入団となれば当然、選手本人も家族もいい気持ちはしない。そこをていねいに説得し、気持ちよく広島に来てもらうのもスカウトの仕事だという。
ウソの情報を流して社会人選手の獲得に結びつけるエピソードは面白い。たとえば無名時代からチェックしていた選手が全国クラスの選手になったとしよう。当然、他球団のスカウトも触手を伸ばし始める。そこで木庭さんは選手に言うのだ。
「けがをしたことにして、社会人野球の試合で投げるな」。
この選手は「チームに申し訳ない」と思いながら、1シーズンを通して「けがで投げられません」と言い続け(実際には2試合投げてしまったが)、他球団のマークを外し、無事に広島に入ることができた。この程度のことは昔ならどの球団でもやっていることで、職業倫理にもとることはないという。害のない程度にウソをついたり、だまし合ったりすることもスカウトの仕事なのである。
本書は木庭さんを主人公としつつ、木庭さんのライバルである他球団のスカウトや、木庭さんにスカウトされてプロの世界に入りながら、結果を残せずに去って行った人たちへの取材も手厚い。知っている名選手の名前が出てくるたびに「おっ」とうれしくなり、名前すら知らない選手が数多く登場することで、スカウトという職業の奥深さを知る。
一つの道を徹底して極める職人の話はどんな世界にいる人でも面白い。それを丹念に掘り起こした後藤さんの腕もまた職人芸だ。「あとがき」を読むと、後藤さんはこの本の取材を進めていた時期に50歳を超えたと明かしている。久々に本書を手にした49歳の私も書き手としてあらためて刺激をもらった一冊だった。
おわり
2021年3月公開