芸能人女子フットサル大会で活躍
大学を卒業して松竹芸能に入ったものの、芸能界は黙っていれば仕事が舞い込んでくるような甘い世界ではない。本社の地下にある養成所に週1で通い、発声練習や演技の指導などを受けながら、「何か売りがなければダメだ」と焦りを感じる日々を送った。
そんなとき、声をかけてくれたのが板東英二のモノマネで知られるタレントのかみじょうたけしだった。
「こんなところ(養成所)にいたってマネジャーも見に来てくれへんねんから、上の階の事務所に顔を出してマネジャーに『髙宮悠子です、私は●●をやりたいんです』ってアピールしないとあかん」
自分のアピールポイントは何か。考えれば考えるほど、ハンドボールで培った体力と運動能力の高さしかないと思った。そのことをマネジャーに伝えると、松竹芸能には野球部とサッカー部があることを教わる。
サッカーの試合の相手は広告代理店やTV局の面々。サッカーはやったことないけど、一人でも多くの人に知ってもらおうと、サッカー部に入ってみた。そこでかわいがってくれてたのが事務所の先輩、安田大サーカスであり、お笑いコンビTKOだった。
チームは開幕節で初勝利の好調なスタートを切った
そして2004年にチャンスが巡ってくる。フジテレビが主催している人気イベント『お台場冒険王』の中で芸能人女子フットサル大会を開くことになり、安田大サーカスの団長安田が「大阪にすげーのいますよ」と東京の事務所に売り込んでくれたのだ。
「松竹芸能の東京のマネジャーがすごい怖い人で、『お前が髙宮か。お前ほんまにフットサルできんのか』と聞かれて…フットサルはやったことなかったですけど『できます』としか答えられませんでした」
やるしかなかった。大会にはモーニング娘のメンバーらすでに知名度のあるタレントやグラビアアイドルが出場していた。名前のある人たちはただ出場するだけでもいい。無名の髙宮は違う。フットサルの実力で勝負するしかなかった。
ガチでやってやる!
もともとハンドでとことん鍛えた運動能力には自信がある。そんじょそこらのアイドルやタレントに負けるわけがない。髙宮はチーム「蹴竹G(シュウチクジー)」のキャプテンを務め、09年にこの企画が終わるまで中心選手として活躍した。
芸能人女子サッカーがなかなかの盛り上がりを見せたこともあり、このころはテレビ番組に出演する機会も大阪を中心に増えた。やがてブームが落ち着ちつき、髙宮もタレントとしての仕事は徐々に減っていった。
髙宮はフットサルで活躍する一方で、何か仕事においてハンドボールとの関わりを持てないかとも考えていた。それがハンドボールの試合中継でのベンチレポーター、ハンドボール会場でのMCという仕事につながっていく。20代半ばのことだった。
「松竹に入ったとき、売れっ子になればハンドボールのことをなんぼでもしゃべれる、という思いがあったんです。それをやったのが『スポーツマンNo.1決定戦』で優勝し、ハンドボールに一躍注目を集めた宮崎大輔選手ですよね。私もああいうことがしたいという思いはありました」
宮崎は日本代表選手として活躍し、海外でプレーするなど選手として多大な実績を残す一方で、決してメジャーとは言えないハンドボールの伝道師としてハンドボールの魅力を多くの人に伝えた。髙宮も自分のできる範囲で、ハンドボールの素晴らしさをできるだけ多くの人たちに知ってもらいたいと願っている。
髙宮はハラハラ、ドキドキしながら今シーズンを見守る
ジークスター若手選手の成長に期待
30歳で22歳から8年間お世話になった松竹芸能を辞め、31歳になる年に結婚し、娘を出産した。これを機に仕事の量は減らしたものの、ハンドボールの仕事だけは辞めようと思わなかった。出産後1ヶ月ほどで赤ん坊を抱いて試合会場に出かけ、ハーフタイムに授乳しながらMCを務めたこともあった。前夫とは離婚。仕事先のハンドボール会場に何度も一緒に連れて行った愛娘は小学校2年生になった。
「大学を卒業してからもジャパンオープンという草ハンドボールのトップを決める大会とか、国体とかに出場していました。娘を産むまではプレーもしていました。やっぱりハンドボールと出会っていなかったらいまの自分はないですし、礼儀から人とのコミュニケーションから、すべてをハンドボールで教わりましたから」
いまはプレーを離れ、ジークスター東京の成長と、オリンピックでMCができることを楽しみにしながらハンドボールに携わっている。チームは8月29日開幕の日本リーグでトヨタ車体と対戦。27-34で敗れたものの、翌日はトヨタ自動車東日本に31-28で勝利し、記念すべき日本リーグ初勝利を飾った。
髙宮は国内最高峰リーグで戦う選手たちの姿を時にやさしく、時に厳しい目で見守っている。
「まだ始まったばかりですけど、1シーズン戦い終えたとき、選手たちは人間として成長していると思うんです。シーズン始まるときの写真とシーズンが終わったときの写真では表情が全然違っていると思う。そこに私はすごく期待しているんです。もまれて、もまれて、成長する。新規参入で勝つのは簡単じゃないと思いますけど、若いチームなんで成長に期待しています」
ジークスターのチャレンジはいま始まったばかりだ。これから山もあれば、厳しい谷も待っているに違いない。マネジャー、髙宮悠子の出番もひっきりなしにあることだろう。
ジークスター東京物語 髙宮悠子篇 終わり
2020年9月掲載