東京に17年ぶりにハンドボールのチームが誕生
日本ハンドボールリーグの開幕をおよそ1ヶ月後に控えた2020年7月28日、国内最高峰リーグに新たに参戦するジークスター東京の新体制発表記者会見が開かれた。東京を拠点とするチームが日本ハンドボールリーグでプレーするのは実に17年ぶりのことだ。
時は折しも新型コロナウイルスの感染が拡大、オンラインでの会見だから「華々しい」とは言いがたいお披露目となったが、インターネットを通じても、ジークスターの新シーズンにかける熱い思いはしっかりと伝わってきた。
監督の横地康介がチーム体制について説明した。
「ジークスターの目指すものは3つあります。ハイレベルなハンドボール観戦機会を多くの人に提供すること。地域社会に貢献して地域に愛されること。ITとスポーツをかけあわせた新たなスポーツを創設すること。チーム目標は3年以内に日本一を目指します」
続いて選手がモデルとなり、ユニフォームが発表された。ホームが白、アウェーが黒を基調としたデザインで、素人目にも「かっこいいな」と思わせるインパクトがある。このあと、IT技術の活用に関する説明、記者との質疑応答をへて、記者会見は終了した。
マネジャーの髙宮は可能な限り練習にも立ち会う
司会を務めたジークスター東京のマネジャー、髙宮悠子は無事に記者会見を終えた安堵感に包まれながら、同時に「やっとここまでこれた」という軽い興奮を味わっていた。
なぜなら髙宮はジークスター東京というクラブチームが立ち上がる、その夢物語のような構想の初期段階から関わっていた一人だったからだ。
「もう5年くらい前の話になります。大学時代のハンドボール部の同級生と、もう一人の友人が『東京にハンドボールクラブを作りたい』と打ち明けたのが始まりでした。でも、そのときは素敵な夢だとは思いましたけど、正直なところ『いやいや、難しいでしょ?』と思っていたんです」
半信半疑の髙宮をよそに、やがて友人たちは有言実行とばかりに本当に立ち上がった。2017年の話だ。ゼネラルマネジャーを置き、頭の切れるスタッフを集めた。選手のトライアウトを実施するなど、いよいよチーム作りが本格的に動き始めたのである。髙宮は2018年1月のトライアウトから裏方の一員として協力した。
2018年の4月には日本代表選手でもあった横地が監督に就任。あくまで「お手伝い」という立場で参加した髙宮も気がつけば、チームを立ち上げていく中心的な立場で動くようになっていった。
こうしてジークスター東京の前身となる東京トライスターズは曲がりなりにもチームとしての形を整え、9月に開幕した日本ハンドボールリーグの下部リーグにあたるチャレンジ・ディビジョンに参戦したのである。
「いまでもそうですけど、去年までは何でもやりました。宿舎ひとつ探すのも初めての経験で、『じゃらん』を見て、『楽天トラベル』を見て、安いところを探しまくって。お金はないのに選手は『一人部屋がいい』って言うし(笑)。レンタカーを3台借りて監督と私、トレーナーが運転して試合に行ったこともあります。トレーナーの手が足りなければドリンク作ったり、ユニフォームを用意したり。本当になんでもやりましたよ」
ジークスター東京 2020年悲願の日本リーグ参戦
髙宮は2019年シーズンが始まる前に大事な仕事をひとつやり終えていた。チームが2020年の日本リーグに参戦できるよう、日本ハンドボールリーグ機構に申請書類を提出し、機構にそれを認めてもらう作業だった。
サッカーのJリーグやバスケットボールのBリーグと同じように、日本ハンドボールリーグに参戦するには財政基盤やアリーナ、戦力等が定められた基準を満たしていなければならない。チームが申請書類を提出し、リーグ機構がそれを審査した上で合格のお墨付きを与え、晴れてリーグ参戦が認められるのだ。
「2019年の6月に書類を出して、7月に申請が通りました。リーグともよく話しましたし、大丈夫だという感覚はあったんですけど、正式に認められるまでは心配でした。もしダメと言われたらチームは終わるくらいに思っていましたから」
シーズン前開幕目前、選手達の表情も真剣だ
この時点で、スポンサーからバックアップを受けられる見通しは立っていたものの、まだ正式には決まっていなかった。何より選手のモチベーションが保てないのではないか、というのがチームの存続を心配した理由だった。
「みんな仕事を持ちながらハンドボールに青春を捧げていますけど、それも日本リーグでプレーできると思っているからこそです。国内最高峰のリーグでプレーできるから、仕事を終えた夜でも高いモチベーションで練習できる。もし2020年に参戦できなかったら、あきらめて地元に帰ってしまう選手もおそらく出たんじゃないかと思います」
実はトライアウト前に選手とうまくコミュニケーションが取れておらず、2019年の段階で日本リーグに参戦できると誤解していた選手もいたという。このような状況で2020年もシーズンに参戦できなかったら…。髙宮が気をもんだのにはこうした事情もあったからだ。
そして申請が通り、ITコンサルディング大手のフューチャー株式会社が正式にメインスポンサーとなる。同じフューチャー・グループのライブリッツ株式会社は最先端のIT技術を活用して、プロ野球の福岡ソフトバンクホークスをはじめ、多くのスポーツチームを、データ分析や映像分析、コンディショニング管理などで支えている。ジークスターが「IT技術を駆使」とうたうのはここに理由がある。
ちなみにフューチャーグループCEOの金丸恭文は高校、大学時代にハンドボールをプレーしていたことも書き加えておきたい。ハンドボール愛あってこそのスポンサードなのだ。
立ち上げメンバーだった友人たちが方向性の違いからチームを離れていったのは寂しかったが、こうしてチーム体制はようやく形となる。新たなチーム名はハンドボールの本場、ドイツ語で勝利を意味するジークと、勝ち星のスターを掛け合わせてジークスター東京となった。2020年、マネジャーの仕事はますます忙しくなっていった。
2020年9月掲載