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レフェリー ボクシング審判員 中村勝彦 VOL.4

世界タイトルマッチの舞台へ IBFに活路を見いだす

ボクシングの公式審判員、中村勝彦は40歳でレフェリーになり、56歳になったいまは世界タイトルマッチを裁く機会も増え、日本を代表する審判員の一人となった。

世界タイトルマッチのレフェリー、ジャッジは統括団体によって指名される。世界には主要4団体と言われるWBA、WBC、IBF、WBOがあり、審判員は選ばれさえすればどの団体の世界戦でも審判を務めることができる。ただし、世界最大の規模を誇るWBCは団体をまたにかける審判員をあまり好まないという。

提供:中村勝彦

 

中村が初めて世界タイトルマッチのレフェリーを務めたのは2010年、WBC女子ミニマム級タイトルマッチ、元王者の菊地奈々子が王者アナベル・オルティスに挑んだ試合だった。女子の試合をいくつか任された中村は、次に男子世界戦の舞台にも上がりたいと考えていた。

好機が巡ってきたのは2013年の春だった。それまでWBAとWBCしか認めていなかった日本ボクシングコミッションがIBFとWBOにも正式に加盟することになったのだ。つまり日本絡みのIBFやWBOの世界タイトルマッチが増える。中村の頭にひらめくものがあった。

「WBCの総会に出たことがあるのですが、ものすごく盛大で、ものすごい人数が参加していました。これは厳しいなと。既に活躍している日本人レフェリーもいますし、簡単に出番は回ってこないと感じました。その点、IBFは団体も小さいですし、日本人審判員がほかにいない。狙うならIBFだと思いました」

世界タイトルマッチの審判員にどうすれば選ばれるのか。日本ボクシングコミッションから推薦してもらう方法もあるが、何より大切なのは顔を売ることだ。気心が知れている人、信頼できる人に仕事を頼むのは洋の東西を問わず世の常。知ってもらうためには、仕事の調整と自腹を切る痛手はあっても年に一度の総会に出席することが必要不可欠だった。

IBFにターゲットを絞った理由は、団体の規模が小さいだけではない。日本がIBFに加盟するにあたり、ダリル・ピープルズIBF会長が13年3月に日本を視察に訪れた。その際に後楽園ホールで試合を観戦し、中村のレフェリングを見ていたのである。

「その試合で選手が眼窩底骨折をしたんです。試合は続いていたのでお客さんには分からなかったと思いますが、私はその選手の左目の焦点がおかしいことに気がついてドクターに診せました。そうしたらやはり骨折していたので、そこで試合を終わらせました。あとから聞いた話ですが、IBFの会長が『いいレフェリーだね』と言ってくれたそうです。そういうことがあって、こちらもIBFにいい印象を持っていたんです」

提供:中村勝彦

 

中村はその年の5月に開かれたIBF総会に乗り込んだ。このような総会で日本人参加者は言葉の壁もあっておとなしくしている人が多い。WBC総会でそう感じていた中村はここで一計を案じる。

一冊の洋書『Third Man in the Ring』がキーアイテムとなった。レフェリーについて書かれた本で、中村はこれを総会に持ち込み、本に登場する人物を探してサインを求めたのだ。たどたどしい英語で話しかけると彼らは気さくに応じてくれた。数々のビッグマッチを裁くトップレフェリー、ジャック・リースはサインをくれただけでなく、「おい、他の連中のサインはもらったのか?」と新参者の肩を叩き、何人ものレフェリーを紹介してくれた。

「レフェリー、ジャッジ、スーパーバイザー(立会人)はひとつのチームです。やっぱり気心の知れたメンバーで組んだほうがいい。最初はサイン作戦でしたが、浴衣を着て総会に出たこともありました。そうやって覚えてもらい、人間関係を作り、IBFの世界タイトルマッチでジャッジやレフェリーに指名してもらえるようになったんです」

こうして中村はステップアップし、世界戦のリングで仕事をするようになった。同時に多国籍チームで仕事をする難しさにも直面した。2015年4月22日、大阪府立体育館で開催されたIBF世界ミニマム級タイトルマッチは大きな試練となった。

世界タイトルマッチでまさかのミスジャッジ!?

チャンピオンの高山勝成にタイのファーラン・サックリンJrが挑戦した試合は、高山の傷が原因で9ラウンドに試合続行不可能という形で幕を閉じた。レフェリーを務めた中村はこれを偶然のバッティングによる傷と判断し、負傷判定を適用。その結果、高山が判定勝ちして初防衛に成功した。

これに対してファーラン陣営は「高山の傷は正当な攻撃による傷だ」と主張。その通りならファーランのTKO勝ちとなる。ありがちな主張であり、中村はタイ陣営に事情を説明し、オフィシャルの理解も十分に得たと考えていた。

ところが―。

オーストラリア人のスーパーバイザーが「私はファーランのTKO勝ちだと思った」との報告書をIBFに提出したことで事態は風雲急を告げる。もしミスジャッジが認定されれば中村のレフェリーとしての信用は大きく損なわれる。リング外の戦いが始まった。

「IBFの会長からも報告書を出してほしいと直接言われて、必死になって英語の報告書を作り、何日もかけてビデオクリップもつけて提出しました。最終的に公聴会も開かれて、レフェリーの判断に瑕疵なし、という結論になりました」

このときのスーパーバイザーは試合の3ヶ月後にがんで亡くなっている。高山の試合でも体調がかなり悪かったと想像されるが、レフェリーとスーパーバイザーとのコミュニケーションが不十分だったという反省点は残った。

「自分は理解してもらっているつもりでしたけど、結果的にそうではなかった。まだ世界戦の経験も浅かったので、そういうことが起きると予想もできていなかった。ほんとにいい経験になりました。英語もより勉強するようになりました」

こうして中村のキャリアを振り返ると、レフェリングの技術もさることながら海外で自らの存在をアピールするなど、いままでの日本人審判員にはないアクションを起こしてきたことが分かる。

それはひょっとすると中村がこれまで社会人として歩んできたキャリアと関係があるのかもしれない。

世界タイトルマッチのレフェリーを務める男には探偵という別の顔があった。

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2020年10月公開

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