――続いてのテーマに入りたいと思います。小原さんが思う、競技としてのスケボーの魅力とはなんでしょうか?
やっぱり大会の緊張感じゃないですかね。ずっと練習していた人たちがたった1分くらいの間に持っているものを一気にミスせず出して。ちょっと体操に近いですよね、オリジナリティと美的感覚が必要ですし。僕自身競技としてのスケボーをしてきたわけではないですが、特にオリジナリティという点では一緒です。
――スケーターはパークとストリート、どっちが多いとかあるのでしょうか?それとも皆様どっちもやるんでしょうか?
基本はストリートで、スケボー一個あればどこでもできるってことが魅力じゃないですか。でもスケボー人口が増えてくれば周りの目も厳しくなるわけで、パークでしか滑れなかったり、スケボーを競技として捉えている人はそっち(パーク)で滑ったりもしますよね。スケボー自体が自由なものなので、その中で(パークやストリートなど)色んなジャンルがあるのはいいことだと思っています。
――日本におけるスケボーの競技環境はどのような変化がありましたか?特に10代・20代の若い選手の活躍が目立ちます。
そうですね、一気に環境が変わりました。スケボーのレベルでも、日本人は特に急激に上がりましたね。ただそれはなぜかというと、スケボーパークが増えたからだと思います。小さい時からパークで滑ることができるんです。(ストリートの)道にはそういう場所って中々出会えないじゃないですか。でもパークだといつでもそれが自由に出来る、そんな環境が少しずつ整ってきたことが大きいなと。
――なるほど、小さい子どもでもスケボーができるという点でパークの意義は大きいですね。
小さい頃からやっていると、成長のスピードがものすごく早いんですよ。今は(スケボーの)映像もある、YouTubeもある、何でも吸収できるものがあるじゃないですか。昔はテレビではやってなかったですし、ビデオもそんなに多くなかった。でも今はすぐに大会の映像がニュースになったりするくらい、身近な存在ですよね。やっぱり日本人選手が世界で活躍するようになったのは、大きいことだと思います。
――確かに現在は世界のトップ層に多くの日本人選手がいますね。
オリンピックってストリートとパークそれぞれ男女あって、メダルは3種類だから全部で12個メダルがあるじゃないですか。ひょっとすると、その半分以上を日本人が獲るかもしれませんよ。それくらいのレベルに、日本はいるんです。もしそうなったら、スケボーも大変なことになっちゃいますよね。本当に変わると思います。その辺にでっかい(スケボー)パークできますね (笑)
――そんなに期待値が高いのですね!凄い!小原さんが特に期待している選手はいますか?
やっぱりみんなが言ってますけど、堀米(雄斗)君は別格ですよね。
――先日彼がSNSで車を買ったとアップした車種が「テスラ」だったのでびっくりしました。22歳でテスラが買えるスケボーという競技は夢があるなと。
彼はアメリカが拠点のトップアスリートだからそういうところまで行けるんですが、日本はまだまだなので少しでもその環境に追いついていかないといけないですよね。
――日本のスケボー環境整備という点では、小原さんは「池袋スケートボード推進委員会」の代表も務めていますよね。この活動はどのような経緯でスタートしたのでしょうか?
もともと僕自身が池袋の色々なところでスケボーをしてきましたが、怒られたりすることもあれば、スケボーができないこともあり、色々なローカルスポットが潰されてきました。そんな中で「やっぱりスケートパークって必要だよね」と思ったんです。スケボーの市民権じゃないですけど、許可されてる場所が区にひとつは必要なんじゃないかなと。
――この推進委員会の活動はいつ頃からはじめたんですか?
4-5年前からですかね。はじめの頃は全然取り合ってもらえなかったんですよ。ただ東京オリンピックが決まってからですかね、その風向きが変わってきました。僕たちも「オリンピック競技ですよ!」という攻め方が出来ましたし、それだけ世界も注目しているということを区には伝えました。
――豊島区にスケボーパークを作ろうという取り組みをされているというニュース記事も拝見しました。現在はどのような活動をされているのでしょうか?
実はもう池袋にパークは出来ていて、テスト走行をしているんですよ。オープンしようと思えばいつでも出来るんですが、今世の中が(コロナ禍で)こんな状況なので人を集めましょうというわけには行かなくて。
――もう出来ているんですね!凄い!場所はどのあたりなんですか?
東池袋ですね。池袋駅の東口を出て、パルコの脇を線路沿いにちょっと進んだところにあって。今日もちょうど豊島区と打ち合わせをしてきたんです。今は一般の人へのテスト開放など、オープンに向けて少しずつ形にしていこうという段階ですね。
――小原さんの尽力も含めこうして少しずつ日本のスケボー環境が整備されているんですね。最後の質問ですが、日本のスケートボード界のこれからに対する小原さんの想いを聞かせてください。
僕はもうこれだけスケボーに関わってきましたから、やっぱり楽しいんです。スケボーって年齢も人種も関係ないんですよね、誰でも・いつからでも始めることができますし。もちろん他のスポーツもそうなんでしょうけど、グラウンドがなくたって、パークじゃなくたってできます。そんなスケボーの楽しさが、オリンピックを通じて少しでも多くの人に知ってもらえたらいいですよね。僕たちは楽しさを供給する側なので、盛り上がった時にはいつでもすぐ対応出来るように日々やっています。
本当にあっという間に取材の時間が終わってしまいました。
弱冠15歳で突如として始まったアメリカ生活。英語が不自由で高校のバスケットボール部に入ることも叶わなかった小原さんが手にした”言語”、それがスケボーだったのです。
そして大学受験のために一時帰国したにもかかわらず、池袋で出会ったスケボー仲間との時間に魅せられ遊びつくした結果すべて不合格。そのためまたアメリカに戻ってスケボーショップで働き、19歳からはスケートの本場である西海岸カリフォルニアへ。たまたま現地に訪れた社長との縁で、25歳で帰国した後に「カリフォルニアストリート」で働くように。
1本の映画になりそうなほどの波乱万丈なストーリーを経て、今はその店のストアディレクターとなりました。さらには自身でブランドを立ち上げたり、スケートカメラマンとして活動していたり、自身のルーツでもある池袋にスケボーパークをつくるために行政と向き合っていたりと、スケボーへの想いが様々な形となっています。
「年齢も人種も関係ない、ひとりでもみんなでも、誰でもいつでもできるのがスケボー」
そんな言葉には、小原さんがスケボーと過ごした約30年がぎっしり詰まっていました。
スケボーのおはなしSeason2 終
※取材は2020年12月下旬に行いました※
2021年2月公開