不惑を過ぎてなお現役 入念な体づくりに励む
バスケットボールBリーグ、現在はB3に所属する東京エクセレンスの練習拠点は東京都品川区にある。オーナーである建設機械メーカー、加藤製作所がもともと工場だった倉庫を改装したという体育館で、チームカラーであるグリーンのTシャツを着た選手たちが基本練習を繰り返していた。
その中の一人、周りに比べれば小柄で細身の選手が、チームメイトから少し離れたところで別メニューに励んでいた。
この物語の主人公、宮田諭である。公式プロフィールによれば身長177センチ、体重は71キロ、1978年1月の生まれというからすでに不惑を過ぎて42歳になる。B1からB3を通して、今季は現役最年長42歳のプロバスケットボール選手だ。
その宮田が体育館の片隅で、ゆっくりと手足を持ち上げたり、片足で立ってバランスをとったり、ボールを頭の上で持って静かに歩いたり…。遠くから見ていると、けが人のリハビリ・メニューにしか思えない。この年齢でけが、リハビリなら、選手生命にかかわるような重大な局面ではないだろうか。
同じように感じたのだろう、今回の写真撮影を担当した高須力カメラマンも「大丈夫ですかね…」とつぶやきながら宮田に近づき、練習の邪魔にならないように慎重にレンズを向けた。それほど激しく動いているように見えないのだが、ベテランの額には大粒の汗が光っている。やはり選手生命の瀬戸際なのか…。
「Vサインもらいました。意外に楽しそうにやってますね」
戻ってきた高須カメラマンからの報告だ。どうやら深刻なけがではなさそう。それにしてもなぜこのような地味なトレーニングを? もちろん理由はあった。
「バスケットボール選手って1年の大半をシーズンで過ごして、完全なオフが1ヵ月、次の2ヵ月で体づくりをします。そこでしか自分の体と向き合う時間がない。それが追いつかないから年々けがが増えて、どこかで限界がきて引退しちゃう。それも分かるんですけど、自分はまだ引退するつもり全然ないですから。だからいま、体の変なクセを修正しています。まあ、おじさんメニューですね(笑)」
悲壮感はゼロ。とにかくまだまだコートに立ち続けたい、バスケがうまくなりたい一心で体づくりに励む。幸か不幸か、新型コロナウイルスの影響により、今シーズンの開幕は例年通りの秋ではなく、来年の1月とかなりずれ込んだ。これを好機ととらえ、体づくりに時間を割いているのだ。
それにしたってバスケットボールの42歳は若くはない。昨年まで元日本代表のシューター、B1レバンガ北海道の折茂武彦が49歳まで現役だったのは異例中の異例。宮田は42歳にしてスピードや運動量がものを言うポイントガードというポジションなのだから、生やさしいチャレンジではない。
宮田自身も自らの体が若いころと同じではないことを知っている。
「昔はめちゃめちゃスピードありましたけどね、いまは自分のスピードを殺して止まることができません。だから緩急を使ったり、経験がものをいう予測を大事にしたり。もちろん落ちる部分もあるんですけど、長くプレーしているといまだに新しい発見もあります。いずれにしてもプレースタイルはずいぶん変わったと思います」
ベテランらしいセリフだ。そう思っていると、すぐさま付け足した。
「と言いつつ…昔のイメージで行っちゃうことはよくあるんです。ヘッドコーチからは『お前がチームで一番子どもだ』って言われるくらいですから(笑)。試合中に熱くなって外国人選手とすぐ喧嘩するとか。トレーナーから練習休めと言われても練習しちゃうとか。ルーズボールでコートサイドの看板を壊すのも得意ですね。スポンサーさんにも、お客さんにも迷惑をかけるし、そこは無理するなって言われるんですけど。いや、球際って燃えるんですよ。いつも気が付いたら突っ込んでます(笑)」
そもそも自らを上手くコントロールして1シーズンをつつがなく、上手く乗り切ろうと考えることができない。いや、考えるには考えるのだが、ひとたびコートに出るとスイッチが入ってしまうのだ。
B2で戦った昨シーズンの平均出場時間は20分弱。年齢を考えればよく出ているほうだと言えそうだが、宮田の思いは「40分出たい!」。笑いながらフル出場を熱望する姿は、確かに子どものようでもある。だからこそ新たなシーズンに向け、シーズンを通して戦い抜ける体を作っているのだ。
目標はいつも40分フル出場
振り返れば昨シーズンは不本意な形で終幕を迎えた。新型コロナウイルスの感染拡大でリーグ戦が一時中断され、無観客試合で再開されたものの、すぐに中断、3月中旬にシーズンの打ち切りが決まった。そして東京エクセレンスはB3に降格した。
「本当に葛藤の日々でしたね」
新型コロナウイルスが世界的に猛威を振いはじめた今年の春先、宮田はGMとして頭を悩ませ、だれも経験したことのない難問に立ち向かっていた。長い選手生活でも経験したことのない慌ただしい日々だった。
2020年8月掲載