編集長:19歳でのプロデビュー戦はKO勝ち、2戦目は判定負けでした。ここで1994年の東日本新人王トーナメントにエントリーします。階級はフェザー級から一つ落としてスーパーバンタム級にしたんですよね。
山口:2戦目は強い相手に負けたわけではなかったし、もっと自分を追い込まなきゃって考えて。追い込むとしたら、減量でしょう、と結論づけまして。ジムは無理に落とさなくていいぞって言ってくれたんですけど、それじゃ自分が納得できなくて。
編集長:トーナメントは1回戦1ラウンドKO勝ち、2回戦は4ラウンドTKO勝ち、3回戦は判定勝利。準決勝まで駒を進めます。
山口:決勝はおそらくメディアからも注目を集めていた同じ年の木村鋭景が上がってくると思ったので、準決勝は勝たなきゃいけない試合でした。だけど距離をつぶして戦ってくる相手で、やりにくくて、結局判定で負けてしまったんです。
編集長:減量がきつかった影響もあるような。
山口:言い訳になっちゃうんで、あまり口にしたくはないですけど……でも思った以上にきつかったですね。試合まで凄く憂鬱でした。まだまだ甘いっていうのが敗因です。
編集長:翌1995年も新人王にエントリーにしています。って言いますか、なぜ減量きついのにまたスーパーバンタムで出るの!
山口:まだまだ追い込みが足りないと思いまして……。
編集長:結果、1回戦敗退に終わります。トーナメントを制すタイ人ボクサーのユタポン前田に判定負けでした。
山口:スタミナがホントなかったんですよ。減量はよくないなってそのとき確信しましたね。
編集長:そこで気づいたんですね。
山口:「あしたのジョー」に憧れていたんで、減量はきついけど、克服したときに得られるものがあるんじゃないか、と。でも過度な減量は、ダメですね。
窓ふきのアルバイト時代。2003年頃の一枚(山口裕朗さん提供)
編集長:フェザーに階級を戻してから一気に勝っていきます。何と6連勝。通算成績も10勝6KO3敗と、かなり調子を上げていきます。山口さんはここで一つの決断を下します。「もっと強くなりたい」とツテもないのにメキシコ武者修行を決めてしまいます。
山口:金子ジムに軍人ボクサーのケビン・パーマー(元日本、東洋太平洋ミドル級王者)がいて、故郷のニューヨークに帰ることになって。トレーナーの(金子)健太郎さんがトレーニングに付き合うから、僕も「一緒に行かせてください」とお願いして。ケビンと一緒に練習した後、単身メキシコに渡るんです。
編集長:あてもないのに、どうしようと?
山口:行けば何とかなるさ、くらいですね。実際、幸運なことがありました。
編集長:何とかなっちゃうんだ!
山口:「地球の歩き方」に日本人旅行客が泊まれるペンションがあって、そこで誰か知り合いにボクサーいませんかって聞いたら、たまたまジムの先輩が現役を引退して旅をしていたんです。「あれ、山口、お前なんでここにいるんだ」って。
編集長:奇跡すぎる。
山口:メキシコシティにナチョ・ベリスタインさんが主宰するロマンサジムがあるので、ぜひここで練習させてもらいたいと思って、先輩が場所を探してくれて一緒に行ったんです。
編集長:超名門じゃないですか。リカルド・ロペス、ダニエル・サラゴサ、ヒルベルト・ローマン、フアン・マヌエル・マルケス、ラファエル・マルケス……世界王者をたくさん輩出しています。
山口:サラゴサは凄かったですね。世界王者に返り咲いて辰吉さんに一度勝って、コルベットに乗ってましたからね。川島(敦志)さんに世界戦で2回負けたホセ・ルイス・ブエノもいました。ホセとはつたない英語で会話したりしていました。
編集長:飛び込みで練習させてもらえたんですか?
山口:ナチョは凄いいい人で「お金は要らない、練習していけ」って。
編集長:ラッキー極まりない。
山口:トレーナーさんにも指導してもらって、ボクシングとは何かを教えてもらいました。一番胸に残ったのは「避けることにはどういう意味があるのか?」と。
編集長:ほうほう。
山口:避けることはすなわち次にパンチを打つためのモーションでなければならない、と。つまりは首を振って避けただけじゃダメで、ひざをしっかり使わないとパンチを打てないわけです。スペイン語は分かりませんけど、実際にやってみせてくれるんでよく分かる。ロープ際、ヘッドスリップで避けてからどう動き、どうパンチを返すか、そういう基本を教えてくれました。
編集長:1週間くらい?
山口:いやいや、3週間はいましたね。
メキシコ修行中、サラゴサとスパーリング後にパチリ(山口裕朗さん提供)
編集長:メキシコ修行の成果が期待されるところです。帰国して数カ月後、いよいよ日本ランカー、東條達也選手との試合が組まれます。
山口:2ラウンドにいいパンチが入ったんですけど、挽回されてしまって、距離をつぶされました。僕の対応力がなくて0-2判定負けでしたね。勝ったかなとも思ったんですけど。
編集長:このときも減量がかなり苦しかったとか。
山口:フェザー級のリミットが57・15㎏。この試合は56㎏の契約ウエイトでした。ウエイトトレーニングをやるようになって体が大きくなっていた時期で、かなりつらかったですね。前日計量まで、スウィーティーガムと梅ガムを噛んでツバを出してました。
編集長:次も日本ランカーとの戦いが用意されます。1998年3月、後に日本タイトルにも挑戦する千里馬哲虎選手との一戦。残念ながら3回TKO負けに終わります。
山口:はい、倒されました(笑)。前日計量の3日前から足がピリピリしていて、つまり足がつるんです。試合当日でも収まらなくて、「大事な試合なのに何で!」って心のなかで叫びたくなるほどでした。
編集長:もうフェザー級でも適正ウエイトじゃなくなっていたんでしょうね。
山口:普段から体脂肪率は11%以下にして、普段の体重も67㎏から増えないようにはしていたんですけど。これも言い訳になってしまうので、しっかり戦える自分のコンディションをつくれなかった自分が弱いんです。
編集長:2連敗して次がA級トーナメント。背水の陣になりますね。
山口:俺より強いなって初めて感じたのが、次の対戦相手だったんです。
2020年7月公開