リングアナウンサーからレフェリーへ
リングアナウンサーに応募した中村勝彦は日本ボクシングコミッション(JBC)で研修を受けるようになった。何回目かの研修がプロテストの現場で行われた。そこでレフェリー志望の研修生を見つけ、中村はある事実を知ることになる。
「えっ、レフェリーって元ボクサーじゃなくてもなれるの?」
中村がリングアナウンサーに応募したのは、レフェリーは選手経験者でなければなれないと思いこんでいたからだった。レフェリーに志望を変えよう。そう決断するまでに時間はかからなかった。
「あのころは、今ではリングアナの中心になって活躍している冨樫光明さんが出始めで、小村達彦さんも出てきて、須藤尚紀さんもいた。これは自分がリングアナになってもあまり出番がないと思ったんです。周りをよく見て、自分の有利なところ、生き残れるところを探す傾向が私にはあるんですよ(笑)」
研修ではルールを学び、プロテストでレフェリーを体験してレフェリングを学んだ。実際の試合を見て採点をつける練習も繰り返した。何人か同期がいたが、「向いていない」という理由で肩を叩かれる人もいたし、素行が悪くて去って行った人もいた。1年半の研修を終えたとき、同期の中で審判員のライセンスを手にしたのは中村だけだった。
2004年10月にジャッジ、翌年1月にレフェリーとしてデビューした。4回戦で経験を積み、1年ごとにB級ライセンス、タイトルマッチを担当できるA級ライセンスとキャリアを積み上げていった。08年には初めてタイトルマッチのレフェリーを務めた。
事件が発生したライト級ダブルタイトルマッチ
やがてレフェリー人生のターニングポイントになるような試合を経験することになる。2013年5月4日、後楽園ホールで行われた日本&東洋太平洋タイトルマッチ、日本王者の加藤善孝に元日本、東洋太平洋王者で世界挑戦経験もある世界ランカー、ベテランの佐々木基樹がチャレンジした一戦だった。
加藤の保持する日本タイトルに加え空位の東洋太平洋王座もかけられたダブルタイトルマッチであり、長年ライバル関係にある角海老宝石ジム(加藤)と帝拳ジム(佐々木)の対決でもある。会場は満員の観客で膨れ上がり、盛り上がる材料はこれでもかというくらいそろっていた。
問題は5ラウンドに起きた。中村が「ブレイク!」と叫んで両選手の間に割って入った瞬間、加藤の緩い左フックが佐々木の顔に当たり、佐々木が倒れてしまったのだ。中村には加藤のパンチがダウンを生むような威力のあるとは思えなかった。とはいえ佐々木が演技で倒れたという確証はもちろんどこにもない。魔の5分間の始まりである。
場内は騒然とし、熱くなった帝拳陣営は反則を、角海老陣営はダウンを激しく主張した。気の弱いレフェリーだったらパニックになっていたかもしれない。中村は頭をフル回転させながらも努めて冷静に振る舞い、事態の対処にあたった。
「ブレイクに入った私は加藤の緩いパンチが目の前をすーっと横切ったのは見えたけど、それが佐々木に当たったところは見ていない。ただパンチが当たって倒れたということなので、まずは加藤をニュートラルコーナー(両選手のセコンドがいないコーナー)に待機させ、逆のニュートラルコーナーに椅子を持ってきてもらって、佐々木をそこで休ませました。そしてタイムキーパーにタイムを指示して、リングアナウンサーには『佐々木がダメージを被ったので2分間の休憩を与える』とアナウンスしてもらいました」
続いてドクターを呼んで佐々木の様子を診てもらう。佐々木はぼーっとしていて、ドクターは「(試合再開は)きついね」と頭を抱えた。まったく効くはずがないパンチだと経験上から思えたとしても、軽いパンチで大きなダメージを負う可能性だってゼロではないのだ。
ピンチを切り抜けたかに思えたが…
中村はドクターの見立てを聞いた時点で「これではやらせられないな」と感じていた。タイムキーパーに確認するとまだ時間があるというので、次に3人のジャッジの意見を聞いて回った。
A「あれは(加藤の)故意のパンチです」
B「いや、2人が重なっててよく見えなかったんだよね」
C「あんなパンチで効くわけないよ」
意見は割れたが、中村の見方はCと同じ。そこで加藤から減点を取った上で試合を終わらせ、5ラウンドまでの負傷判定にしようと腹を決めた。以前のルールなら佐々木のTKO負けか、加藤の反則負けになるところだが、ちょうどそのころ「故意性のない反則で試合続行不可能となった場合は負傷判定も適用できる」というルール改正があった。中村はこれを適用しようと判断したのだ。
中村は再びリングアナウンサーに「負傷判定にするけど、その前に減点をするからアナウンスしてください」と伝えた。すると「ひょい」という感じで立ち上がった佐々木の姿が視界の片隅に入った。「あれっ」といささか驚いたところに、佐々木のセコンドから「やります!」と元気のいい声が聞こえてきた。
この試合は公開採点が取り入れられており、4ラウンドを終了して加藤がリードしていた。仮に5ラウンドを佐々木が取っていたとしても、負傷判定になれば4ラウンドまでのポイント差から加藤の勝ちが決まる。佐々木は何を考え、どのような状態にあったのか。真相は分からない。事実は佐々木が覚醒し、試合続行が決まったことだった。
負傷判定で試合を終わらせるよりも、できるのであれば最後まで続けたほうがいいに決まっている。中村は安堵し、ブレイク後に加撃したとして加藤に減点を与え、試合を再開した。これでようやくピンチを脱したかに思えたが、事態はこれで終わらない。角海老陣営と加藤の応援団が収まらなかったのだ。
「もう角海老はマグマがたまっていましたからね。5ラウンドが終わったインターバルに『いまの減点はレフェリーが3人のジャッジに確認して判断したものです』とアナウンスしてもらったんですけど、ほとんど効果はありませんでした」
険悪なムードで試合は再開された。しかも劣勢の佐々木はあの手、この手で試合を乱戦に持ち込もうとする。角海老陣営はますますフラストレーションをためていた。
「これはまずい」と中村が感じていた7ラウンド、ラフファイト気味だった佐々木が頭から突っ込むようにして加藤にパンチを打ち込んだ。中村は佐々木にバッティングによる減点1を告げる。その瞬間、会場を覆っていた負のマグマがすーっと収まっていくのを感じたという。試合は加藤の明白な判定勝ちで終わった。
ようやく試合はゴールまでたどりつけたものの、中村には最後の仕事が待っていた。こういう試合ではあとあとまで尾を引かないように、アフターケアをしておくことも大事なのだ。
中村は加藤の勝利を告げたあと赤コーナーに歩み寄り、角海老の社長に「社長すいません、不細工なレフェリングで」と謝った。何か文句を言おうとしていた角海老の社長は機先を制される形となった。
「レフェリーが謝るのはよくないと言われるんですけど、私の考えはちょっと違うんです。私はああいう不細工な場面を作ってしまったことを謝っているだけで、判断について謝っているわけじゃない。私の社会経験からいっても、トラブルのときに逃げに回るとダメだと思うんです。そして100%の解決を目指すのではなく、必要最低限の処置だけは外さないというマインドへ切り替えるべきだと思うんです。トラブル対応の際、完璧を目指そうとするとどうしても無理が生じますから」
こうして前代未聞の注目試合は幕を閉じた。この業界の重鎮とも言える角海老宝石ジムの鈴木正雄社長、帝拳ジムの本田明彦会長ともに中村への文句は一言もなかった。
2020年10月公開