あれほど泣きじゃくった、山中慎介を見たことはない。
2017年8月15日、島津アリーナ京都。
13度目の防衛戦にメキシコの強打者で、ランキング1位のルイス・ネリを迎えた。勝てば、具志堅用高の持つ日本人最多となる世界王座防衛記録に並ぶ。
だが結果は4回2分29秒TKO負け、プロになって初めての黒星だった。
反撃の機会をうかがっていた。
磨いてきた右ジャブがネリを捉え、ボディーストレートも届いた。「神の左」の照準も合っていく感覚を得ていた。それを嫌がってネリは強引に前に出て距離を消し、回転力で勝負を懸けてきた。これも想定内であった。
乱暴に振り回すスウィングをかいくぐり、左を合わそうと狙っていた。だがクリーンヒットを許さずともラッシュに対して受け身の状態が続いたこともまた確かだった。セコンドから投じられたタオルが目に入った。頭のなかが一瞬、真っ白になった。
「赤コーナーまでの数メートルが、もの凄く長く感じられました。戻るまでの間で頭にあったのは、これだけ応援してくれているお客さんに対して申し訳ないという気持ちと、まだやれる、悔しいという気持ち。そしてもう一つは〝俺のボクシング、これで終わりかよ〟ってそういう思いでした。赤コーナーに戻るときの感情は、今もはっきりと覚えています」
申し訳なさ、悔しさ、喪失感、不完全燃焼……。数日は自宅に閉じこもり、公園に赴いて子供たちと遊びたいという気持ちも湧いてはこなかった。
試合から4日が経って、心配した妻と子供たちに促される形で熱海旅行に赴いた。開放的な青々とした海を前に気分を変えようとしたが、応援してくれる知人から連絡をもらってここでも涙することになる。
「でもありがたいことですよね。周りの人は心配してくれていて、その気持ちが痛いほど伝わってくるんです。切り替えたいとは思っても、励ましの声をもらうたびに泣けてきてというのはありました」
そんな折、山中のもとに衝撃のニュースが飛び込んでくる。ネリが7月にメキシコで実施した検査で禁止薬物のジルパテロールに陽性反応を示したと、WBCが公式サイトで伝えたのである。
ジルパテロールは筋肉増強剤クレンブテロールに類似の性質を持ち、家畜を成長させるために使用されているという。ネリはジルパテロールを含んだ牛肉を食べた可能性があるとも記していた。
報道では、無効試合になって山中が王座に復帰する可能性を指摘していた。しかし敗戦のショックから抜け出せない以上、「気持ちが追いついていかなかった」。複雑な感情が、余計に絡まり合った。
当初はネリにしっかりと勝ち、具志堅用高に並ぶ世界王座13度連続防衛を果たすことができれば引退を考えていた。悔いを残す形で試合を終えた一方で、「実力がないから負けた」という事実ものし掛かる。1カ月を区切りにして進退を決めるつもりだったが、ネリのドーピング疑惑報道、その答えを見えづらくしていた。
続けるにしろ、引退するにしろ、日課としているロードワークは早く再開しておこうと考えていた。結局、走り始めるまでに2週間を要した。これまでで最長のブランクだったという。
「ここまで引きずったのは自分でもちょっと意外でした。試合が終わってから2週間、ベタ休みしてしまいましたから」
答えは緩やかに形に表れてくる。
試合から1カ月が過ぎ、気持ちは次第に現役続行へと傾いていく。誰にも相談はせず、自分の心と向き合い続けた。家族と過ごした静かな時間が、自然と答えを導いてくれていた。
熱海に連れ出してくれた妻は、東京に戻ってからも普段どおりに接してくれた。豪佑くんと遊びでかけっこをして、パパの威厳を見せつけると「ネリには負けたじゃないか」と息子は容赦なく傷口に塩を塗りこんでくる。それでも神社で「パパがネリに勝てますように」と願う子供たちの姿を見ると、胸が熱くなった。子供の口から「ネリ」が何度も飛び出していた。
「子供の印象にも強く残ったんだと思います。2度戦った(アンセルモ・)モレノとネリの名前だけは覚えたみたいです。豪佑は自分の都合が悪くなると『パパだってネリに……』と言ってくるんで、それだけはちょっと困っているんですけどね(笑)」
腹は決まり、妻に打ち明けた。
「もう一度やろうと思う」
「あなたの好きなようにやればいい」
そして妻は言葉をつけ加えた。
「初めて負けて、慎ちゃんはみじめな思いをしたと思う。また負けたら、同じように、いやそれ以上にみじめな思いをするかもしれないよ。それでもいいの?」
夫は、黙って頷いた。妻も呼応するように頷いた。
帝拳ジムの本田明彦会長にも現役続行を了承され、本格的なトレーニングを再開した。ネリに対するWBCの処分が決まらないなか、復帰するならやはりネリ以外に相手は考えられなかった。
「あのとき赤コーナーに戻るときに感じた、このままじゃ終われないという気持ちが(続行を決めた)一番の理由です。対戦相手は違っても、そこは関係ない、と。でも正直に言えば、ネリに借りを返したいという思いしかほぼほぼなかった」
山中は11月1日に現役続行を自らの口で表明した。それはWBCがネリの処分見送りとリマッチを通達した日だった。
摂取した牛肉にジルパテロールが混入していたとのネリ側の主張が全面的に認められる形となった。その後の検査が陰性で、意図的に摂取した証拠も見つからないとのことだった。
意図的だろうがそうでなかろうが「アウト」でないのは他のスポーツでは考えにくい。しかし山中自身は、リベンジのチャンスが舞い込んできたことをむしろポジティブに受け止めていた。
「リマッチは僕の望み。ドーピングは絶対にやってはいけないことですけど、WBCがないっていう判断をしたならそれに従うだけですから。もしネリがドーピングをやっていたと判断されて、僕がチャンピオンのままで13度目の防衛戦をやり直します、となっていたら、それはそれで辛いとは思います。だって世の中は、僕がネリに負けているのを見ているわけですからね。
世の中の常識とか、一般的な考え方は別にして1対1で殴り合った立場で言わせてもらうなら、やっぱりリングの上でもう1度戦わせてもらいたい」
言葉には力がこもっていた。
絶対に勝たなければならない――。彼はそう心に誓った。
7カ月後、運命の再戦。
だがネリはまたも悪童ぶりを発揮する。前日計量で規定より1・3㎏オーバーの体重超過を犯し(1回目の計量は前代未聞の2・3㎏オーバー)、ハンディキャップを抱えるなかで山中慎介は真っ向勝負を挑み、そして砕け散ったのだ。
約束されたウエートまで絞り切った人と絞り切っていない人では回復、パンチ力、スピードに差が出てしまう。体を絞り切っていないネリが有利になることを承知で彼は最後の戦いに挑んだ。「(結果には)納得しています」と勇敢な敗者は一つのグチもこぼさなかった。
ラストファイトに向けたインタビューで山中は「ネリに勝たないと幸せになれない」と語っていた。あの日、好天のクリスマスイブ、公園で遊ぶ子供たちを眺め、それはまるで自分に言い聞かせるように重々しく言葉を吐き出していた。
結果、勝てなかった。だが、真摯に邁進した先に、本当の答えを手にしていた。
「自分にプレッシャーを掛けすぎましたね。でもそれぐらいの覚悟で、再起することを決めましたから。すみません、勝てなかったけど……幸せですね」
自分に勝つことができた。悔しさ、惨めさから這い上がってきた。体重超過のネリに恐怖しなかった。負けを引きずる自分にも、すべてに打ち勝って「最強の自分」をつくり上げた。
心の底から、そう言えた。
プロデビューから12年。迷いなき左ストレートと同じように、まっすぐに、誠実にボクシングロードを歩んできた。
「悔いはありません。(世界チャンピオンという)目標よりもはるか上に行けたことに満足しています」
山中慎介は、ボクシングをやり切った。
GOD`S LEFT STORY ~プロボクシング山中慎介 最強の激闘譜~ 終
2023年3月再公開