2013年3月、僕はヨルダンのアンマンにいました。翌年に控えたワールドカップ・ブラジル大会の最終予選で日本代表を取材するためです。日本はこの試合に勝てば、5大会連続の本戦出場が決まる重要な一戦です。
ヨルダンを訪れたのは初めてでしたが、アンマンという都市のことは知っていました。21世紀に入ってから緊張状態が続いたイラク情勢を伝えるため報道陣が最前線拠点に選んだのがアンマンだったのです。そのためレポーターが最後に付け加える「以上、ヨルダンのアンマンよりお伝えしました」のフレーズで覚えていたのだと思います。
ヨルダンといえば、インディ・ジョーンズで舞台となったペトラ遺跡が有名です。しかし、当時の僕はそんなことを知る由もありませんでした。わざわざツアーを組む同業者もいましたが、その波に乗り遅れた僕は「さすがにもったいなかったかなぁ」と後悔していていたのですが、先輩カメラマンさんからペトラとは違う遺跡に行こうと誘って頂いたので思い切って行ってみることにしました。
その遺跡とはジェラシュです。アンマンから北50キロに位置して、気軽に足を運べる観光地でした。世界史に疎い僕はローマ帝国について知識をほとんど持ち合わせていませんでしたが、幸運だったのは同行したライターさんが歴史家としての経歴を持っていたことでした。散策をしながら歴史的背景を詳しく説明してもらえて、新しい知識を得ることの大切さを実感したのでした。
この遺跡を眺めていて感じたことはヨルダンの国際的な立場でした。ヨルダンはイラク、シリア、サウジアラビア、イスラエル、パレスチナと紛争が絶えない国や地域に囲まれています。近年では紛争が起こる度に難民を受け入れ、人口の3割がヨルダン以外の国籍なのだそうです。彼らの役割は西アジアの緩衝材なのかも知れません。それは紀元前に人類初の農業を営み、やがて交易の中心地となり繁栄するも、重要な土地を巡り周辺国家に翻弄され続けた彼らが身につけた処世術なのかもしれません。
この遠征ではホテルの目の前にあったスーパーマーケットにお世話になりました。遅い時間でも営業していて、食品売り場に並べられたローストチキンが思いのほか美味しかったので滞在中はよく利用していたのです。しかし、注文をしてからお会計をするまでに異常に時間がかかりました。なぜならば、店員の女の子は接客中でも仲間とおしゃべりをやめなかったからです。それだけなら良いのですが、喋り始めると手が止まってしまい、一向に会計が進まないのでイライラさせられました。
しかし、日本がまだ弥生時代で文明と呼べるものを持っていなかった時代に、都市国家として建設されたローマ帝国の壮大な遺跡を眺めながら、数千年の時の流れに身を委ねていると、スーパーマーケットでたった数分の無駄にカリカリしている自分が変なのかな、と思うようになったから不思議です。
それからはいつも心穏やかに泰然自若の精神でいられるように心がけ「せめて手は動かそうね」と思うようになりました。
続くッ
2020年11月公開