実はこの本を読んだのは、これが3度目のことでした。
初めて読んだのは、高校3年生の頃。ちょうど日韓ワールドカップが終わったくらいで、日本中がサッカーフィーバー。そんな時に、今回紹介する小説『龍時 01-02』が刊行されたのです。「日本初の本格サッカー小説」なんて触れ込みもありましたが、私を魅了したのは何よりもその作者。
野沢尚、その名を聞いたことがある方もいるでしょう。小説家というよりは、脚本家としての側面のほうが認知は強いかもしれません。元々映画監督志望だった野沢さんは、独学でシナリオの勉強をはじめたといいます。私達が90年代~00年代と夢中になってきたドラマも、実は結構野沢さんが脚本を手掛けたものが多いのです。
1995年に平均視聴率15%以上を記録したフジテレビのドラマ『恋人よ』、木村拓哉と中井美穂が共演した1998年のTBSドラマ『眠れる森』、翌年には松嶋菜々子と竹野内豊という当時を煌めくスターが出演した『氷の世界』などヒット作を連発し、1999年には史上最年少(当時)の若さで第17回向田邦子賞を受賞しました。
さらに野沢さんの活躍はドラマだけではありません。国民的マンガ『名探偵コナン』の映画シリーズでも屈指の名作と言われる劇場版『名探偵コナン ベイカー街(ストリート)の亡霊(2002年)』の脚本も実は手掛けていたりします。
ちょっと作者紹介が長くなってしまいましたが、それだけすごい方だということ。私が初めて『龍時』と出会ったのは、母が「面白かった!」といって貸してくれたことがきっかけでした。
「あれ、この人テレビの脚本書いてる人じゃないの?」
なんて今思えばかなり失礼なことを言った記憶もありますが、いざ読み進めるとその手が一晩止まることはありませんでした。
主人公は、志野リュウジという少年。日本のサッカーに馴染めなかった彼は、高校時代に日本を飛び出して単身スペインへ。様々な困難をひとつひとつ乗り越えながら、プロへの階段を登っていくストーリーです。
今となっては海外組だけでもスカッドが組めるほど充実してきた日本代表ですが、2002年当時は中田英寿や稲本潤一などまだまだ一部のスター選手のみ。この主人公のように10代から海外に渡ってプロを目指すというのは、まだまだ夢物語のようなものでした。
それでもこの作品に一種の「リアル」を感じられるのは、主人公の心理描写がとにかく克明に描かれているからだと思います。日本人なんだけど、日本人っぽくないから海外へ活躍の場を求めた主人公。でもスペインで活躍することでまた日本人としてのアイデンティティも意識するようになり、実際に国籍選択という大きなテーマで葛藤をします。
そんな心の機微がとても細かく描かれており、それは様々なドラマの脚本を手掛けてきた野沢さんの個性を感じるものでもありました。もちろん、その文体が思いっきり発揮されるのはやはり試合のシーン。まるで自分が主人公になり、ピッチで躍動しているかのような気持ちで読み進めることができます。主人公の体の動き、周りの選手達との連携、スタジアムの空気など、様々な情報が文字で一気に流れ込んできて、頭の中で勝手にピッチが出来上がってしまう、そんな初めての感覚を得ることができました。
“書き上げれば、『日本初の本格サッカー小説』となるはずだ。サッカーに造形の深い小説家は何人もいる。一番手でなくてはならないという変な焦りがあった。
味方からサイドチェンジされたボールが飛んでくると、それは地球が自転しながら落ちてくるように見える。うまくトラップできた時、地球の支配者になった気分になる。
冒頭の文章を思いついたら、あとは一気呵成だった”
これは『龍時 01-02』文庫版に添えられた、野沢さんのあとがきの一節です。ただのサイドチェンジが、映像だと数秒で終わるものが、実況だと一言で終わるものが、これほどまでに深く印象的な言葉で紡がれているのです。
そして二度目にこの本を読んだのは、8年後の2010年のことでした。ロサンゼルスへの短期留学に向かう機内に持ち込む本として、『龍時』の三部作(01-02、02-03、03-04)をリュックに。1回目との決定的な違い、それはこの本が名作ではなく「未完の遺作」となっていたことでした。2004年に野沢尚さんが亡くなったことで、この主人公の時計も止まっているのです。
もう続きを読むことができない寂しさも胸に読み進めた今回は、また高校時代とは異なる感覚をくれました。それは「俺も負けるか」という気持ち。初めては同世代だった主人公の活躍譚を見るような気持ちもありましたが、2回目の時は私のほうが年上。行き先はスペインではなくアメリカでしたが、主人公のリュウジにちょっと背中を押してもらった気持ちで空港に降り立ったのを今でも覚えています。
そして三回目に読んだのが、昨年末。大好きなJリーグのシーズンも終わり、欧州サッカーをライブ中継で視聴する日々にもちょっと疲れたおうち時間、久しぶりに足を運んだ古本屋でたまたま見つけたのでした。10年ぶり3度目の『龍時』は変わることなく、頭の中で躍動していました。
文字だけで展開される、サッカー。
それは、今の時代にはさらに貴重な体験となった気がします。
僕たちは、色々なものを見すぎてきたのかもしれません。実況を聞くだけで、映像を見るだけで勝手にシーンは進んでいきます。そんな流れにちょっと疲れた時は、ぜひこの『龍時』を手にとってみていただきたいです。
自分だけの世界で、自分だけの時間で、心ゆくまで楽しめるサッカーもあるのです。
2021年3月公開





