日本が強敵カメルーンから金星を挙げる興奮とスリリングな経験を同時に味わった長い一日を無事に乗り切り、眠りについてからどれくらい時が経ったかはわかりません。少なくともまだまだ寝ていたい時間だったことは間違いありません。そんなささやかな僕の安息を打ち破るように僕の携帯電話がなりました。「だ、誰だよ、、もう少し寝かせ、、て、、」
「ツトムか!? 大丈夫か!!?」
電話の主は日本にいる兄でした。寝ぼけていた僕は状況が把握できませんでしたが、どうやら昨夜、試合後に襲われたカメラマンの話題が日本で大々的なニュースになっていたそうです。注目が集まる日本代表の試合直後の出来事です。しかも、懸念されていた治安の悪さが現実のものになってしまったのだから、話題になりそうな事件ではありました。しかし、なぜわざわざ国際電話(電話代はこちら負担)までかけてくるんだ。「やっと眠れたのに何考えてやがる、こいつ、、」と内心毒づきながらさらに話を聞いていると、一気に目が覚めました。
なんと被害に遭ったカメラマンが僕と同い年だったそうです。
「日本人フリーカメラマン(32)が強盗被害」
ネットで検索すると、こんな見出しが並んでいました。個人が特定されるような情報はなく、32歳のフリーランスの日本人カメラマンということだけが分かる内容でした。兄は僕の安否を心配してくれていたようでした。
僕たちはめちゃくちゃ仲の良い兄弟ではなく、なんなら年賀状の交換くらいしかしない間柄ですが、そういえば、僕がバイクに乗り始めた頃、近所の交差点で事故があったときも、たまたま通りかかった母が救急車の走り去ったあとの事故現場を目撃して兄に話したところ、「どんなバイク!?」と聞き、母が要領を得ない答えをすると、確認のために事故現場まで走ってくれるような兄なのです。毒づいてごめんね、兄ちゃん。心配してくれてありがとう。僕は無事だよ。でも、今は寝かせて!
取材に来ていたフリーカメラマンはだいたい把握していましたが、僕と同い年の人間はいません。もしかしたら、海外に拠点を置いている僕が知らない人かと思いましたが、さらにニュースを探していると一社だけもう少し踏み込んだ情報を盛り込んでいる記事をみつけました。それは某Jリーグクラブのオフィシャルカメラマンという情報でした。そこで被害者が誰だかすぐに分かりました。南アフリカに入ってから顔を合わせていないのも合点がいきました。なぜなら、彼は取材ADを持っておらず、観戦チケットを自分で用意して観客席から試合を撮ったり、スタジアム周辺の雑観を撮影する業界でいうチケット取材をしていたからです。
僕自身も4年前のドイツ大会ではチケット取材をしていたこともあって、同世代のカメラマンとして「危険を犯してでも現場にいきたい」という切実な思いは痛いほど分かりました。そして、現場でカメラマンが唯一の武器となる機材を奪われる喪失感もよく理解できました。なぜなら僕自身がわずか4ヶ月前に冬のオリンピック取材で訪れたバンクーバーの街で機材をすべて盗まれていたからです。
当時はそこまで親しい間柄ではありませんでしたが、何か力になれることはないかとSNSを通じて連絡をとりました。詳しい状況を聞くと、スタジアム近くに予約したホテルへ戻るために試合後すぐの人混みに紛れて移動していたそうです。しかし、途中で同行者とはぐれてしまい、ホテルまであと少しというところで人気のない通りにでて、その瞬間に羽交い締めにされてしまったとのことでした。取材予定や移動予定もまったく違うので直接、力になれることは限られていましたが、現地でフォトグラファーのサポートに来ているメーカーの担当者に連絡をして、できる範囲でのサポートを願い出ることしかできませんでした。
そして、カメルーン戦から5日後、ダーバンで行われた日本対オランダ戦の会場のスタンドに彼の姿を発見しました。少し照れくさそうな、それでいて満面の笑みが、この取材が彼にとって楽しい経験になっていることを物語っていました。
ちなみに、この話には後日談があって事件から3日後に5人組の犯人が捕まり、機材は無事に戻ってきたそうです。そして、カメラの中には犯人たちが自撮りしている画像が残っていたとか。
ヨハネスブルグで定宿にしていたコテージの庭から聞こえるハウスキーパーさんたちの朗らかな笑い声が唯一の安らぎの瞬間でした
終わりッ
2021年2月公開