バスケットボールワールドカップで男子日本代表が惨敗
2019年9月9日、中国─。
バスケットボールのワールドカップで男子日本代表はモンテネグロに65-80で敗れ、5戦全敗で終戦を迎えた。日本は2006年の自国開催以来、3大会ぶりの出場で苦戦を予想されていたとはいえ、最初から期待がまったくなかったわけではなかった。いや、むしろ“AKATSUKI FIVE”への期待はいつになく高まっていた。
何しろメンバーが輝いていた。NBAのワシントン・ウィザーズからドラフト1巡目指名を受けた八村塁、その八村より1年早くNBAの舞台に立っていた渡邊雄太がいた。ダンクシュートを軽々と決める2人の2メートル超えNBA選手に加え、帰化選手のニック・ファジーカスも加わり、過去最強という声には十分に説得力があった。
©ERUTLUC
しかし、蓋を開けてみればどの国にも歯が立たずに黒星が5つ。順位は出場32チーム中、31位だった。競り合うことすらできず、代表に期待したファン、何よりもバスケの新しい歴史をつくろうと燃えていた選手たちのショックは大きかった。
だれもが打ちひしがれ、「何が悪かったのか」と自問自答する中、サポートコーチとしてチームに同行していた鈴木良和は次のように感じていた。
「育成の差が大きい…」
鈴木はもともとトップ選手をコーチしている指導者ではない。ERUTLUC(エルトラック)という会社の代表で、主に小中学生を対象としたバスケットボール教室を首都圏の各地で開いている。生徒たちの多くは、NBAや日本代表を目指すトップ選手ではなく、ごくごく普通の小中学生たちである。
その鈴木が日本代表に関わるようになったのは2016年のことだった。日本バスケットボール協会が分裂騒ぎでFIBA(国際バスケットボール連盟)から資格停止処分を受け、元Jリーグ・チェアマンの川淵三郎氏が会長に就任して改革に乗り出したのが2015年4月。これを機に新たな体制ができ上がり、協会内に技術委員会が立ち上がった。
ここでU-12、U-13のヘッドコーチに就任したのが、海外のジュニア育成現場もよく見ていた鈴木だった。やがて指導者ライセンスの講習で講座を受け持つようになり、信頼を高めると、「ジュニア世代とシニア世代をつなぐ人間がいたほうがいい」という新たな方針のもと、鈴木に白羽の矢が立つ。ジュニアの指導者が代表チームのスタッフに入ることは、長い日本のバスケットボールの歴史を振り返っても初めてのことだった。
©近藤俊哉
その鈴木が最も強く感じたのが、体の大きさやパワー、スピード、技術の違いではなく、「育成の差」、「自己解決能力の差」という事実は興味深い。
「バスケットというスポーツは用意した戦術が最終的に壊され合うスポーツだとあらためて感じました。そうなると国際試合では用意した戦術が壊される前提で、壊されたあとに状況を打開できる選手が育っていないと勝ち上がっていけない。そこがワールドカップを経験して明確に感じたことでした」
世界を知るアルゼンチン人ヘッドコーチ、ラマス・フリオによって強化が進んだ男子代表チームであったが、もちろんチームの戦術やスカウティングが完璧だったわけではない。それはどの国も同じだとは思うが、大会が終わって改善点は検証されている。
しかし、鈴木が現地で感じたのは、そういった戦術的な部分の差ではなかった。確かに体格差、経験差があったとはいえ、それは大会に入る前から分かっていたことだ。鈴木の目には「世界との“育成”の差」がはっきりと映っていた。
予定していたことがうまくいかないと、苦境を克服できず、ズルズルとペースを失ってしまう。悪くなった流れを断ち切れず、そのまま立ち直ることができない。決勝トーナメントに勝ち上がった国の選手たちを見ていると、高度な戦術の応酬の中にも、相手の対応に対してアジャストする能力、相手の対応の上をいく個の打開力が高かった。
「国際試合になれば高い戦術を遂行する力はもちろん必要です。ところがワールドカップでは、最終的には壊れたあとの個の能力が大事だった。Bリーガーになってからも身につけられることはありますが、個の能力は間違いなく育成年代から磨いておいたほうがいい」
自己解決能力の高い個を育成する。ほかのスポーツでもよく言われることだが、これをジュニアの指導現場にどう落としていくのかが問題だ。日本と欧米では文化の違いも大きい。鈴木はワールドカップで日本が敗れる姿を見ながら、およそ10年前にイタリアの指導現場で体験したことを強く思い出していた。
2020年4月掲載