井上尚弥の世界戦前に読みたい『逃げろ、ボクサー』
いまをときめくスーパースター、WBAスーパー&IBF世界バンタム級チャンピオンの井上尚弥が6月19日(日本時間20日)、アメリカのラスベガスでIBFランキング1位のマイケル・ダスマリナス(フィリピン)と防衛戦を行う。試合まで10日あまりの時点でふと思い出し、猛烈に読み返したくなった本が『逃げろ、ボクサー』だった。
えっ、井上って逃げたことあったっけ?
もちろんない。天下の井上はリングの中でも外でも逃げたことなんてない。
それでもこの本を紹介したいという気になったのは、『逃げろ、ボクサー』の主人公が井上と少なからず縁があるからだ。本書の主人公、大橋克行は井上の所属する大橋ジムの大橋秀行会長の実兄なのである。
大橋克行は井上尚弥とは似ても似つかないボクサーだった。世界チャンピオンになった弟の秀行とも違う。いや、そもそも世の多くの人がイメージする“ボクサー”という枠から大きくはみ出しているのだ。この主人公がどんなボクサーだったのか、それがよく分るフレーズを本文から抜粋しよう。
「いいかい、おれはね」
と、大橋はガールフレンドによくいった。
「温室育ちのチャンピオンになるんだ。何もかも投げ捨て、犠牲にしてチャンピオンになるなんて、性に合わない。おれにはおれの人生設計がある。<中略>さんざん殴られてバカになったら、そのあと何もできないだろ。おれはそんなふうにならないよ」
大橋は練習が嫌いだった。とくにロードワークは嫌いだった。合宿でゴルフ場を走ることがあれば、いかにトレーナーの目を盗んでサボるかに知恵を絞った。だからスタミナはなかった。でも、その代わりに頭で考えることには長けていた。試合では相手を殴ることよりも、殴られないことを優先した。ダウンを取ったらそこからは安全運転。決して無理をせずに、しっかり逃げる。きっと山際さんはタイトルに悩まなかったのではないだろうか。
ボクサーのノンフィクションといえば、過酷な減量や厳しいトレーニング、あるいは少年院上がりといった厳しい人生のバックグラウンドを描くケースが多い。そうした風潮にあって、この作品は独特の美学を持つ大橋克行というボクサーに白羽の矢を立てた時点でノンフィクションとしての勝利を収めたと言える。希代のノンフィクション作家として活躍し、1995年に46歳の若さで急逝した山際さんの慧眼である。
大橋は過酷なトレーニングに背を向けるスタイルを貫きながらも、ボクシングというスポーツを通して自分の存在を確かめようという強い意志は持っていた。そんな大橋の人物像がまるで小説を読むかのような軽やかなタッチで描かれていく(山際さんは小説も数多く残した)。大橋は日本タイトルマッチに2度挑戦して届かず、通算12勝(1KO)11敗という戦績を残して1983年にプロのリングを去った。『逃げろ、ボクサー』はその1年ほど前、1982年に日本バンタム級王者の磯上秀一に挑戦して敗れた試合が話の軸である。
4歳下の弟、秀行が世界王者に輝いたのは克行の引退から8年後、1990年2月のことだった。それから30年がたち、現在は秀行のジムで汗を流す井上が、克行がかつて主戦場としたバンタム級で世界のトップ選手として活躍している。それがどうしたと言ってしまえばそれまでだが、何かの縁を感じずにはいられない。
もう7、8年前になろうか、横浜市内で元ボクサーが経営する焼肉店で取材をしたときのことだ。プライベートで食事に来ていた大橋会長がこちらに近づき、連れのメンバーを教えてくれた。
「あれが両親で、あっちがうちの兄貴」
「えっ、お兄さんってあの…」
「そう、逃げろ、ボクサー」
「逃げろ、ボクサー」と言った大橋会長の言葉に、私も思わず同じセリフをかぶせてしまった。かつて独特の美学を貫いたボクサーがうまそうに焼き肉を食べる姿を見ながら、「ああ、あの人が“逃げろ、ボクサー”なのか」と、なんだかうれしくなったことを憶えている。
ボクサーという人種は実にバラエティーに富んでいて、ボクシングというスポーツは本当に間口が広い。大橋克行がいて、井上尚弥がいるのだ。本書を読んで、井上の極上パフォーマンスを目にすれば、その味わいはより一層深みを増すのではないだろうか。
なお、角川文庫の『逃げろ、ボクサー』はボクシング以外のテーマを合わせたスポーツノンフィクション集で、表題作と合わせて6編が収録されている。
2021年6月公開