千駄ヶ谷駅前の人はまばら、国立競技場は静かだった
何とか開催にこぎつけた東京オリンピック。無観客ということでテレビ観戦が推奨されているのだけど、ここは一つ「そーっと」会場周辺をのぞいてみて、少しでもオリンピックの雰囲気を味わおうと思い、私と近藤カメラマンは最初のターゲット、メインスタジアムの国立競技場に向かった。
8月3日午前11時、JR千駄ヶ谷駅から散歩をスタート。駅はそれほど混み合うこともなく、改札口を出ても人影はまばら。オリンピックが無観客開催だから? それもあるだろうけどこの日の東京は緊急事態宣言が出ている上に最高気温は32.9度。35度以上の猛暑日を知る私たちにとってはまだまだ序の口? いやいや、暑いです!
こちらが東京体育館の関係者用ゲート。中では卓球男子団体戦が行われていた
アスファルトの照り返しにたじろぎながら交差点を渡ると、そこは東京体育館の入場口。もちろんゲートは閉ざされている。警察官とボランティアスタッフが炎天下に立ち続けていて、「この暑さの中、ご苦労さまです!」と口には出さないけどそんな気分になる。
ちなみにこの時間、中に入れない東京体育館では卓球の男子団体戦が行われていた。準々決勝の日本×スウェーデンがスタートしたのが午前10時。日本は丹羽孝希、張本智和、水谷隼が活躍して3-1でスウェーデンを下し、準決勝進出を決めたのだった。
私たちは東京体育館を左側に見ながら南下し、左に折れて国立競技場を目指した。ほどなく外苑西通りにぶつかり、目の前に巨大な国立競技場がドドーンと登場! 目をつぶって耳をすませると、かすかに関係者のものらしき歓声が耳に届いた…。
いつ見てもドデカイ国立競技場。中央下に小さく写っているのがSPOAL渋谷
陸上競技は午前と夕方以降の2部制になっていて、フィールドとトラックでさまざまな競技が同時に行われている。ちょうどこの時間は男子110ハードルの準決勝が終わったころだろうか。調べて見ると、男子110メートルハードルは1964年の東京五輪以来、日本勢として57年ぶりに準決勝進出を決めた泉谷駿介が全体の10位、金井大旺は途中で転倒しながらもゴールして最下位だった。走り幅跳び決勝も行われていて、橋岡優輝がこちらは57年ぶりの6位入賞。日本選手団、本日もがんばってます!
おっ、道沿いにあるのは大会スタッフが利用するバス停じゃないか。オリンピック開催中にしか見られない光景であり、ちょっとテンションが高まった。オリンピック期間中はメディアを含めて関係者用のバスが運行される。各会場とメディアセンター、選手村と空港など、さまざまなルートを設定して関係者をスムーズに移動させるというわけだ。
これが関係者用のバス。選手村から羽田空港行きだ
バスには東京2020のロゴが入っているのかと思いきや、△△観光とか××交通とか普段の姿のまま。それはそうか。これらのバスは大会が終わればまたもとの職場に戻るのだ。わずか1ヶ月弱のためにバスを全面デコレーションし直すなんて経費の面から見送られたのだろう。
さあ、国立競技場を抜けて日本オリンピックミュージアムに向かおう。迂回ルートを歩いていると、道沿いのマンションの一角に阪神タイガースのオフィシャルショップを発見した。「おお、こんなところにタイガースのショップが…」と意外に思っていたら、ちょうど阪神の法被をはおった店員さんが店の外に出てくるところ。本日も元気に営業中らしい。
日本オリンピックミュージアム前の広場
五輪モニュメントの前は人だかり?というほどでも…
さて、日本オリンピックミュージアムといえば、広場に五輪マークのモニュメントが設置され、記念撮影する人たちであふれかえっているというニュースが流れた場所だ。写真撮影するには2時間待ち、なんて情報も。本当?
近づいてみると確かに写真撮影の列ができていた。でも、すごく賑わっているというほどではなかった。開会式から日にちがたって落ち着いたということだろうか。写真撮影の列も目視で「30、40分待ち」といったところ。どちらかというと暑さを除けば「のどか」という言葉が浮かぶほどで、警察官が親切に道を教えて挙げている姿も目にした。
ここまででちょうど国立競技場を半周したことになる。本当はグルっと1周して千駄ヶ谷駅に戻ろうと考えていたのだけど、交通規制によりそれはできないのでルートを変更。私と近藤カメラマンはそのまま南下して東京メトロ銀座線の外苑前駅に向かった。
国立競技場を背にしながら歩いていると、近藤カメラマンが話しかけてきた。
「ここで1枚いいですか?」
「いいですけど、ここってどこ?」
「ここ、横断歩道を歩いてください」
「ああ、そういうことね。オーケイ、オーケイ」
国立競技場をバックにビートルズを真似してみた
「横断歩道を渡る」といえばビートルズのアルバム『アビイ・ロード』のジャケットということはすぐに理解したのだけど、近藤カメラマンの狙いもう少し別のところにあった。それは海外の選手たちが選手村で『アビイ・ロード』をまねて写真を撮り、インスタグラムに投稿して話題になった、というニュースがあったからだ。近藤カメラマンはそれにヒントを得て横断歩道のショットを思いついたのである。
何も知らない私はジョン・レノンになったつもりでてくてくと横断歩道を歩いた。ちなみに世界的に大ヒットを記録した『アビイ・ロード』の発売は今から半世紀以上前の1969年。前回の東京大会の5年後だった。
2021年8月公開