度重なるタイトルマッチの延期 “呪われたバンタム”とは
2022年2月5日、後楽園ホール。土曜夜のボクシングと言えば帝拳プロモーション主催の「ダイナミックグローブ」だ。メインイベントの日本バンタム級王座決定戦は、日本ランキング1位のJB SPORTS所属、澤田京介と帝拳所属の日本ランキング2位、大嶋剣心という顔合わせだった。
試合直前、山田が澤田に語りかける
赤コーナーから入場するのはランキング上位の澤田だ。入場を待つ舞台袖でトレーナーの山田武士が澤田に語りかけた。
「辛かった時期に支えてくれた人の顔を目をつぶって思い出せ。少し時間かかってもいいから。その人たちの思いを全部背負ってリングに上がってくれ」
トレーナーとして20年以上のキャリアを持つ山田が試合前の選手にこんな言葉をかけるのは初めてだった。澤田の気持ちを何とか鼓舞したかったから? そういう意図もあるにはあったが、本心はもう少し別のところにあった。
「今回ばかりはこいつだけの力じゃ無理かもしれない…」
山田が澤田を信頼していなかったわけではない。しかし、この2年間を振り返えると、勝負ごとに欠かせないツキや運が澤田に味方しているとはどうしても思えなかった。「持っている」、「持っていない」でいえば、澤田は間違いなく後者だった。
澤田は2019年10月、日本タイトル最強挑戦者決定戦に勝利し、念願の日本王座獲得に王手をかけた。待ちに待った日本タイトルマッチの日程は20年4月9日に決定。中学生でボクシングを始め、どうしても一番になれなかった澤田が32歳で得た千載一遇のチャンスだ。チャンピオンの鈴木悠介がデビュー戦で敗れている相手というのも、モチベーションを高める材料になっていた。
しかし、この試合はコロナ禍の発生によりあえなく延期となってしまう。
「リベンジとベルトという2つの理由があったので、当然燃えていましたね。コロナで延期にはなりましたけど、数か月後にはできると思っていたので。それが…」
コロナの影響でボクシング興行は20年3月頭から中止となったものの、7月から徐々に再開されていった。赤字覚悟の無観客開催、そのあとは客を間引きしての開催という具合に、主に延期となった試合が次々と消化されていった。
ところがバンタム級だけいっこうにスケジュールが決まらない。のちに判明したことだが、チャンピオンの鈴木は網膜剥離を患い、現役続行か引退かのギリギリで格闘していた。そして21年1月、鈴木は澤田との防衛戦をしないまま引退を発表。澤田の試合は空位の王座決定戦へと代わり、対戦相手は上位ランカーの定常育郎となった。
「リベンジできなくなったのは残念ですけど、すぐに切り替えられました。鈴木選手もけがで引退ですから、だれも責めることはできない。定常選手も鈴木選手と同じサウスポーだし、タイプは違いますけどやることは一緒ですから」
このとき、澤田にはまだ余裕があった。
ようやく実現の日本タイトル戦、まさかの負傷ドローと試合中止
定常との王座決定戦は21年5月23日、墨田区総合体育館にセットされる。ところが東京都に緊急事態宣言が発令されて試合は再び延期に。新たに決まったスケジュールが7月26日の後楽園ホールだった。
待ちに待った7月の試合は無事に開催された。1年9か月ぶりのリングで澤田はブランクの影響を感じさせず、快調なスタートを切った。初回からタイミングよくジャブをヒットし、相手が入ってきたところにきれいに右スレートを合わせ、あっという間にダウンを奪った。
しかし、勝利目前と思われた2回早々、バッティングが発生して2人の額から激しく血がしたたり落ちた。試合続行が不可能であることは一目瞭然だ。負傷ドロー。つかみかけたかに思えたチャンピオンベルトは澤田の手から滑り落ちた。
ダウンを奪った初回でフィニッシュしていれば――。澤田の耳にはそんな声も届いたが、終わったことを悔やんでも仕方がない。再戦のスケジュールは11月12日にセットされた。日本タイトル挑戦者決定戦に勝利してから2年がたち、澤田の「何が何でもベルトを取る」という気持ちは以前にも増して高まっていた。
そして試合前日、澤田の夢はまったく予想しなかった形で砕け散る。なんと定常が減量に失敗して病院に搬送され、前日計量に来られなかったのだ。この時点で試合は中止が決まった。
澤田が泣き、山田も涙を流した。計量会場で泣いたのは初めてだった。
「向こうの会長が何度も頭を下げて謝っていました。それは覚えてますけど、頭は真っ白でした。7月がああいう試合で、11月に絶対に決着をつけようと思っていて、それなのにリングに上がることもできない。試合はしてないですけど、負けたような気分でした」
呪われたバンタム――。
2018年に当時のチャンピオンが減量に失敗し、その後もけがや減量失敗でバンタム級タイトルマッチが3試合連続で流れてしまった。バンタム級は呪われている。あの時、多くの関係者がそう口にした。あの呪いはまだ解けていなかったのだろうか…。
計量失格の定常はライセンスのサスペンド処分を受け、戦線から離脱した。そして澤田の相手は大嶋に変更される。仕切り直しの王座決定戦は年が明けて2月5日に落ち着いた。
「ここで腐ってしまったら一生悔いが残る。やりきるしかないですね。自分がチャンピオンになって“呪われたバンタム”を動かしていきますよ」
澤田はなえそうになる気持ちを奮い立たせ、何とか事態を前向きにとらえようとした。しかし、試練はまだまだ終わらない。トレーナーの山田は頭を抱えてこう振り返った。
タイトルを取れないフラグが立っていた…。
2022年3月公開