新日本プロレスに追いつけ、追い越せ—―。
シングル最強を決める「N-1 VICTORY」を成功させたプロレスリング・ノアは2022年1月1日にビッグイベントとなる日本武道館大会を開催するなど「攻めの仕掛け」を展開していくことになります。
武田有弘取締役のインタビューのなかで特に印象に残ったのが25歳の若きスーパースター候補、清宮海斗選手への期待でした。彼は22歳でGHCヘビー級王座を獲得。プロレスのセンスもさることながら観ている者を引き込んでいく魅力があります。
武田さんは新日本で働いていた時代を振り返った際に、棚橋弘至選手の名を口にしました。「100年に1人の逸材」というニックネームに納得したうえでこう話しました。
「(彼は)全力で協力してくれる。社員がやろうとしていることも、メディアやファンがやってほしいことも。自分でみこしをつくって、みこしが大きくなったら自分で乗る。そんなレスラーを、僕は今までみたことなかった。レスラーがやってくれたら、それに勝るものはない。新日本が復活していくのは間違いなく彼の頑張りがあったからだと思います。周りが用意したみこしを乗るのが普通。でも棚橋選手は、社員に任しちゃおけないっていう危機意識があったのかもしれませんね」
自分でみこしをつくって、自分で乗る。
2000年代のプロレス界は〝冬の時代〟でした。業界でトップを走る新日本プロレスも例外ではありませんでした。そんななかでも彼は下を向かず、率先してメディアに、プロモーションに積極的に出ていきました。
私はスポーツ新聞で内勤の整理部記者から外勤のスポーツ部記者になった1999年、最初に担当したのがプロレスでした。主に新日本プロレスを取材し、年の近い武田さんからプロレス界の常識をいろいろと教わりました。ちょうどそのころ立命館大を卒業して入団してきた棚橋選手とも出会いました。
明るいキャラクターもあって、よく話をさせてもらいました。頭の回転が速い人だなと思ったものです。
プロレス担当を離れてからはしばらく棚橋選手を取材する機会はなかったのですが、新日本を盛り上げていることは知っていましたし、試合も時折、映像でチェックしていました。
確か2010年12月だったと思います。
スポーツ総合雑誌「Number」でアスリートと食をテーマにした号があり、久しぶりに棚橋選手に会ってインタビューすることができました。
彼の〝勝負メシ〟はカレーライスでした。当時、私が書いた記事を一部、抜粋させていただきます。
カレーに対する棚橋の思い入れは深い。高校時代、野球部に所属していた彼には親友のライバルがいた。「七番レフト」で控え投手でもあった棚橋に対して、相手は不動のエースピッチャー。野球ではなかなか超えられない存在だったが、3年生になった春の校内マラソン大会でライバルに勝ったことが棚橋にとって大きな自信を与えた。そのマラソン当日の朝に食べたのが、カレーだった。
「何でもいいから彼に勝ちたいと思ってマラソン大会は必死になって走って、最後の1㎞になってようやく追い抜くことができた。その日に食べたカレーの味は今でも覚えているし、何か大事なことがあるたびにカレーを意識して食べるようになった」
カレーが〝勝負メシ〟となったエピソードも最高でしたが、カレーを食べる写真撮影の際もサービス精神たっぷりにいろんなパターンを撮らせてもらいました。むしろ、要求されなくとも「こういう感じどうですかね」とドンドンやってくれます。新日本のエースレスラーに、ここまでやってもらっていいものかと恐縮したほどです。
新日本の人気復活に奔走した彼のような存在は、武田さんが言うように自分でみこしをつくって、自分で乗ったという点においてまさに「100年に1人の逸材」なのだと納得できました。
清宮選手がスターにのぼり詰めるならこれくらいの気概が必要なのかもしれませんね。今後の清宮海斗選手を注目していきたいと思っています。
(終わり)
2021年10月公開