■座談会出席者
日本経済新聞運動グループ 山口大介
SPOAL編集長 渋谷淳
SPOAL編集者 二宮寿朗
SPOALカメラマン 高須力
“オリンピックを書く”ことの難しさとは
高須 僕からすると新聞記者の人ってすごいと思うのは、オリンピックではいろんな種目に行くじゃないですか。決して詳しいとは言えない競技もあると思うんですよ。それで書けるのはどういうことなんでしょう?
山口 それは事前の準備もありますけど、分らなくてもうまく書いてるというところはありますね。でも最近ちょっと思うのは新聞記者って広くて浅いということ。いまSNSで選手が直接ファンとつながったり、発信したり、ものすごいオタクの人がブログですごい細かい内容を書いたりすることがあって、そうなると新聞記者の書いている記事ってどうなの? たいしたことないんじゃない?ってことが、かなりつまびらかになっているところがありますね。
高須 それはゆゆしき問題ですよね。
山口 だから僕らもハードルが上がっているというか。
渋谷 確かに上がってますね。書く上でオリンピックならではの難しさってありますか?
山口 オリンピックの取材は担当が2、3年前に決まってその選手、競技を追いかけて、蓄積したストーリーをもとに本番を取材して、そのすべてを原稿にぶつけるわけです。そうすると記者心理としては、今までの取材してきたことがいかせるようなことが起きてほしい、と思いがちなんですね。基本的に負けることを想定して取材する人はあまりいないので、勝ったときに使える話をずっとためていくわけですよ。
渋谷 ああ、それは分りますね。
山口大介記者
山口 リオの話なんですけど、体操チームはリオ入りして公式練習も予選もボロボロで決勝を迎えた。僕は負けたときにどういう記事を書いたらいいか分らなくて、節に勝ってほしいと願ったんです。そうしたら劇的に勝利してまあ上手く収まったんですけど、そういう原稿って予定調和になりがちなんですよ。むしろロンドンのときの村田諒太みたいに予定外のことが起きたほうが原稿に勢いが出るというのはあるんですね。
二宮 確かに。
五輪のスーパー・スター、ウサイン・ボルトを追いかけて!
山口 あ、ウサイン・ボルトの話をしていいですか?
高須 お願いします! 僕はボルトを追いかけて北京の世界陸上に行ってます!(『ライトニング・ボルトを追え!』参照)
山口 おお、そうですか! で、ロンドンのときの最大のミッションは、日本の選手よりもボルトを書くことだったんですよ。
渋谷 オリンピックまで取材に行くんだったら本当の世界のトップを書きたいという気持ちはあるでしょうね。ボルトは陸上短距離の希代のスターですからね。
山口 実はボルトに関しては2012年のオリンピックが始まる5ヶ月前、3月にジャマイカに行きまして。
高須 うぉー、それうらやましい!
山口 オリンピック前に1度だけ海外取材が許されて、陸上担当の僕が行くべきは、短距離王国のジャマイカか長距離王国のケニア。どっちにしようか迷ったんだけど、やっぱジャマイカだなと思って2週間行きました。
二宮 カメラマンも連れて?
これがジャマイカのチャンプス。盛り上がりがすごい!=山口記者提供
山口 いや、1人です。結果的に共同、時事、朝日、読売、毎日の記者が国内選考会の開かれる6月に合わせて行ったんです。でも、僕はジャマイカのインターハイみたいな大会があって、ようは日本の甲子園みたいな大会で「チャンプス」って言うんですけど、国立競技場3万5000人が満員になるというすごい大会があるんです。それを取材しようと思った。ちなみに国立競技場は、ジョージ・フォアマンがジョー・フレージャーを倒した「キングストンの惨劇」の舞台です。
渋谷 ここでボクシングをはさんできますか!(笑)。1973年の試合です。もう一つ言えばフレージャーは64年東京五輪の金メダリストです!
山口 ありがとうございます(笑)。で、その「チャンプス」はボルトはじめ世界的なスプリンターを輩出しています。現地に2週間いて、その大会も取材し、ボルトの取材も申し込んだけどそれはできなかった。いちおうボルトの通っていた高校に行って、実家にも行って、父親のインタビューまではなんとかして帰ってきました。
二宮 追体験ってやつですね。
山口 ボルトのインタビューはできなかったんですけど、現地で「チャンプス」を見に来ていたボルトに会えて、カメラ目線をもらって写真を撮りました。
チャンプスでボルトの目線をもらった!=山口記者提供
高須 それオレができなかったことだな~。
二宮 北京の世界陸上ね。
高須 「ヘイ! UB!」ってカメラ目線を近くでもらおうと思ったけど、絶好のチャンスでひるんでどいちゃったんですよ。
山口 僕にとってボルトとボクシングのマニー・パッキャオは特別な存在です。なぜかというと、ボルトって別に食べるものに困っていたような生活をしていたわけじゃないけど、とはいえジャマイカの道も舗装されていない山の中から出てきた。それで陸上短距離王国のアメリカからすべてのメダルをかっさらったんですよ。
高須 確かにそうです。
ジャマイカの“甲子園”チャンプスを取材する
山口 ジャマイカはそれまでも有名な短距離選手がたくさん出ているんだけど、みんなアメリカに留学して、アメリカのシステムで強くなった。でも、ボルトはアメリカに行かなかった。ジャマイカ出身の多くの選手が移住したり、奨学金をもらって海外に留学したりしてスポーツで成功した。そういう選手がたくさんいる。ボルトのころにようやくジャマイカに選手を育てる仕組みができて、ジャマイカ国内から世界に行けるということをボルトが証明したんです。そんな選手がスポーツ大国のアメリカを驚愕させた。フィリピン出身のパッキャオも同じじゃないですか。それでパッキャオとボルトが大好きになったんですよ。
二宮 なるほどなあ。
山口 あとはね、ボルトってめちゃくちゃエンタテイナーなんですよ。始まる前になんかやるじゃないですか。昔の人はスッと用意するだけですけど。
高須 僕にもノリで「ウィー」みたいにやってくれました。
山口 そうそう、緊張感しかなかった100メートルを陽気な世界に変えたというか、なんか革命的でしたね。
高須 そうなんですよ。世界選手権の表彰式では自分でカメラもって、「イエーイ! おれだよ、おれ、こっちこいよ!」みたいなことやってるんですよ。「それ、許されるんだ」みたいで、ほんと最高ですよ。
山口 最高ですよ、ボルトは。だからもうロンドン五輪行くときに、しつこいですけど日本人の金メダルを書きに行くよりも、「ボルトを書きに行くんだ!」と思ってましたから。
二宮 そのときの記事が気になりますね。
山口 それがさっき話したように予定取りの結果だったので、すべて準備されていて意外とたいした記事じゃない(笑)。僕がボルトの記事で一番良かったと思っているのは、ロンドン五輪前のテグの世界陸上で、フライングをしたレースなんですよ。
二宮 ほう~。
山口 失格になったんですよ。そのときの記事が自分では一番良かったと思ってるんですよね。やっぱり予想してなかったことが起きるほうが勢いが出るんでしょうね。あり得ないことが起きたという自分の感情の発露なんですかね。
二宮 予想外か~、確かに分るような気がします!
2021年7月公開