レベルの上がったB3 日本人選手には「勇気を持ってプレーを」
2020-21シーズン、バスケットボールB3の東京エクセレンスは3位という成績でシーズンを終えた。ヘッドコーチ(HC)の石田剛規は2年ぶりにB3を戦う中で、自分たちが優勝した2シーズン前よりもB3がレベルアップしていると感じていた。
「1年間いなかっただけで、どのチームも『これだけ力を入れているのか!』と驚きました。優勝したアイシン・エィ・ダブリュ アレイオンズ安城は外国籍選手の力もさることながら、日本人選手の安定感とプレーの精度が高い。では、エクセレンスはどうだったのか。自分がチームの顔になるんだ、自分がチームを勝利に導くんだ、という選手がもっといないといけない。昨シーズンも、その前にB3で優勝したシーズンも、外国籍選手に頼ったシステムでした。そこをこれからは変えないといけないと思っています」
若手ポイントガードの田口
日本人選手はもちろんがんばっている。それでもなお、日本人選手のさらなる成長がなければ、この世界でエクセレンスは生き残っていけない。石田はここ数シーズンの戦いを通してそう感じているのだ。
勇気を持ってプレーしよう――。
昨シーズン、石田が何度も選手たちにかけた言葉だった。
「だれかがやってくれるだろうという姿勢では相手も守りやすいし、トライしないと経験が蓄積されない。思い切ってトライする、シュートにいく、自分が局面を打開しようとする。それで失敗するから次どうしようとなるわけで。トライしないと何も起きないまま終わってしまいます。もっと『自分がヒーローになっていくんだ』みたいなメンタリティーは作っていきたい。やはり活躍するのが外国人選手ばかりだと、チームの文化とかメンタリティーは生まれていかないと思うんです」
現在38歳の石田は起伏に富んだバスケットボール人生を歩んで来た。それが指導者としての土台になっている。石田の選手としての足跡を振り返ると、そこには栄光と挫折があった。
栄光と挫折を味わった現役時代
石田はバスケットボールの名門校とはいえない茨城・日立一高で全国大会に出場し、慶應義塾大に進学。2004年には中心選手として活躍し、慶應にとって45年ぶりとなる大学日本一獲得(インカレ優勝)に貢献した。このとき2学年下のチームメイトが現在も日本代表で活躍する竹内公輔(宇都宮ブレックス)だ。身長187センチ、クレバーなシューティングガードとして頭角を現した石田はU-24日本代表に選ばれるほどの選手に成長した。
大学卒業後は国内トップチーム、トヨタ自動車アルバルクと契約する。自信はあったし、前途は洋々と思っていた。ところがひざの前十字靱帯を2度断裂するなどけがに泣き、わずか4シーズンでアルバルクを去ることになった。
戦況を見守る石田HC
「アルバルクにいた4年間は、いつも悩んで、ネガティブにものごとを考えていたように思います。試合に出られないからダメだ、シュートが入らないからダメだ。もういろいろなことを気にして、ダメだ、ダメだ、という連続でしたね」
バスケットボール選手としてトップになるという夢が潰えた石田は「ああ、オレってこんなものなのか」と落胆した。そして社会に放り出され、自分がバスケットボール以外には何もしてこなかったことを知る。就職活動の面接でバスケットをいかに一生懸命やってきたかをアピールすると「じゃあ他に何ができるの?」との答えが返ってきた。言葉に詰まった。
大学の同級生たちはみんな社会に出てバリバリ働いていた。収入も何もなくなった自分が情けなかった。こうなったら何でもチャレンジしてみるしかない。石田がフジテレビの月9ドラマ『ブザー・ビート〜崖っぷちのヒーロー〜』に俳優として出演していたことをご存知の方も多いのではないだろうか。石田なりの必死のチャレンジだった。
引退から2年後の11年、声がかかって新興の千葉ジェッツで現役に復帰し、13年にはエクセレンスに移籍する。石田はアルバルクでの4年、ブランクとなった2年の経験を経て、バスケットと向き合う上で気持ちにかなりの余裕を持てるようになっていた。
「思い切ってやる、がむしゃらにやる。そういう姿を見せればいいんじゃないかと考えるようになりました。そういうスタンスでやってみたらバスケがうまくなったような気がしました。シュート成功率を気にするのではなく、余計なことを考えずに思い切ってシュートを打つ。そうしたら前よりもシュートが入るようになったんです。数字にまったくこだわらないわけじゃないけど、悩まずにやるとか、勇気を持ってやるというメンタリティーでやったら突き抜けることもある。そういうことを若手には伝えたいと思っているんです」
一度バスケットボールから離れ、復帰してからの人生で多くのことを学ぶことができた。石田は2017年、現役を引退すると同時にエクセレンスのHCに就任した。
2021年7月公開