初めて訪ねたエジプトの首都カイロは900万人が暮らす中東最大規模の街で、そこにはエネルギーに溢れていました。埃っぽい空気に香辛料の香りが混ざり、行き交う人々の話し声や足音、昼夜を問わず聞こえる車のクラクション。世間知らずの日本人からすると無秩序のようにも見えましたが、そこには彼らなりのルールがありました。
例えば、街で驚いたのは信号が少ないことです。3車線もあるような大きな道路を横断したいときは交差点までいくか、車の流れを読んで渡るしかありません。最初は現地の人の動きに合わせていましたが、よく観察していると運転手にアイコンタクトで渡る意思を伝えれば、横断に合わせてスピードや車線を変更してくれているようでした。ちなみに日本でクラクションは霧などで見通しが悪いときや危険なときに鳴らすものという認識でしたが、エジプトでは鳴らすためにあると言わんばかりに些細なことで鳴らし、中には挨拶代わりに使っている人もいてカオスそのもの。
そして、スタジアムはさらに混沌としていました。大陸の各地から集ったサポーターは民族衣装に身を包んで独特なリズムで踊っていたかと思えば、火を起こして祈祷? を始める人までいました。サポーターだけではありません。自国のゴールにガッツポーズで喜び撮影することを忘れるカメラマン。何かに取り憑かれたような形相で捲し立てるレポーター。プレスルームで振る舞われたケータリングでは譲り合いという発想がありませんでした。それでもアザーンが流れてくると、どこであっても祈りを捧げるのです。混沌と祈り。相反するように思えますが、そこにはやはり彼らなりのルールがあったのだと思います。
そもそも僕にとってのアフリカといえば、カメルーンやナイジェリアなど西アフリカの印象が強かったのですが、エジプトはイスラム国家で人種も文化も想像していた世界とはまったく違っていました。それは地理や歴史を考えれば、当たり前のことではあるのですが、このときは学生時代に学んだ地理や歴史を消化できていなかった自らの想像力の欠如を恥ずかしく思ったことが忘れられません。
このときのエジプト遠征を一言で表すなら未知との遭遇です。ピラミッドやスフィンクスを見ることはできませんでしたが、現地の人と触れ合うことでそれまで知っているようで知らなかった世界があることを知れたことは大きな収穫だったと思います。
最後にこの大会で撮った写真を御覧ください。
終わりッ
2021年1月公開