平井康翔から、YASU FUKUOKAに。
YASUという呼びやすいネーミングに、自分を育ててくれた母の姓であるFUKUOKAを背負い、新たな門出となる30代を迎えた。
実は彼が泳ぐようになったのも、母親がきっかけだった。
子供が一番早くできるスポーツの一つであり、大きくなった時に様々なスポーツを選ぶ際にも基礎体力で困らぬよう、生後6ヶ月からベビースイミングをはじめたという。
そうして出会った水泳は、小学校2〜3年生でジュニアクラスに進んだことで本格的なスイマーとしての道へとつながっていく。全国大会やジュニアオリンピックに出たいという思いも持つようになり、中学時代に通っていた地元のクラブでは全中やその後インターハイで成績を収めた選手も在籍していたこともあって更にトップレベルでの活動を意識するようになったのだ。
そして周りの実績のある先輩が水泳で東京六大学に進んでいくのを見て、彼もまたその道を志した。千葉県で育ったこともあり、市立船橋高校へ進学。全国高校総体の競泳男子400メートル自由形覇者として、東京六大学のひとつである明治大学へと進んだのだった。
ここまで読んで、お気づきになっただろうか。
そう、彼は高校卒業の時点ではまだオリンピアンになった種目でもあるオープンウォーターには出会っていない。それどころか、自由形でインターハイ王者になっているほどのスイマーである。変化が訪れたのは、大学時代のことだった。
すべては、オリンピックに出るため。
高校3年生の時にインターハイを制し、オリンピックへの道も想像したという。しかし彼には、そこにたどり着いている自分が見えなかった。
「400mのクロールじゃ、もし自分が水連の派遣標準記録を切ったとしても(オリンピックでは)予選落ちだろうなと。世界で戦うとなったら身長も185cmくらいは必要ですし、自分には厳しいかなと思ったんです」
そう自分で見切った彼は、新しい道を模索するようになる。そこで出会ったのが、北京オリンピックから正式種目として採用されたオープンウォータースイミングであった。
「種目にこだわりはなかったんです。とにかく、オリンピックへ行きたかった。(オープンウォーターは)誰もやっていなかったし、日本人も誰も出れていなかった。そこに自分の人生を切り拓いていくチャンスがあると思いました」
当時のこの判断が、オープンウォーターの先駆者平井康翔を生んだ。彼は長年トップを走ってきた自由形ではなく、このオープンウォーターという競技に自分の未来を見たのである。
もちろん、インターハイ自由形王者としてインカレでの優勝も目指していなかったわけではない。事実大学2年生までは、自由形スイマーとして競技生活を送っていた。
しかし世界を知るにつれ、どれほど日本で知られた大学に所属し、どれほどその大学で活躍しようとも、世界は自分のことを何も知らないと彼は気付いた。インカレ王者という肩書とオリンピアンという肩書、彼は後者を目指し、それを実現するべくオープンウォータースイミングというフィールドへ身を投じた。その目は、当時から完全に世界を捉えていたのだった。
そして彼は、転向早々から結果を出した。大学3年時の2011年に、ユニバーシアード競技大会男子10kmオープンウォーターで3位入賞という成績を収めたのである。
あくまで事実を記載しているのだが、それにしてもこのストーリーは凄まじいインパクトではないか。つい前年まで400m自由形を主戦場としていたトップスイマーが、新設競技とはいえ10km以上も外の海を泳ぐオープンウォーターの国際大会でいきなり銅メダルを獲得したのだ。
オリンピアンになるという強い決意が、言葉だけではなく成績からも伝わってくる。いったい彼の原動力になるもの、その行動理念はどこからくるのだろうか。
YASUを突き動かすもの
意外なことに、その答えはファッション・カルチャーにあった。彼は、中学生の頃から『warp』とか『Ollie』とか『WOOFIN’』とか『SMART』といったファッション誌・カルチャー誌を読み漁っていた。自身を”オタク気質”と呼ぶほど興味を持ったことは突き詰めるタイプゆえに、そうした雑誌からカルチャーも探るようになっていったという。
「(ファッション・カルチャーの)世界では、例えば18歳でも世界では活躍している人がめちゃくちゃいるんですよね。それに気付いた高校生の時に『自分はこうだ』って世の中に言えない歯がゆさのようなものがあったんです。だから、18歳の時にはオリンピックには出れないけど22歳の時には出る、ってその時から決めていたんです。目指しているものが、他の人と最初から違っていたんですよね」
高校時代から既に明確なビジョンを持っていたこと以上に、インスパイアの元がファッション・カルチャーだったことに驚いた。YASUの視野はどこまでも広く、決して何事にも壁を作らない。だからこそ、本当の意味での競争相手は競泳界にはいなかったのだろう。それは、日本ではなく世界中に、スポーツの枠を超えたところにいたのだ。
国内で華々しい実績をあげた自由形の世界から、未開の競技オープンウォーターへ転向。そしてその一年後には国際大会でメダルを獲得。一見おとぎ話のようなストーリーだが、その裏には主人公の確固たる信念と目標があった。彼の強さを、少しだけ垣間見ることが出来た気がする。
ファッションやカルチャーにインスパイアされたという点も、今立ち上げている「I SWIM」へとつながっているのだろう。ここからどのようにしてオリンピアンになり、そこからブランドを立ち上げたのか、まだまだストーリーは続く。
2021年1月公開