散歩のテーマは“発祥” 日本最古のクラブYC&AC
横浜駅から電車で10分あまり。9月28日、近藤カメラマンと待ち合わせたのはJR根岸線の山手駅だった。今回の散歩のテーマは「発祥」。最初の目的地に選んだのは日本最古のスポーツクラブ、横浜カントリー&アスレチッククラブ(YC&AC)である。
山手駅から東に足を向け、すぐに家々の合間を縫うような細い道を登る。「えっ、ここ通り抜けられるの?」という私道のような細い道は、このあたりの地域でよく見られ、なかなか味わい深い。街全体が急斜面にあるため、こうした小さな生活道が自然とできたのだ。
JR山手駅周辺。どこもかしこも坂道だ
夏の暑さは遠のいたとはいえ、この日の最高気温は27度で快晴。汗をかきながら10分ほど歩くとYC&ACに到着した。白い建物と緑の天然芝のグラウンド、道を挟んでテニスコート。西洋の香りと歴史の重みを醸し出しながら「ちょっと近寄りがたいな」という敷居の高さを感じさせないのは、いまでも地域の老若男女がさまざまなスポーツを楽しんでいる開かれたクラブだからだろう。
このYC&ACが日本のスポーツ普及にはたした役割は大きい。もともと日本に存在していなかったスポーツは横浜や神戸といった港から入り、日本に住み始めた外国人の手によって国内に広まっていった。以下、同クラブのホームページの要約を読んでみてほしい。
これが日本にスポーツを広める原動力となったYC&AC
横浜港が開かれたのが幕末の1859年。以来、横浜には外国人がたくさん住み着くようになった。横浜在住のスコットランド人、ジェームズ・モリソンがクリケット仲間のアーネスト・プライスと横浜クリケットクラブ(YCC)を立ち上げたのがYC&ACの始まり。これが1868年(明治元年)の話というが、すでに横浜にはYCCとは別のラケットクラブやサッカークラブが存在していたという。
200年に及ぶ鎖国が解けて間もなかった当時、外国人に対する風当たりは現在の私たちが想像できないほど強かった。「外国人が横浜で暮らすこと自体が危険」とホームページではソフトに表現しているが、薩摩藩士が生麦村(現横浜市鶴見区生麦)で騎乗していたイギリス人を殺傷した「生麦事件」が起きたのは1862年のこと。そうした世相の中でスポーツを楽しむクラブを立ち上げてしまうのだから「欧米人のスポーツ熱や恐るべし」というところだろうか。
YC&ACの天然芝グラウンド
歴史を振り返るとあまりに長くなってしまうので、発祥を象徴する一つのエピソードを紹介したい。それは1888年3月、日本で初めての公式戦と言われるサッカーの試合が横浜で行われたということだ(サッカー発祥の地は神戸との説もあり)。
この試合に出場したのがYC&ACであり、対戦相手は同じように外国人たちが神戸で設立したKR&AC(神戸レガッタ&アスレチッククラブ)だった。横浜市スポーツ協会のホームページによると、試合は横浜が2-1で競り勝ったという。この対抗戦は130年以上たったいまでも定期的に行われているというから驚きだ。のちに横浜に横浜F・マリノス、横浜FC、神戸にヴィッセル神戸と、Jリーグのチームが誕生したのは何かの縁だろうか。
長い歴史に思いをはせながら現在のYC&ACの施設を眺めてみれば、その奥深さを一層感じることができるだろう。ちなみに前述したサッカーの試合が行われたのは現在の横浜スタジアム周辺(横浜市中区横浜公園=JR関内駅近く)。紆余曲折をへて現在の西区矢口台に移転したのは1912年のことだった。
テニス発祥の地はやっぱりセレブな山手
さて、散歩に戻ろう。YC&ACを後にした私たちは「最寄りのバス停」と書かれていた緑ヶ丘高校前まで歩いた。ここも急な下り坂、上り坂という山手ならではの起伏。3年間通うだけで足腰が鍛えられそうな神奈川県立緑ヶ丘高は高台にあり、生徒たちは横浜ベイブリッジが一望できる素敵なロケーションで学園生活を送っている。
緑ヶ丘高校前のバス停に向かう坂道
バスを待つ間に1923年(大正12年)創立という歴史ある緑ヶ丘高校のスポーツをチェックしてみると、小島一平(1972年ミュンヘン五輪バドミントン代表)、田中衆史(1998年長野五輪アイスダンス代表)と2人のオリンピアンを発見。バドミントンとアイスダンスというのが渋い。
バスに乗って急な坂道をグネグネと下って本牧通りへ。上野町のバス停で下車して少し歩くとそこが山手公園だ。ジグザグに坂を登っていくと高台にはテニスコートが並んでいた。
テーマは「発祥」だけに、またしても歴史の話をお許し願いたい。この山手公園は日本初の洋式公園として1870年(明治3年)に居留地に住む外国人によって作られた。この地で、日本で初めてテニスがプレーされたのが1876年のこと。園内にあるテニス発祥記念館こそ私たちの目的地である(入場無料)。
ご婦人はこの格好でテニスをした!
記念館には最も古いテニス道具一式や、初期の女性の“テニスウエア”をマネキンで展示。パンフレットには「当時、女性の運動着というものはなかったので、散歩着(バッスルスタイル)でプレーしました。小走りして裾を踏んで転ぶこともあったそうです」との記述が。写真を見れば納得である。
ほかにもテニスの歴史がわかりやすく展示しており、「皇室御一家も山手でテニスをお楽しみ」のパネルには、皇太子時代の上皇さま、上皇后さまのはつらつとしたお姿が。皇室ブランドがテニスクラブの格式をより一層高めていることは言うまでもない。
テニス発祥記念館。公園内には「日本庭球発祥の地」の碑も
この公園から元町に向かう高台こそは高級住宅地が広がる本当の山手だ。記念館に置いてあった「山手お散歩なび」(公益財団法人横浜市緑の協会)は、元町方面へ歩いて行けば、べーリック・ホール、エリスマン邸、山手234番館、横浜外国人墓地など、異国情緒たっぷりの素敵な街並みが広がっていることを教えてくれた。
体育会系の私たちは素敵な洋館に後ろ髪を引かれながらも引き返し、麦田町のバス停から横浜市営バスに乗り込む。スポーツとの新たな出会いを求めて関内方面に向かったのだった。
2020年10月掲載