クラブチームでプレー 国体で2度優勝
2010年にトヨタ自動車アルバルクを退団したあと、宮田は再びクラブチームのエクセレンスでプレーを始めた。若い選手を教えながらのコーチ兼業である。アルバルクをやめる際、JBLの2部のチームからオファーもあったのだが、社員として採用してくれたトヨタ自動車に恩義を感じていたこともあり、クラブチームでのプレーを選択した。
「引退と思っていたんですけど、4年後に東京で開催される国体に出るのは面白いかなと思ったんです。国体で優勝することをモチベーションにして、その結果、2011年の山口国体と2013年の東京国体で優勝することができました。国体はレベルが高くて面白かったですね」
国体で優勝とはなかなかの勲章だが、このときの宮田は社業とバスケットの両立に四苦八苦していた。アルバルクでプレーした最初の4シーズンは契約社員扱い。厳密にはプロではないとはいえ、社業をすることなくバスケットに専念できるのだからほぼプロと言えるだろう。ところが社員になったため、今度は当然ながら社業をしなければならない。
宮田は広報のセクションに配属された。担当はトヨタの誇る高級車レクサスだ。モーターショーや新車発表会、ジャーナリストをアテンドしての試乗会など、海外出張もたくさんあった。もちろんトヨタの社員として手抜きは許されない。これでついにバスケからフェードアウト…いや、宮田はバスケもいっこうに手を抜こうとしなかった。
「どこへ言っても『僕はバスケの人です』とアピールしていました。スケジュールもバスケに支障がないように組む。ジャーナリストを海外にアテンドするのに、0泊2日のスケジュールを組むなんてめちゃくちゃなこともしました。(笑)。もちろん自分の試合に間に合わせるためです。でもジャーナリストの方も、レクサスの役員とかエンジニアの方にも、ずいぶんかわいがってもらいました。今でも試合を見に来てくれんですよ。ほんと、ラッキーだと思いますね」
仕事もバスケも全力だった。仕事をして、練習をして、また会社に戻って朝まで仕事をしたことも一度や二度ではない。長時間の残業は許されておらず、上司からは怒られた。それが大きな問題にならなかったのは、だれもが宮田のバスケにかける熱意が尋常ではないと知っていたからだろう。
©東京エクセレンス
プロになった今も宮田はトヨタ自動車の社員である。住まいもトヨタ自動車の社宅だ。現在は総務部人事課に勤務している。
ここでふと素朴な疑問が頭をよぎった。彼はなぜ平日にバスケットボールができるのか。なぜ平日に私たちのインタビューを受けることができるのだろうか?
聞けば会社には裁量労働制という制度があって、成果さえ出せばいろいろと自由がきくのだという。たとえば在宅勤務がそうだ。兼業届というものも出して、会社の業務に支障が出ないように活動する、という誓約書も出している。もちろん仕事をきっちりすることが前提だ。ちなみにこの制度を利用している社員はあまりいないという。
「僕はやっとの思いでプロになれました。だから会社で働いていて夜の練習に仕事の都合で行けなさそうになるとめちゃめちゃイライラしてくるんですよ。それが年々ひどくなって、ここ数年は1回も練習を休んでないです。昔と違っていまはかなり要領よく仕事ができるようになりました」
こうした振る舞いを同僚はどう見ているのだろう。宮田は「いや、みんなあきらめてるだけですよ」と笑うが、そうではない。職場の人達がエクセレンスのファンクラブに入っているという話を聞けば、宮田が会社でいかに愛されているかが分かるというものだ。
プロチームを創設、念願のプロ選手になる
話しを戻そう。クラブチームのエクセレンス、国体の東京チームでプレーすることは楽しかった。ただ、正直なところ物足りなさを感じていたのも事実だった。同じ時期にアルバルクを退団し、エクセレンスと国体チームのチームメイトでもある盟友の齋藤豊とそんな話しをよくしていた。
2013年、そんな宮田と齋藤のもとに思わぬニュースが飛び込んできた。NBL(2013年にJBLから改組)の下部リーグとして組織されたNBDLが新たな参加チームを募集しているという。エクセレンスのオーナー、著書『スラムダンク勝利学』で知られるスポーツドクターの辻秀一さんから「どうする?」と言われたとき、宮田の心は躍った。
「これはチャンスだと思って『絶対やります。プロになります』と辻先生に答えました。参入のハードルもそれほど高くなかった。そこからチームをつくるために、選手を集めるとか自然にGM的な仕事をするようになりました。いまB1の名古屋ダイヤモンドドルフィンズにいる狩野祐介(日本代表に選出されたこともある)をスカウトしたりとか。いま考えればよく来てくれたなと。でもGMは仕方なくやったという感じで、自分がプロになるというのが一番のモチベーションでした」
こうしてエクセレンスは東京エクセレンスというプロチームとなり、宮田は念願のプロバスケットボール選手となった。
エクセレンスは2013年から16年までNBDLで戦い、Bリーグが発足した2016年からBリーグに参入。初年度はB2で戦ったものの、B2に必要なアリーナの要件を満たせず、翌シーズンにB3降格。B3で優勝して19年にB2に上がり、再びアリーナ問題でB3に降格したのは先述した通りである。
2020年8月掲載