異色の経歴を持っている、スポーツにかかわる「超レア様」の半生を深掘りしたい――。その思いから実現したこの企画。私、編集長の二宮が会ってきた第1回のゲストは写心家の山口裕朗さ。何が「超レア」かって彼は元プロボクサーで、A級ボクサー(8回戦に出場できる)として活躍。引退後はまったく畑違いの仕事であるフォトグラファーの道に。そこには隠されたドラマがいろいろとありまして……。
編集長:山口さんとは親しく一緒に仕事をさせてもらって随分と経つけど、ボクサー時代のことをしっかり聞くのは初めて。
山口:ボクサーの頃を振り返って話す機会ってなかなかないので、ちょっと緊張しますね。それにしてもこの企画、某バラエティー番組のタイトルをモチーフとしているのは分かるんですけど、「超レア様」ってどうして「様」まで付くんですか?
編集長:いいジャブですね~。レオナルド・ディカプリオってレオ様って言われるでしょ。レオ様があるなら、レア様かな、と。
山口:は、はあ(苦笑)。
編集長:ま、ま、前置きはこのくらいにして早速本題に入っていきましょう。リサーチしたところによると山口さんは東京都のお生まれ。中学時代はソフトボール部に入っていたそうですが、ここまでボクシングの香りはまったくしませんね。
山口:ボクシングとの出会いは中3の秋です。試験勉強していたら夜遅くなって、深夜1時ごろに息抜きで何気なくテレビをつけたらガッツファイティング(TBSのボクシング中継)をやっていまして。
編集長:89年ですか。その頃のガッツファイティングで有名だったボクサーと言うと……。
山口:鬼塚(勝也)さんです。まだ日本ランカー時代で、韓国人ボクサー相手にレバーブロー1発で倒しちゃって。かっこいい!美しい!って心が奮えて〝俺、ボクシングやる〟って決めたんです。
編集長:中学生のときに辰吉(丈一郎)さんの試合をテレビで観て、ボクシングをやるって決めた山中慎介さんと同じじゃないですか! じゃあ高校の部活で始めたクチですか。
山口:いや、僕が進学した東京農大一高はボクシング部がないし、高校合格が決まったその日に当時、新大久保にあった協栄ジムに行って入会してきました。
編集長:まさに鬼塚さんが所属するジムじゃないですか!
山口:鬼塚さんだけじゃなくてペレストロイカで勇利(アルバチャコフ)さん、グッシー(ナザロフ)さんたちソ連からのボクサーもいて、凄い活気がありました。でも僕、半年くらいで辞めてしまうんです。
編集長:ボクシングの世界は実際考えていたものと違った、とか。
山口:いや、僕の考えが生ぬるかったと思います。親を説得するためにジムの月謝は自分で払うって約束したんでデリバリーのバイトも始めたし、やっぱり友達と遊ぶほうが楽しかったし……。
編集長:一度、ボクシングから離れた時期があったんですね。
山口:そうなんです。協栄ジムをやめて、学校が終わったら友達と遊ぶ高校生活になったんですけど、たまたまクラスメイトに金子ジムで練習しているヤツがいて、ボクシングの話で盛り上がって。それで高1の終わりのほうかな、そのクラスメイトの練習を見に行ったことがあって、そうしたらまたボクシングをやりたくなったんです。
編集長:金子ジムに入門するんですね。生ぬるさを捨てていく、と。
山口:さすがにもうやめられないですからね(笑)。高3の8月に、プロテストに合格したので、「俺はプロでチャンピオンになる」って決めたんです。両親には申し訳なかったですけど、勉強もあまりやらなかった。
編集長:ボクシングのどこに惹かれました?
山口:生きてるっていう感じがするんですよ。
編集長:ほう。
山口:金子ジムに入って初めてスパーリングをやったときに、相手は僕と同じ年で、背丈も一緒くらい。お互いに怖いから、パンチを当てにいかないんです。金子健太郎さん(当時はマネージャー兼トレーナー、現在は金子ジム会長)が見かねて「お前らダンスやってんだったらリングから降りろ!」と怒られて。俺、凄くカッコ悪いって思って。
編集長:ボクサーあるあるだ。
山口:心のなかのモヤモヤが消えなくて。翌日に健太郎さんから「じゃあきょうもやってみるか」と言われて、2人とも即答で「やります!」と。
編集長:相手も同じ気持ちだったんでしょうね。今度はダンスじゃなかった?
山口:それはもうお互いガムシャラでしたね。終わったら僕のヘインズのTシャツが真っ赤になっていて、洗面台で自分の鼻血を洗ったらもうそこらへんが真っ赤で。俺、生きてるなって実感できたっていうか。
編集長:それで、生きてる、なんですね。
山口:はい。ボクシング最高だなって。
プロボクサー時代の貴重な一枚。21、22歳ころだとか。(山口裕朗さん提供)
編集長:じゃあ大学進学じゃなく、プロでやっていくぞ、と。両親から反対される絵が目に浮かびますけど。
山口:殴り合いのスポーツですから母親は心配だったと思うし、反対もありましけど、父親が「やりたいことがあるなら、やればいいじゃないか」と背中を押してくれて。それで進学せず、プロでやっていくことにしたんです。
編集長:でも食べていけないでしょ、ボクサーのファイトマネーだけじゃ。
山口:お金が溜まるまでは自宅にいていいと言われたんですけど、仕事はやっていかなきゃいけなくて。それでビルの窓ふきのアルバイトを始めました。
編集長:なぜ窓ふき?
山口:高橋ナオトさん(元日本バンタム級、スーパーバンタム級王者。マーク堀越さんとの名勝負は伝説に)が窓ふきをやっていたって聞いて。
編集長:ナオトさんに憧れるボクサーは多かったですもんね。
山口:ただ時間の融通が利くんです。午後4時には終わるんで、ジムワークに入っていくにはちょうどいいので。
編集長:そして高校を卒業したその年の10月、プロデビューを果たします。その話は、次回に!
2020年7月公開