贈られたグローブから伝わる感謝の思い
「A SIDE STRENGTH&CONDITIONING」に、サイン入りのボクシンググローブが届いた。
差出人の名は亀海喜寛。
世界チャンピオンの座には届かなかったものの、ボクシングの本場アメリカで認められた帝拳ボクシングジムの元ボクサーである。2018年8月のグレグ・ベンデティ戦を最後に引退し、海外のボクシングに精通する知識を活かして現在はWOWOWボクシング番組の解説者としても知られている。
「ミゲール・コットとの試合で使用したグローブなんです。『中村さんに持っていてもらいたい』と言われて受け取ることにしました。嬉しいですよね。このジムの宝物にしたいと思っています」
アメリカを主戦場にした亀海は元6階級制覇のオスカー・デラホーヤが立ち上げた「ゴールデンボーイ・プロモーション」と日本人で初めて契約に至った実力者。2017年8月、4階級制覇の超ビッグネーム、ミゲール・コットの再起戦に指名され、WBO世界スーパーウェルター級王座決定戦に臨んだ。果敢にプレッシャーを掛けたものの、ヒット&アウェーに徹するコットを捕まえ切れずに0-3判定負けに終わった。アメリカンドリームは掴めなかったが、超ビッグネームとアメリカでメーンを張ったボクサーとして名を刻んだことは言うまでもない。
グローブから伝わってくるのは感謝の思いだ。
亀海は中村のもとで肉体改造に着手して、海外でタフに戦い抜く力を手に入れることができた。
中村は指導を始めたころの亀海のフィジカルをこう評する。
「日本王者のころは、フィジカルレベルが低すぎましたね。フックを打ったら肉離れするし、走ればひざが痛くなし。筋量がなく、ケガばかりでしたから。次第にケガをしない体ができて、筋量もついた。(体の)サイズも向上して、あのゲレーロ戦では負けましたけど、スタミナの強化に取り組んだ時期で形としてうまくかみ合い始めていました。たとえ1、2ラウンドが良くても、最後に失速したら意味がないですから。亀海の高いボクシングスキルを活かすも殺すもフィジカルでした」
ゲレーロとは元4階級制覇のロバート・ゲレーロ。2014年6月に対戦し、亀海は0-3判定負けながら強豪相手に果敢に打ち合い、アグレッシブに戦い続けたことがアメリカ国内で高く評価された。しかしアルフォンソ・ゴメス戦(2015年3月)でも判定で敗れ、亀海はウェルター級から階級を下げるのではなく、逆にスーパーウェルター級に上げる決断を下す。中村との「肉体改造」に手応えをつかんでいたからこそだった。
2016年に入ると「激闘王」の異名を持つメキシカン、ヘスス・ソト・カラスと対戦。その死闘は、権威あるリング誌の年間最高試合賞にノミネートされた(1-1判定、ドロー)。半年後に行なわれた再戦で、8回終了TKO勝ちを収めて決着をつけている。ボクシングスキルに猛者相手でも失速しないフィジカルが追いついたことで、「激闘王」を撃破してミゲール・コットまで辿り着くことができた。
次世代のトレーナーの実践の場に
一人ひとりのボクサーに愛情と敬意を持ち、信頼関係を築いてきた。指導を受けるボクサーも敬意と感謝を忘れない。「ただ、選手に同情するようじゃダメだし、選手がトレーナーに同情させることがあっては成り立たない」と客観的な捉え方が抜け落ちてもいけない。かくしてその信頼関係はグッと強いものになっていく。
もちろんボクサーばかりではない。プロ野球選手、Jリーガー、プロゴルファー、キックボクサーなど多くのアスリートが中村を頼ってくる。
科学的なアプローチと、選手目線に立つポリシーと。
次なる中村の目標とは何か。
「ボクシングに10年かかわってきて、ジムワーク、ロードワーク以外にフィジカルトレーニングをしっかりやるという流れは自分なりにつくることができているのかなとは思っています。それをほかの競技でも、という思いはあります。たとえばゴルフでは、飛距離を飛ばすためにいかに筋力を上げていくかというところに日本ではまだまだ目を向けられていません。いろんなスポーツにおいて問題解決の一助になれたらという思いはあります。
筋力を高める、体力、持久力を高めることが自分の専門的な領域。そこを深掘りしようとしているし、これからもそう。効果的、効率的なトレーニングを目指して、ボクサーを含めアスリートのみなさんに落とし込んでいければいいですよね」
この「A SIDE STRENGTH&CONDITIONING」を設立した背景には、もう一つ大きな理由がある。それは次世代のトレーナーたちの実践の場にしてもらいたいとの思い。ここには中村のほかに数名のトレーナーが業務委託という形で働いている。
中村が若いころはスポーツトレーナーが職業としていなかった時代。独学で開拓していこうとしても、実践する場所が足りなかった。
「こういう場所があることによって勉強してきたことを試したりもできる。もっとこうしていこうとか、そういう考えも出てくる。僕自身、教えるのは得意じゃないので、環境づくりだけで(笑)。少しでもストレングス&コンディショニングという分野が日本でも広がりを持って、興味を持つ人が増えてほしい」
ストレングス&コンディショニングは、日本スポーツ界の発展に貢献できる。その認知を広げていくには実証していくしかない。ボクシング界だけにとどまらず、他競技に目を向けるのはそういった使命感もある。
「日本には筋力をつけたら逆に技術的なものを失いかねないんじゃないかとか、柔軟性がなくなるんじゃないかとかトレードオフみたいな考え方がまだ残っていると感じます。まったくそうではなくて正しいやり方で筋力をつけていくことで、技術的なものを失うわけでもないし、ましてや柔軟性を得るにも筋力は必要なので。
筋力トレーニングは欧米人がやるもので日本人は日本人らしさを求めて、筋力トレーニングのような骨格的なものは置いて、もっと戦術であったり、個人的な技術を高めてって言われるじゃないですか。そこをあきらめている人は意外に多い。そこをあきらめないで筋力を主軸としたトレーニングをもっと取り入れるべきじゃないのかなって思うんです」
亀海がアメリカで人気を得たのは果敢な打ち合いにも負けないフィジカルの強さによってボクシングスキルが活かされたという点だ。筋力と技術がかみ合う、その証明を果たしている。
ジムに大切に置かれている真っ赤なグローブ。
そこには中村の目指す「理想」が詰まっている。
肉体改造請負人 終
2020年7月公開