バーレーンはペルシャ湾に浮かぶバーレーン島を中心とした群島国家です。周辺のイスラム国家に比べると戒律が緩く、女性はヒジャブなどで顔を隠す必要はなく、街中でビールなどのアルコールが簡単に手に入ります。ショートステイならVISAは必要ないか、アライバルで簡単に取得できるため中東を周遊する旅行者が気軽に立ち寄るオアシスのような国です。隣国のサウジアラビアとはキング・ファド・コーズウェイという全長20キロ以上の橋で結ばれていて、週末になると白装束の男たちが高級車で乗り付けてお酒を楽しんだりしています。そいうい意味で、初めて中東を訪れる人にも優しい国だと知ったのはもう少し経ってからのことでした。
そんなことはつゆ知らず、未だに未知の国として戦々恐々としていた僕にはやらなければならないことがたくさんありました。まずは撮影許可を得ることです。国内であれば決められたフォーマットを取り寄せて、記入して所定の番号にファックスするのですが、今回の相手は海外です。まずはどこの誰に問い合わせれば良いのかさえ見当もつきません。これが日本代表絡みの試合であれば、日本サッカー協会の広報部に問い合わせることもできますが、それもできません。当時は今ほど人脈や経験もなかったので、途方に暮れるしかなく、早くもバーレーン行きを後悔したほどでした。
まずは国際サッカー連盟やアジアサッカー連盟のウェブサイトをチェック。当然ですが英語ばかりで目が滑ります。それでもそれっぽい番号とメールアドレスを見つけました。まずメールで申請先を尋ねてみよう。丸一日待ちましたが返事はありません。華麗にスルーされた! まぁ、想定内です。ここで手をこまねいている訳にはいきません。すぐさま二の矢を放ちました。申請書を自作してファックスすることにしたのです。ここでも新たな問題が発生。僕は国際電話をかけたことがありませんでした。なので、ファックスなんて送ったことがあるわけもありません。あ、国番号ですよね。うんうん。市外局番みたいなものですよね。はいはい。ピ、ポ、パ、ピ、、、、ピイイイイイイイルルルルルル、ガ、ガガガガガガー。どうやらファックスは送信されたようだ。ミッション完了っ。本当に届いたか心配することはやめました。そもそもその番号が正しい送り先かさえもわからないのですから。
当時はどれだけ多くの「地球の歩き方」を持てるかがステータスでした(自分調べ)
取材申請を終えた僕が次に着手したのは航空券と宿の手配です。航空券は大学の同期が某大手旅行代理店に勤めていたので、海外セクションの優秀な人材を紹介してもらいました。「バーレーンですか。はいはい、マナーマですね。関空からエミレーツですね」などなど、さすがに優秀です。スラスラと旅程を教えてくれます。実は最初は自分で問い合わせたのですが「バーレーンですか? えーっと、、少々お待ち下さい。ピロピロピロロ~(保留音)」という感じで不安が増幅しただけだったので、大学の同期を頼った経緯がありました。ただでさえ不安な海外旅行です。万全を期して準備にあたりたいものなのです。ちなみにこの方には出国当日、空港で搭乗するまでの手順を1から全部聞きながら手続きしたのは内緒です。
さぁ次は宿だ! 調子がでてきた! 当時はBooking.comがあったかどうかさえ定かではありませんが、僕にとっての情報源は地球の歩き方一択でした。息を切らして駆け込んだ書店でバーレーンを探します。バーレーン、バーレーン、バー、、、あれ? ないな、バーレーン、、。それもそのはず。小さな国が多い中東の湾岸地域は「ドバイとアラビア半島の国々」という括りで一冊になっていたのです。主にUAEが大きく取り上げられている一冊の中に申し訳程度に記載されていたバーレーンのページを開きます。国の情報や観光地をすっ飛ばし、宿情報をみるといくつか掲載されていました。その数はかなり少なく選択の余地はあまりありませんでしたが、その中から手頃な宿に目星をつけました。ただし予約しませんでした。いや、正確にはできなかったのです。国際電話って1分いくらなんだろうか、、という不安をかかえつつ、意を決して初国際電話に挑戦! 国内電話と異なる呼び出し音に緊張感が高まります。
ガチャ「ハ、ハロー。アイウッドゥライクトゥーメイクリザベーション、、、、」
慣れない英語でこちらの要望を伝えましたが、電話の向こうからは中東訛りのキツイ英語が返ってきます。「パ、パードゥン?」うおおおお、何言っているのか分からねー! 電話って難しい! 目の前にいればボディランゲージと筆談でどうにでもなるはずなのにっ!
「オゥ、オーケー、アイウィルコールアゲン!」ピッツーツーツー。
いくらかかった分かりませんが、国際電話代が無駄になったことだけは理解しました。「宿どうしようかなぁ、ふーーー」。この2、3日の激動がストレスになっていたのか疲れ果ててしまった僕は腹を括りました。ま、あとは現地でなんとかなるっしょ、と。
2020年3月掲載