千葉・柏市の旧水戸街道沿いに立つビルの2階に、そのボクシングジムはある。
日本プロボクシング協会加盟ジムのセレスボクシングスポーツジム。18年6月に同じ柏市内に移転してリニューアルオープンさせ、多くの練習生を抱えている。
眼鏡の奥にある目を光らせながら、熱心に指導しているのが会長を務める元WBA世界スーパーフライ級王者・セレス小林だ。2001年3月に日本人キラーとして恐れられたレオ・ガメス(ベネズエラ)をTKOで沈めて世界チャンピオンとなった〝記憶に残るボクサー〟であった。引退して03年にジムをオープンさせ、愛弟子の岩佐亮佑をIBF世界スーパーバンタム級王者に育て上げている。
セレスというリングネームは当時の勤務先から授かったもの。本名の小林昭司より、今なお「セレス会長」と呼ばれることも多い。
あるときはパンチミットでボクサーのパンチを受け、あるときはジムの会長室にこもってマッチメークなどのボクシング業務や事務作業、そしてあるときはジムを離れてスポンサー回り……。小林はボクシング会長であり、トレーナーであり、営業部長であり、事務員でありと一人何役もこなしている。
「仕事は大変ですよ。いっぱい人を雇えるほどの余裕もない。でもね、僕には夢があるんです。強いボクサーを育てて世界チャンピオンをつくりたいって」
ボクシングに魅せられた男は、そう言って言葉に力を込めた。
2003年11月のことだ。
引退後、所属する国際ボクシングジムでトレーナーを務めていた小林は長年の夢をかなえた。柏神社近くのビル1階に構えた真新しいジム。現役ラストマッチから1年半、31歳の若さで勝負に出たのだった。
小林は当時を振り返る。
「引退してまずは国際ジムに恩返しする意味もあって、トレーナーとして後輩たちの指導にあたりました。そのときにどう教えたら(人に)伝わりやすいかとか、セコンドの仕事はどうやればいいかとか学ぶことができた。現役時代から〝自分のジムを持ちたい〟と考えていたので、やるならやっぱり早くやりたいと思ったんです」
ボクシングジムを開設するのは簡単ではない。ジムの物件にかかる費用、設備投資、ランニングコストに加えてプロのボクサーを養成するなら日本プロボクシング協会に加盟しなくてはならない。ジムの設立者に王座の獲得経験がなければ1000万円を収める必要がある。世界王者経験者の加盟料は300万円と優遇されてはいるものの、それでも高額であることに間違いはない。
小林はジム設立のために貯めていた現役時代のファイトマネーを吐き出し、支援者の力も借りることで設立資金にはメドが立った。
難航したのが、ジムの場所。競合する他のボクシングジムがない地域を探した。一度、御徒町駅前の物件を候補に入れようとしたが、その理由で取り止めている。
小林の目に留まったのが「千葉の原宿」とも呼ばれる柏だった。40万人以上の人口を抱え、首都圏へのアクセスなど利便性もいい。柏レイソルのホームタウンとして知られ、スポーツへの理解もある。茨城出身の小林にとってはJR常磐線の乗り換えでよく柏駅を利用していたので親近感もあった。地方から東京に出て世界チャンピオンになった彼にとって、原点回帰の意味もあったのかもしれない。
「柏がいいなと思ったというよりも、ここでやっていくぞっていう思いでしたね」
だが、そうは問屋が卸さない。
いいと思った物件を見つけて不動産店に飛び込んでも、「ボクシングジムには貸せない」と断られるばかりであった。
「ビルのオーナーって60代、70代の人が多くて、そういう方はボクシングに対するイメージがあんまりよくないみたいなんです。不良がやるスポーツだとか、健全なスポーツと捉えていないようで門前払いにされることだってありました。困りましたよ、さすがに」
半年掛かっても、見つからなかった。
場所を変更しなきゃいけないのかとあきらめかけていたときに、ある物件からOKが出た。オーナーがボクシングファンで小林のことも知っていたため「ぜひ借りてほしい」と言ってくれたのだ。求めていた広さには足りなかったものの、JR柏駅から徒歩5分くらいと立地条件も良かった。小林はここでジムを開設することを決めた。
どんなジムをつくりたいか。
世界チャンピオンを育てるのが大きな夢。しかしプロ志望だけ集めても経営は回っていかない。ボクシングを通じた健康な体づくりを掲げて、女性や子どもたちも集めたいと考えた。
元世界チャンピオンという肩書きがあっても、具志堅用高や辰吉丈一郎ら人気ボクサーのような知名度はない。むしろ玄人受けする地味なチャンピオンであったことも十分に理解しているつもりだ。
ボクサーなら足で、行動で示すしかない。
ジムのオープンと併行して駅前でビラ配りを始め、興味を持ってくれた人を集めて説明会も開いた。ボクシングジムのイメージを変えようとした。明るく、楽しく、分かりやすく。その効果もあって、オープン2カ月で150人近く集まったという。
できる限りジムに出て、一般会員の指導に力を入れることにした。入っただけじゃダメで、満足してもらわなければならない。そのサービスを優先しなければならないと考えたからだ。
「一般の会員さんにとって何がボクシングジムの良さなのかと言われたら、ミットでパンチを受けてもらうことだと思うんです。自分のパンチを受けてもらうことで発散できたり、楽しいと感じることができますから。だから僕はなるべく一般会員さんのパンチを受けようと心掛けました。ほかの業務で無理なときは、ボクサー時代の後輩にアルバイトで頼んだりして。当時はコーチを一人雇えるほど余裕もない。当時は正月以外、休んだ記憶がないですね。自分で言うのも何ですけど、若いからあんなに頑張れたと思います」
一般会員を教え、プロ志望の選手たちを育てるトレーナー業をこなしながら、スポンサー回りや接待もある。新規スポンサーを獲得するために営業も出ていかなければならない。高熱が出て体調を崩しても点滴を打ってジムに出たこともあった。
忙しくて、大変で。
体力的にはきつく、経営における心配のタネも少なくない。それでも自分のボクシングジムを持てたという充実感のほうが広がっていた。
指導にも張りが出ていた。
オープンから数カ月後のことだった。ボクシング経験のない中学生がぶらりとジムに入ってきた。ちょっとした動きを見ただけで、「この子、面白いかも」と前のめりになる自分がいた。
女性も子どもも楽しめるボクシングジムを掲げたからこその出会い。柏にジムを開くことにこだわったからこその出会い。ちょっと教えるだけで、飲み込み早くやってのけてしまう抜群のボクシングセンスを秘める少年が、自分のもとにやってきたことに運命を感じずにはいられなかった。
この少年こそがのちに世界チャンピオンとなる岩佐亮佑であった――。
2024年3月再公開