試合さながらに、アナウンスには力がこもっていた。
9月某日、後楽園界隈で行なわれた〝150年に1人の天才〟大橋秀行とボクシング界のレジェンド、〝フィニート〟リカルド・ロペスのトークショー。JBC(一般財団法人日本ボクシングコミッション)に所属する冨樫光明リングアナウンサーは、いつもの正装で2人を舞台に呼び込んだ。
1971年生まれの冨樫は少年時代からのボクシングファン。1990年10月、2人が後楽園ホールで拳を交えたWBC世界ストロー級タイトルマッチ(ロペスの5回TKO勝利、王座奪取)の記憶は、今も鮮明に残っている。ロペスはそこから21度の防衛を果たす世界的名王者となり、ライトフライ級でも世界王座を獲得して無敗のまま現役を引退した。
冨樫が強く印象にあるのは、ラストマッチとなった2001年9月のゾラニ・ペテロとのIBF世界ライトフライ級タイトルマッチ(ロペスの8回KO勝ち、2度目の防衛)だ。ロペスのファイトそのものよりも、世界的な名リングアナ、ジミー・レノン・ジュニアの振る舞いだった。
「ジミーさんが、レフェリーのアーサー・マーカンテさんを紹介するときに〝この試合を最後に引退する〟と言ったんです。それを聞いて素晴らしいなって思いましたし、自分もちゃんとやりたいな、と。たとえばジャッジの金谷武明さんが最後の試合のときに、そういうふうに言わせてもらったんです」
80歳を過ぎてもレフェリーを務めたマーカンテへの敬意。ボクシングを支える裏方の人々にもきちんとリスペクトを持つことが伝統あるボクシングという競技の未来にもつながる。そういうリングアナでありたいと肝に銘じながら25年以上、この道をひたすら歩んできた。
トークショーで試合さながらに大橋氏、ロペス氏を呼び込む
リングアナの仕事と運命の出会いを果たしたのは1998年だった。
獨協大学を卒業後は雑誌の編集プロダクションで働いていた。あるときスポーツ紙に出ていたJBCの求人広告に目を留め、レフェリーやタイムキーパーなどもあったなかで敢えてリングアナウンサーに「とりあえず」応募してみた。
小学生のときに具志堅用高の試合を観てボクシングファンとなり、1986年に浜田剛史がレネ・アルレドンドに1回KO勝ちしてWBC世界ジュニアウエルター級王座を奪取した試合に熱狂した。
「浜田さんが世界チャンピオンになった日は自分の15歳の誕生日。だから凄く覚えていますね。自分への誕生日プレゼントくらいに思えましたから(笑)。浜田さんのドキュメンタリー番組を観て、拳を手術したことを知ったりして。そのころマイク・タイソンが話題に上がってきて、私も最初は地上波で海外のボクシングを観ていました。そしてWOWOWのエキサイトマッチが(1991年に)始まるわけです。そこで海外のリングアナウンサーがどんなふうにやっているのかって興味を持ちました」
JBCへの履歴書に書き込んだ志望動機が攻めていた。本場アメリカのリングアナウンサーは試合を盛り上げているのに、日本はそうじゃない、と。「かなり生意気」に書き連ね、かつ面接官はJBCの現役リングアナウンサーの2人だったこともあって不合格を覚悟した。しかし、蓋を開けたらサクラサク。10人以上いた志望者のなかから選ばれた1人となった。
大好きなボクシングに、裏方として参加できる喜び。すぐに研修が始まり、役員席に座ってラウンド間の経歴、戦績紹介を任されても格段、緊張することもなかった。
冨樫の記憶はおぼろげだが、実は1年間の研修期間中に〝リングアナデビュー〟を果たしている。当時はオール4回戦など1興行で15試合前後組み込まれることもあり、大先輩の山口勝治リングアナウンサーからその1試合を「誰かやってみるか?」と言われて、真っ先に手を挙げたのだった。リングに上がって、両コーナーの選手を無難に紹介できた。
「誰の試合だったかはまったく覚えていません(笑)。名前、所属ジム、体重、戦績を裏紙に書いて、山口さんのアナウンスを真似しました。緊張はなかったけど、やりにくいなって思いました。お客さんって、自分の前にいるだけじゃなく、後ろにも横にもいるわけなので。その感覚はかなり新鮮でした」
リングアナウンサーは「名誉職」のため、JBCに就職したわけではない。冨樫は編集プロダクションを辞めてブライダル会社で働き始めた。人前で喋る機会があることも、プラスだった。
研修を終えてライセンスを取得し、正式にデビューを果たした。生活はボクシングが中心。自分が担当する興行ではなくても、仕事が終わったらすぐ後楽園ホールに駆けつけて試合を見届けた。ほかのリングアナウンサーのやり方、ボクサーの情報、興行の雰囲気などを頭にインプットしていく。ボクシングそのものに対する知識を深め、見る目を養うとともに観客と同じ視点に立つことも心掛けた。
「興行が終わったら食事に誘ってくれる試合役員の先輩たちがいて、いろんな話をしてくれて勉強になりました。振り返ってもみても、あれだけ(後楽園に)よく通ったなって思います」
正式にデビューして以降、選手入場のコールから選手紹介、ラウンド間の選手紹介、勝者コールと一連の流れをソツなくこなしていくようになる。
リングアナの立場でもっとボクシングを盛り上げていきたい。そのために自分が考えたことを実践していきたい。冨樫が〝オレ流〟に動き始めていく――。
2024年10月11日公開