あるキッチンカーの前に、長身の見慣れた顔があった。
5月22日、町田ギオンスタジアムで開催されたYBCルヴァンカップ、FC町田ゼルビア-鹿島アントラーズ戦。試合開始の数時間前から準備に余念がなく、エプロン姿でせわしくなく動き回っていた。
彼の名は、「岡山劇場」で知られる元Jリーガー、岡山一成。
JFL時代の奈良クラブで契約満了になった2017年シーズンで選手としてひと区切りをつけ、指導者になってJFLのアトレチコ鈴鹿クラブ(当時は鈴鹿アンリミテッド)コーチ、関東サッカーリーグ1部VONDS市原監督、そしてJ2大分トリニータのコーチを務めてきた。昨季限りで大分のコーチを退任したものの、オファーがなかったことで現役時代に立ち上げた会社「mocidade(モシダーヂ、ポルトガル語で青春時代を意味)」でのキッチンカー事業に自らも加わるようになった。
「契約満了になって、(キッチンカーの前に)立つまでにいろんな葛藤もありました。指導者としてやってきて急にプツンと途絶えてしまうわけなんで。明るい性格やと思われがちですけど、そんことない。なんでやって、気持ち的に沈んでしまうことも少なくないんです。でも僕にはモシダーヂという自分の会社があって、キッチンカーでもお客さんから嬉しい反応をもらえる喜びがある。働けるって本当に幸せなこと。そう実感しています」
岡山は噛みしめるようにして言った。
ブラジルの特大ソーセージをのせた「横濱ブラドッグ」が目玉商品。店長から手ほどきを受け、自らキッチンにも立つ。昨年からJリーグの会場を巡るようになり、今年はキッチンカーを1台増やして、スタグル路線に力を入れていく構えだ。
会社を設立して17年。横浜市内にブラジル料理店「バハカォン」を経営する実業家の顔も持つ。知り合いのシェフ(後のバハカォン店長)がつくるブラジル料理にほれ込んだのがきっかけで、一緒に立ち上げたという次第だ。
契約満了になると、次のプレー先がなかなか見つからないことがあった。「バハカォン」で接客するなど働ける場所があったことで不安が消え、しっかりと個人トレーニングにも充てられて新たなクラブとの出会いもあった。基盤があったから、サッカーを続けたいとの思いが折れずに済んだ。
今も、近い将来のコーチ業復帰を目指して、サッカー界に目を向けていることに変わりはない。ただ、自分と同じ境遇にある選手、指導者が多いとも感じており、事業を通じて何かバックアップできないかという思いが強くなっているのも確かだ。
「プレーしたい意思はあっても、契約満了からオファーのない選手、指導者っているじゃないですか。僕もいっぱい経験してきました。サッカーでもらっていた報酬がゼロになるということは、イコール自分の価値もゼロだと思ってしまうから最初はなかなか受け入れがたい。でもそうは言っても、働いて稼いでいかないといけない。サッカーだけやってきて、アルバイトをしたことのない選手だっていると思うんです。だからウチの会社で、そういう人たちが働ける環境をつくれないかな、と。呼び込んでいくことはできないかな、と。働くこととか金銭感覚のこととか、自分の経験を伝えられると思うので。サッカーに戻る足掛かりにしてもらってもいいし、セカンドキャリアの一つのきっかけにしてもらってもいい。前を向くきっかけになればいいんじゃないかって」
やるべきことを見つけられたという思い。だからこそピッチから離れても、充実感に満ちている。
自分のチャレンジに何か意味を見いだすことで力にしてきた人でもある。
そもそもプロを目指したのも、初芝橋本高2年時に桐光学園の中村俊輔に出会い、「なんやコイツ、同じ年ちゃうやろ!」と技術レベルの差を痛感させられたことがきっかけ。大学進学の道を取りやめて横浜マリノスの門を叩き、テスト生からプロ契約を勝ち取っている。空中戦に滅法強いストライカーとしてデビューから3試合連続ゴールをしたまでは良かったものの、その後は激動だった。横浜で2年半プレーして大宮アルディージャ→マリノス(復帰)→セレッソ大阪→フロンターレ→アビスパ福岡→柏レイソル→ベガルタ仙台→浦項スティーラーズ→コンサドーレ札幌→奈良クラブと歩んできた。競り合いの強さを買われてディフェンダーにコンバートされ、40歳近くまで現役キャリアを続けている。ただ何歳になろうとも、どの場所でプレーしようとも胸にロマンを宿していた。
セレッソ大阪なら地元で活躍したいという夢、フロンターレやベガルタならJ1に引き上げたいという夢、レイソルならJ1で恩師・石崎信弘監督を男にしたいという夢……それぞれの地で自分がやるべき理由を見つけた。
「このチームでやります、というのは、逆に言ったら他のチームじゃないという選択をするわけやないですか。どうしてこのチームでやるのか。その理由を見つけて選択してきたつもりです」
「岡山劇場」なる言葉が生まれたのは、フロンターレ時代だった――。