スポーツ報知の旧社屋を眺めながら大井競馬場へ
さんぽの相棒、近藤俊哉カメラマンと待ち合わせたのは東京モノレールの浜松町駅。羽田空港と都心を結ぶこの交通機関はご存知の通り1964年の東京オリンピック開催に合わせて作られた。開業は9月26日。オリンピック開幕の23日前だった。ちなみに東海道新幹線の開業は10月1日というから、ともに開幕直前の完成だった。
東京の街並みを眼下に眺めながら、モノレールは南に下っていく。天王洲アイル駅の少し手前で、工事のために仮囲いされた建物を視界にとらえた。長身のタワーマンショに挟まれ、身を小さくするこのビルは去年まで「スポーツ報知」が社屋として使っていた。
東京モノレールから京浜運河を眺める
報知は前身となる「郵便報知新聞」の創刊が1982年(明治5年)という歴史ある新聞である。戦後、今にいたるスポーツ新聞のスタイルとなり、一貫してプロ野球、読売ジャイアンツの報道でファンの熱狂的な支持(あるいは反感!)を得ながら、スポーツ文化発展の一翼を担ってきた。
個人的に報知といえばジャイアンツではなく、今は亡きノンフィクション作家、佐瀬稔さんの古巣という印象が強い。佐瀬さんはボクシングの著作が多く、ワールド・ボクシング誌に連載された「感情的ボクシング論」は多くのボクシングファンに愛された。
かつて報知の記者に、「御社のあるあたりはけっこう地価も高いんじゃないですか?」と問いかけたら、「いや~、今はきれいになりましたけど、私が入社したころは何にもなくて、そこいらで野犬が吠えてましたよ!」と教えてもらい、ビックリしたことがある。時代は変わった。現在、スポーツ報知は両国国技館の近く、日本相撲協会所有のビルに移転している。
さて、天王洲アイルを過ぎると、その次の駅が大井競馬場前。モノレールを降りるとほのかな香りが鼻をついて、思わずニヤリとしてしまう。これぞ競馬場。大井競馬場の厩舎は駅のすぐそばにあるのだ。
大井競馬場前駅からさんぽはスタート
大井競馬場は特別区競馬組合というところが「東京シティ競馬」を実施している競馬場だ。JRA日本中央競馬会が開催している中央競馬に対し、こちらは地方競馬と呼ばれる。訪れた日は開催日ではなかったため、北門で記念撮影して訪問は終了。中に入れないので東京シティ競馬の公式ホームページをのぞいてみると、1950年開場の大井が由緒ある競馬場であることが分かった。
年表にいくつも出てくる「日本初」の文字が誇らしげだ。古い順に、ゴール写真判定装置の導入(50年)、枠別の帽色の採用、スターティングゲートの採用(53年)、パトロールフィルム制度の採用(55年)、外国女性騎手招待競走実施(78年)、夜間競馬を「トゥインクルレース」として開催(86年)、ワイド(拡大馬複)発売開始(99年)。これらすべてが日本初。トゥインクルレースの「真夏の夜の夢。」というキャッチフレーズを、なぜがよく覚えている。
さて、レースもできないので競馬場にさようならをしよう。再び大井競馬場前駅に戻り、今度は海のほうへ足を向ける。勝島橋で京浜運河を渡ると次なる目的地「大井ふ頭中央海浜公園スポーツの森」のお出ましだ。
ホッケーの聖地を訪れる
スポーツの森というだけあって広大な公園の中には数々のスポーツ施設がそろっている。中でも野球場6面というのはすごい。訪れたのが平日の昼とあってか人影は少なく、白球を追いかける野球好きの姿も見られず、ちょっと「もったいないな」と思ってしまった。
公園の中央に位置する大井ホッケー場は東京オリンピックの会場となったホッケーの聖地である。聖地巡礼はしぶさんぽの大好物。何かオリンピックをアピールするモニュメントでも建っているのかと想像していたら、オリンピック会場だったことを示す小さなパネルがひっそりと掲げられていた。よく考えてみれば、これくらい控えめのほうがいいのかもしれない。
オリンピック会場であることを伝えるパネル
大井ホッケー場は東京2020のために作られた2600人収容のスタンドを備えたメインピッチと、既存施設を改修した500人観戦可能はサブピッチの2つがある。オリンピックでは仮設スタンドを含めて1万5000人のファンを迎え入れる予定だったが、コロナで無観客開催となったのは記憶に新しいところ。鮮やかなブルーのピッチとスタンドを見ていると「お客さんの前でやらしてあげたかったな~」という思いがわいてきた。
東京オリンピックの結果をおさらいしておこう。日本代表男子“サムライジャパン”が予選リーグ5戦4敗1分、日本代表女子“さくらジャパン”は5戦全敗。ともに予選リーグ敗退で、全12チーム中11位という結果に終わった。
調べてみると男子は1932年のロサンゼルス大会で銀メダルに輝いた栄光の歴史がある。東京2020への出場は68年のメキシコ大会以来、実に13大会ぶりのオリンピックだったというから挑戦は始まったばかりだ。
女子は初出場した2004年アテネ大会から5大会連続でオリンピックに出場しており、アテネの8位が過去最高の成績。東京の11位はさぞ不本意だったに違いなく、パリ2024で巻き返そうと燃えていることだろう。
ブルーのピッチが鮮やかな大井ホッケー場
大井ホッケー場は普段、国内最高峰の日本リーグのメイン会場として使用されている。リーグ戦は、男子が1部のH1と2部のH2にそれぞれ8チーム、女子は10チームで構成。4月から11月にかけて開催された2023年シーズンは男子が岐阜朝日クラブBLUE DEVILS、女子はコカ・コーラレッドスパークスが優勝を飾った。
日本ホッケー協会のホームページを見ると、「ホッケーの歴史は古代エジプトにまで遡ります」と涼しい顔で書いてある。う~ん、ホッケーはなかなか奥が深そうだ。私はホッケーの取材歴もなければ観戦歴もない。来年はぜひホッケー観戦をしようと決意した聖地巡礼となった。
ホッケー場に背を向けると、野球場のダイヤモンドをグラウンド整備車両がならしていた。さあ、もう少し歩こう。私たちは南に足を進めた。