元東洋太平洋スーパーバンタム級王者 勅使河原弘晶が寿司職人を目指す
ボクシングの元WBOアジアパシフィック・バンタム級、WBO東洋太平洋スーパーバンタム級王者、テッシーこと勅使河原弘晶に会ったのは2023年2月6日のことだった。ラストファイトとなった米カリフォルニア州のIBFスーパーバンタム級挑戦者決定戦から1年あまり。聞くと、引退後しばしの休養をへて、ちょうど寿司職人になるための準備を始めるところだという。
プランは1年修行して技術を身につけ、ボクサー時代に応援してくれていた会社社長がマレーシアに開く寿司屋で店長を務めるというもの。現役時代、飲食店でアルバイトしていた経験を生かし、本格的に飲食業に進出する。そんな元ボクサーは確かに多い。ところが勅使河原は明るい表情で「料理? したことないんですよ」と笑うのだから驚いた。
大丈夫か、テッシー! こちらの心配をよそに勅使河原は「あさってから寿司屋で働くんです。修行が始まります。寿司屋ですから、気合いを入れて坊主にします!」とどこまでも明るい。修行先は社長の紹介で銀座の高級店『鮨 さえ㐂』。VIPもよく訪れるという名店である。
再開を約束してから4カ月後、あらためて話を聞かせてもらおうと、恵比寿で待ち合わせた。わずか数ヶ月だというのに、勅使河原は体がひと回り大きくなった印象で、それは時間を見つけて筋トレに励んでいるからだという。「ゴツくなったね」と声をかけると、「でも、修行を始めたことは体重が減っちゃったんですよ」と意外な答え。寿司職人になるための修行の日々はやはり楽ではなかったのだ――。
「朝9時に出勤して終電まで仕事です。開店は18時なんですけど、それまで延々と仕込みをします。最初は洗い物、だんだん野菜を切るとか、少しずついろいろな仕事を任されるようになりました。でも、料理をまったくしたことがないから、まあ仕事が遅い。それで周りにも迷惑かけて、最初の2日は終電に間に合わなくて、1日目はレンタルサイクルで、2日目はタクシーで家まで帰りました」
料理のことを何も知らない人間が厨房に入れば、現場の混乱は容易に想像できる。仕事が遅いから休憩は取れず、従って昼食を摂る時間もない。痩せてしまったのはそのためだ。こんな調子で、現場では怒られてばかりいた。
「そうですね、仕込みは2人でやるんですけど、僕の仕事が遅いし、僕に教えなくちゃいけない分、その人の仕事も遅れる。最初は道具の名前すら分からないですから。『ささら取って』とか『バット取って』とかわけが分からない。魚の名前も知りません。キレられるのも無理はありません(笑)。でも、ボクシングに比べたら楽。ボクシングより厳しいものはないと思っているので」
とはいえ睡眠時間が取れないのは正直きつかった。銀座の店から終電で北千住の自宅に戻り、また朝出勤するとなると睡眠時間は3時間程度だ。勅使河原は自称「ロングスリーパー」。睡眠不足から「寝たい、寝たい」と思いながら仕事を続け、唯一の休日である日曜日にたっぷり寝る幸せを味わった。
「寝られることがこれだけ幸せなことなのか、と感じることができました。あとは食べられることも。最初のうちは仕事が遅くて食事の時間も摂れなかったので。食事ができるだけでもうれしい。なんていうか、幸せの基準がすごく下がりました」
飲食人大学の授業で寿司を握る=本人提供
4カ月仕事をしてだいぶいろいろなことができるようになった。とはいえそこは高級店。魚をさばかせてはもらえないし、寿司を握るなどもってのほかだ。これでは1年で寿司職人になれないではないか。そこで勅使河原は4月から「飲食人大学」という短期集中の料理学校に通った。学校のキャッチフレーズは「3カ月で未経験からプロの料理人になる」。前出の会社社長が大学の経営者と知り合いという縁があった。
「飲食人大学では、出しの取り方から寿司の握り方まで、すべてを3カ月に全部ぶちこんでます。すごいですよね。未経験者が多くて、僕は特に器用というわけじゃないけど、卵焼きだけは一番うまいです(笑)」
話を聞いたのは3カ月のコースが終わりに近づいていたころ。この段階ではゲストに料理を出すというスパーリングさながらの“実戦練習”に入っていた。
「自分でメニューを考えてゲストに出す。僕の場合なら、とうもろこしの摺り流し、じゅんさいのジュレ、たこの煮物、魚の塩焼き、それに寿司10貫とかですね。レシピを見ながら作るものもあってまだ全然ですけど、2月に修行を始めたころに比べれば急減にレベルアップしていると思います」
修行を初めて4カ月。あらためて寿司職人を目指した理由を聞いてみた。勅使河原は真面目な顔でこう答えた。
「海外に行くこと、寿司を握ること、どちらも僕にとってはすごくハードルが高かった。海外で働いたこともなければ英語もしゃべれない。飲食で働いた経験もなければ料理さえしたことがない。でも、だからこそ魅力だと思ったんです。32歳でボクシングを辞めた自分が挑戦していく過程をみんなに見てもらいたい。やれば何でもできることをみんなに伝えたい。それが僕のモットー。僕みたいな人間でもできるんだ、ということを伝えたい」
プロボクサーとして東洋太平洋チャンピオンのベルトを手にしたテッシーは、ボクシングを始めるまでは恵まれない、日の当たらない人生を歩んでいた。「僕みたいな人間」とはいったいどんな人間なのだろうか――。