採点の発表が先か、それとも勝者コールが先か。
判定になった場合、リングアナウンサーにとって見せ場の一つになることは言うまでもない。かつて日本のボクシング界は勝者コールを先にしていたが、冨樫光明は本場アメリカにならってその順番を入れ替えている。JBCとして決められていたものではなかったため、敢えてやってみることにした。
「アメリカのボクシングを観ても、やっぱりそこが盛り上がるじゃないですか。ユナニマスデシジョン(3-0)か、マジョリティデシジョン(2-0)か、スプリットデシジョン(2―1)かって。名リングアナウンサーのジミー・レノン・ジュニアさん、マイケル・バッファーさんらが読み上げるのを目にして、日本でもやってみたい、と。最初に勝者コールがあると歓声で採点が聞き取れないというのもありましたから。採点の発表を先にやったことで、周りから〝やめたほうがいい〟とか結構言われて。でもやり続けていったら反応も変わってきて定着していくようになったんです」
慣例に従わず、変化をもたらそうとすると多少なりとも反発はあるものだ。それでも「こっちのほうが盛り上がる」と冨樫は信じて疑わなかった。
盛り上げる役割はもちろんのこと、何か事象が起こった場合の説明する任も担う。
たとえば一方の選手が試合中にカットした場合、相手の有効打によるものか、それとも偶然のバッティングによるものかをアナウンスしている。
そのきっかけとなったのが〝平成のKOキング〟こと坂本博之が2000年3月にWBA世界ライト級王者ヒルベルト・セラノに挑戦した試合だという。坂本はアッパーを浴びて右目上をカットし、5回TKOで敗れている。当時は説明の場内アナウンスがなかったそうで、この試合を機に「あったほうがいい」となった。
冨樫にとって坂本は思い入れの強いボクサーだ。
ラストマッチとなったのが2007年1月のカノーンスック・シットジャープライ戦。ゴング前、リング上での坂本に対する紹介は何と1分35秒にも及ぶ長口上だった。クライマックスとなった終盤を抜粋しよう。
<平成のKOキングと呼ばれ、今となっては世界の肩書きも不要と思われるほど、もっとも多くの人々の思いを背負った伝説的ボクサーがラストファイトに選んだこの47戦目。本日この聖地と呼ばれる後楽園ホールにご来場のボクシングファンのみなさま、そしてメディアのみなさまもこの一時、ペンとカメラを置き最大級の賛辞をお願いいたします。第44代日本ライト級、第34代東洋太平洋級ライト級チャンピオン~、不動心、さかもと~ひろゆき~!>
それはその場にいたすべての人の感情を揺さぶるような魂のアナウンスだった。後楽園ホールが拍手と歓声に包まれた。普段は選手紹介の練習をやらない。しかしこのときばかりはリハーサルをしたという。
「日テレの中継でした。坂本さんに長いリングアナウンスをしたいので、先に青コーナーの対戦相手を先に紹介したいとお願いしたら、それで構いません、と。メモに凄く書きましたし、間違っちゃいけないのでちゃんと練習しましたね」
文章を書くのは嫌いではなかった。大学卒業後、編集プロダクションで働いていたことが活きたという。冨樫が言葉をつなぐ。
「カタログ1冊分のコピーライティングをやっていました。見開きに20品、30品くらいあるページもあって、それを約300ページ……1000本ノックを受けているような感覚で(笑)。今思えば、書くことは相当鍛えられましたし、リングアナウンサーでも活きているなって思います」
リングアナウンスに使う情報はノートに書き込んでいる
ボクサーに対するリスペクトが、そこにはにじみ出ていた。ほかにも冨樫の〝熱いアナウンス〟でよく知られる試合がある。
2018年3月、東京・両国国技館で行なわれた山中慎介とルイス・ネリのWBC世界バンタム級タイトルマッチだ。前年8月の試合はネリが4回TKO勝ちで王座を奪取しながらも、後にドーピング違反が発覚。しかしネリへのお咎めはないまま、ダイレクトリマッチが決定したという流れだった。今度は試合の前日計量でネリが2・3㎏もオーバーし、2時間後の再計量でも1・3㎏オーバー。ネリの王座ははく奪され、山中がプライドを持って守ってきたWBCバンタムのタイトルは泥を塗られた形となった。
冨樫はリング上で、まくし立てるようにこう語っている。
<いまだ多くの人々がこの階級の真の王者と信じる我が国が誇るプロボクサー><敗戦は議論の余地がおおいにある前戦の1敗のみ>と山中に肩入れするようなアナウンス。一方ネリには<いまだ無敗も昨日その王座を計量器の上ではく奪された>と述べている。その瞬間、会場にブーイングが飛び交った。
「山中選手への肩入れですか? それはやっぱりありましたよ。ネリ選手はドーピング検査で陽性になるわ、計量オーバーをやるわで、これで山中選手が負けてしまったら神も仏もないなって思いましたから。2ラウンドで試合が終わったとき、両国がシーンとしずまりかえった。ネリ選手への勝者コールでリングに上がる際、足が重かったですね。暗澹たる思いで帰路につきました」
引退した山中のレコードは、27勝(19KO)2敗2分け。だが冨樫は井上尚弥の世界戦で来場した山中を〝いまだ無敗のチャンピオン〟と紹介している。間違いなどではなく、リスペクトをこめて意図的に。ドーピング検査の陽性反応を示した第1戦と、大幅な体重オーバーによる第2戦は、冨樫のなかではカウントされていない。山中はこの冨樫のコールを、とても感謝していた。
リスペクトはボクシングファンにも、ボクサーにも、そして裏方に回って支える人たちにも。冨樫はジャッジ3人とレフェリーをきちんとフルネームで消化し、レフェリーには名前を呼ぶ前に「この試合をストップする唯一の権限を持つレフェリーは」と前置きを必ず入れるようにしている。
「実は1998年の公募で、本当はレフェリーかジャッジを考えたんです。でもボクシング経験者とか、ボクシングに対する深い見識がある人ばかりだろうと思ってリングアナウンサーにしました。今こうやって25年以上、ボクシングに携わっていますけど、レフェリーなんて100点の仕事をして当たり前。80点でも批判される。ジャッジも含めてみんなプライドを持ってやっているので、フルネームで紹介したいじゃないですか」
冨樫は老若男女が楽しむエアボクシングのリングアナウンサーも務めている。プロではない人たちが、自分のコールをしてもらえるのだからたまらない。「こういうふうに言ってください」などとリクエストされることもあるとか。
「ボクシングをやっている人って、みんな一生懸命なんですよね。だから私としても盛り上げていきたいなっていう思いがあります。子供のころにエアボクシングから始めて、今プロボクサーになっている人も結構います。感慨深いですよね」
53歳、リングアナとしてのキャリアを積んできても、まだまだ成長できるという思いは強い。
冨樫は言う。
「過去の自分のアナウンスを目にすると、下手だなって感じます。日々、ちょっとずつだけど進化しているんじゃないかって。声の出し方とか言い回しとか本当に細かいところ。これからもそういったところにこだわっていきたいですね」
奥深いリングアナウンサーの世界。
冨樫光明はきょうもビシッと着込んでリングに立つ。
(終わり)
2024年10月11日公開