川崎フロンターレが黄金時代を迎える随分前の2002年、等々力競技場は閑古鳥が鳴いていた。
岡山一成はこう振り返る。
「商店街でサイン会をやっても選手が4人いるのに、子供たち3人しか来んかった。その子らのノートにサインして終わったら、またその子らの筆箱にサインして……しまいには僕らのこと可哀想と思ったんか、同級生や歩いているおばちゃんをつかまえて『サインもらってあげてよ』って。商店街を歩いても、フロンターレのポスターが1枚もあらへん。これはアカンぞって思ったんです」
ディフェンダーとしてコンスタントに出場していた彼はすぐに行動に移した。ある種、使命感がそうさせた。
「サポーターが点々としているから余計スカスカに見える。だから試合前のウォーミングアップで、お客さんをもっと一カ所(スタジアムのGゾーン)に近づけようと思って『こっち寄ってください』ってお願いしたんです」
それでも思うようにいかなかったため、勝利した試合の後はサポーターを集めながら「おもしろいことをちょっとずつ」サポーターと一緒になって喜びを分かち合うようなる。にぎやかな恒例行事がいつしか「岡山劇場」と呼ばれるようになり、フロンターレの発展に尽力したレジェンドの一人となる。移籍した柏レイソルやベガルタ仙台でもお馴染みの光景になり、ファン、サポーターから愛される存在となったのは言うまでもない。
フロンターレで3シーズンプレーした後も岡山はクラブを転々とする。2012年シーズン限りでコンサドーレ札幌から契約満了となると、30代半ばを迎えて現役引退を考えるようになる。愛妻との間に待望の第一子が誕生したこともあり、サッカーから家族中心の生活に切り替えたいとの思いが強くなっていた。当時地域リーグ関西1部だった奈良クラブ(現在はJ3)からオファーを受けるも断っている。
だが、急性心筋梗塞で亡くなった先輩、松田直樹を偲ぶメモリアルゲームに参加したことが引退を踏みとどまるきっかけとなる。松田がプレーした松本山雅(当時JFL、現在はJ3)のホームスタジアム、アルウィンのピッチに自分も立ち、スタンドと一体となれるスタジアムでJリーグに引き上げるという純粋なロマンを感じ取った。
やりたいことが見つかった。
「僕ね、松田直樹に導かれたんすよ。僕はマツくんの下でやってきましたから、JFLよりも下から始めようと思ったんです」
あらためて奈良クラブに連絡を取り、入団の意思を伝えた。そこから5年、自分の在籍時にJリーグ昇格の目標は達成できなかったものの、すべてを注ぐことができた充足感はあった、
「楽しかったですよ。Jリーグと比べたら下手やし、みんな働きながらサッカーをやらなきゃいけない環境やけど、誰もが情熱あるんですよ。みんな夢があるんですよ。そんなみんなとね、サッカーをやれたのがうれしかった。楽しかった。地域リーグとJFLを戦えて、夢のような体験を送ることができましたから」
自分がプレーする意味を見つけ、そして自分らしい爪痕を残す。そうやって彼は現役生活を送ってきた。もちろんサッカーの指導者になってからも、誠心誠意やってきたつもりである。ただ、今回、指導者としてのオファーがなかったということは、自分に何かが足りない。岡山はそのように捉えている。一度ピッチから離れて自分が立ち上げた「モシダーヂ」の社長としてキッチンカーを含めて事業をうまく展開していくことが、ひいては指導者にも活きるはずだと捉えている。
「サッカー選手は自分のプレーをまずやらなきゃいけない。でも指導者は、周りをうまく動かすことを考えなきゃいけない。そのためには人間的にひと回りの成長が必要やな、と。アルバイトの人にも手伝ってもらいながら(組織を)回していくことも、そういった勉強になるのかなと思います」
岡山は自分に言い聞かせるように言った。
ここが頑張りどころだ。家族の存在が大きなモチベーションとなっていることは言うまでもない。妻にも、今年小学6年生になった娘にも迷惑を掛けてきたという思いがある。
「奥さんに対してもそうですけど、娘に対しても、(指導者として)チームを転々として、3回も転校させていますから。指導者で結果を出していたら、もっとその場所にいれたはず。でもそれができなかったわけなので……。せっかく友達になった子と別れなきゃいけなくなることもあったし、辛い思いもさせてきました。自分も奥さんも地元は大阪なんで、別に僕だけ単身赴任で行ってもいい。でも家族一緒がいいからと、妻も娘もついてきてくれました。凄く感謝もしていますし、申し訳なかったな、と。
今回、キッチンカーをしっかりやっていきたいと話をしたら2人とも〝頑張って。応援するよ〟と言ってくれています。拠点に置く大阪と関東を行ったり来たりではありますけど、好きなことをやらせてもらっているわけですから、家族のためにも頑張らないといけません!」
人生そのものが岡山劇場。
目の前のことを、一生懸命に。そして胸にロマンを持って。ずっと変わらない岡山一成がいる――。