さすがのマムシも焦っていた。
ガンバ大阪から契約非更新を告げられ、2017年シーズンの〝就職先〟が一向に決まらない。12月になっても1月になっても、どこからも声が掛からない状況が続いていた。
そんな折、J1のヴァンフォーレ甲府から「キャンプへの練習参加なら来てもらっていいぞ」と誘いを受けた。つまり練習での内容次第では獲得を検討するというわけである。
練習参加のオファーは嬉しい一方で、抵抗がないわけではない。
曲がりなりにもJ1でここまで159試合に出場しており、練習生扱いに反発したい気持ちもあったからだ。しかしここで気づかされた。そのプライドこそが、もう邪魔なんじゃないか、と。
吹っ切れた。いや、吹っ切れるしかなかった。
練習に呼んでくれた吉田達磨監督からはこう言われたそうだ。
「お前の良くない噂も聞いている。でも俺は自分の目を信じて判断するから、気にせずにやってくれ」
F・マリノスやガンバで試合に出られなくなると、ちょっと不貞腐れた態度を取っていたなどという噂が出回っていた。サッカーに対して真摯に向き合ってきたつもり。多少なりとも感情が出てしまったことはあっても、不貞腐れたつもりなどない。とはいえ、そう見えたとしたら、結局は自分の責任だ。初心に戻りつつ、いつものように100%の自分を出し切れば契約を勝ち取れなかったとしても納得できる。小椋はそう結論づけた。
ヴァンフォーレの静岡合宿で、ありったけのマムシっぷりを発揮した。プレーすることが楽しいと感じることができた。
「トップチームでみんなと一緒に練習できることが新鮮でした。当たり前じゃなかったことが当たり前になった。それが幸せでした」
待っていたのは契約のオファー。しぶとく食らいつくマムシの本領発揮は、これからだった。
購入したキッチンカー。オシャレだ
甲府はそのシーズン、残留争いを抜け出せずにJ2に降格してしまう。主力を担った小椋は体を張ってきたものの、チームを救うことはできなかった。恩返しの意味でも再びJ1に引き上げるという目標が彼のなかに生まれた。
だが自分を拾ってくれた吉田監督は18年シーズン途中に成績不振で契約解除となる。小椋自身も左腓骨骨折で全治3カ月のケガを負って離脱したため、その責任を感じていた。シーズンが終わった後、本人に連絡を入れている。恩を返せなかったことが悔しくてたまらなかった。
「自分のせいです。すみません」
短い言葉で伝えると、こう返ってきた。
「もちろんお前のせいなんかじゃないし、仕方のないことだよ。これからも頑張ってくれよ」
そう言って、逆に励ましてくれた。彼は声の主に向けて頭を下げていた。
2019年シーズン、小椋はヴァンフォーレの中核として働きまくった。
円熟のプレーは実に奥深い。スライディングタックルも、突いたボールがパスになるように計算する。なるべくタッチに逃げず、マムシのキバが攻撃の切り替えをスムーズにさせていた。
「俺はやっぱり闘うことしかできないんで、その姿勢だけは見せなきゃいけない。ボールを奪うところは、誰にも負けない自分の武器。(河合)竜二さんが言っていたように『やれることはやれる人がやって、やれないことを周りがカバーすればいい』と思うんです。前の選手は点を取るところに集中してもらって、彼らの守備の負担のところは周りが少しでもカバーできればいい、と。
試合が出ることは当たり前じゃない。そう自分に言い聞かせる意味でも、苦しかったときのことを思い出すようにはしています。ガンバ時代も自分を成長させてくれた経験です」
体を寄せ、食らいついて奪い取る。そこに経験値が重なって、チームのバランスを見ながら気の利いたポジションを取る。ボールを略奪しつつ、攻撃陣につなげつつ、バランスを見つつ。それだけではない。伊藤彰監督のもと、若い選手にハッパを掛けながら、ベテランらしく周囲を盛り立てる役目も果たしていた。
だが待っていたのは、非情の通告だった。
「確か最終戦の3日前くらいだったと思います。来年の契約のことで選手が順番に呼ばれて、次に自分の番になって。それでも試合には出ていて、プレー的にもまだまだやれると思っていたので、クビを切られるとかはまったく想定していなかったんです。そうしたら〝若返りをしなきゃいけないタイミングになる〟と言われて、何か怪しくなってきたなと思っていたら、契約を更新しないと言われて……。そりゃあもう頭が真っ白になりましたよ」
心の動揺をピッチには持ち込むことはしない。チームはJ1参入プレーオフに進出し、1回戦で徳島ヴォルティス戦との対戦になった。小椋はいつものように先発フル出場を果たしたものの、1-1で規定によって敗北が決まった。これがヴァンフォーレでの最後の試合となってしまった。
「今年でいなくなるのに、監督は先発で使ってくれましたし、何よりプレーオフで勝ち進んでJ1に行って、チームを去れたらかっこいいなと思って。いつも以上に気合いは入っていたんですけど……」
引退とは考えていなかった。少なくともオファーが来ると信じていたからだ。しかしJ3の2クラブから声は掛かったものの、J2のクラブからはまったく誘いがない。年が明けるタイミングでスパイクを脱ぐとスパッと決めた。
「逆に吹っ切れましたね。あれだけ試合に出て、声が掛からないんだから。J3からのオファーは有難かったんですけど、ガンバ時代にJ3を経験していて1年間、そこでやっていけるだけのモチベーションが保てるかどうか自信がなかった。もう次に進むときだなって」
関係者をはじめ挨拶を済ませた後で1月22日にブログで引退を報告。16年間のプロキャリアに終止符を打ち、事業家への転身を決めた。
天然氷に魅せられた小椋の毎日は忙しい。
昨年7月に甲府で「甘味処・天然氷 若義」をオープンさせ、多くの人に知ってもらうために冬でもかき氷を提供した。くだもの、つぶあん、黒蜜など一つひとつの材料にこだわり、元Jリーガーがやっているとあって地元のテレビからも紹介されるまでになった。キッチンカーも購入し、事業の拡大に動いている。
「多いときで大体1日60~70杯つくります。1人でつくるなら100杯ほどで限界。1杯つくるのに3~4分は掛かりますから。一人でやっていくのも限界が出てきたので、誰か一緒にやってくれたら。セカンドキャリアで興味を持っている選手もいるし、将来的には広げていけたらいいなって」
自分のためだけのチャレンジではない。彼はこんな未来を描く。
「Jリーガーが現役を辞める際に、選択肢の一つになればいいと思っているんです。自分で考えて事業を立ち上げる人もいるんだなって。今は指導者とか、サッカー関連の仕事とか選択肢が多くないとは感じているので」
セカンドキャリアの現状にも食らいつく。なるほど小椋祥平らしい。
以前、愛息2人にこう尋ねられたそうだ。
「おとうさんは、どうしてマムシって言われているの?」
父はこう答えた。
「ガツガツと守備をするところを応援してくれる人たちがそう名づけてくれたんだよ」
ふーん、と子供たち。
ハハハ、とマムシ。
いつかきっと、必ずやきっと彼らにも分かるはず。サッカーにおいても人生においても、自分が思う道をガツガツと進み、食らいつく小椋祥平の生き様がいかに野太く、味わい深いかを――。
2023年9月公開
(終わり)