契約非更新。
契約満了に伴い、クラブとの契約を新たに更新しないことを意味する。簡単に言えば、クビである。小椋祥平は2014年シーズン限りで、その旨を伝えられた。
リーグ戦にも19試合に出場していただけに、予期していなかった。シビアな世界だと分かっていたつもりだが、初めて受けたクビの通告はあまりのショックで声も出なかったという。
まだ29歳。落ち込んでいる暇などなかった。この状況に食らいついてこそのマムシである。
いくつかオファーが舞い込んできたなかで、J2を制してJ1復帰1年目で3冠を達成したガンバ大阪に行くことを決断する。
ボランチには遠藤保仁、今野泰幸、明神智和と経験豊富な選手がそろっていた。「マリノスに勝ちたい」その思いがガンバを選ばせた。
ACLではすぐにチャンスを得る。グループリーグ初戦の広州富力戦(2月24日)、2戦目の城南戦(3月3日)と続けて先発したが、前半でリードされたこともあっていずれもハーフタイムで交代させられた。
長谷川健太監督から「悪いから代えたわけじゃない」と説明を受けてはいたものの、まだまだ信頼されていないと感じた。焦りはあった。
リーグ戦では5月2日の浦和レッズ戦で初先発したくらいで、F・マリノスと同様、終盤にクローザーとして起用されることが多かった。それでも新天地でもらう刺激も多く、モチベーションは高かった。
自分を戦力外にした古巣との対決が待っていた。
5月30日、慣れ親しんだ日産スタジアムでの一戦。今野が出場停止で、明神もケガ明け。ここは自分しかないと決め込んだ。いつも以上に気合いを入れて練習に臨んでいた。
だが主力組に入ったのは明神のほう。このとき練習で「はじめて態度に出してしまった」という。長谷川監督から「お前大丈夫か?」と声を掛けられ「大丈夫です」と応じたものの、納得できていない態度を隠し切れてはいなかった。
横浜に移動して、指揮官には「さきほどの態度はすみませんでした」と直接謝った。長谷川監督も「わかった」と納得してくれた。古巣との試合では後半途中から出場。1-0で負けていたが、最後の最後にパトリックのゴールで追いついている。
ベンチには入っていてもなかなか出場できない現実があった。もどかしかった。夏にモンテディオ山形からレンタルのオファーが届くと、試合に出たいという一心から移籍を認めてもらった。じっくりとガンバで勝負するという思いより、試合に出ることが優先になっていた。
山形ではポジションを勝ち取ることができたものの、セカンドステージではわずか勝ち点10しか積み上げられずに、チームは最下位でJ2降格の憂き目に遭う。
ガンバに戻るつもりはなかった。自らの希望でレンタルオファーに飛びついた以上、環境を変えるのが一番だと思っていた。契約はあと1年残っていたが、ガンバ側も移籍を了承していた。つまり、戦力とは考えていないと小椋も受け取っていた。とはいえ、どこからもオファーはなかった。残るしか道はなかったのだ。
ガンバに戻っても自分の居場所はなかった。19歳の井手口陽介の台頭などもあって、ベンチ入りすら難しい状況だった。主戦場はJ3に初参入するU-23チームとなる。チームの決まりによって、練習もそちらのほうに参加しなければならなかった。
小椋はフーッと大きく息を吐いて、苦悩の時代の記憶を呼び起こす。
「トップチームの練習が午前でU-23が午後。トップの選手と普段、顔を合わせる機会も少なくなって、たまにヤットさん(遠藤)に会うと『オグ、元気か?』って声を掛けてくれて。トップの紅白戦があるときはU-23からも呼ばれるんですけど、(U-23の練習のほうに)残ると5、6人くらいで練習しなきゃいけなくて、人数少ないからやれる練習も限られてくる。試合もケガ明けのトップの選手がU-23の試合で調整してから戻っていくので、出られなくなる。〝俺、何のために練習しているんだろう〟って思ったこともありますよ。でもこれが現実だから受け止めなきゃいけなかった。
U-23のチームも、ここで結果を残してトップに行きたいから若い選手はどうしても自分勝手なプレーに走りがち。それでもオーバーエイジの自分がしっかりやらないと若いヤツに示しがつかない。これほどつらいと思ったことはありませんでした」
ストレスが溜まって10円玉ほどの円形脱毛症を引き起こしていたという。支えになったのが家族だった。妻と幼稚園に通う活発な2人の息子たち。一緒にいることがストレスをやわらげてくれた。
「すごくいい幼稚園で、年少の下の子はほぼ毎日と言っていいくらい、参観していい何かしらの行事があったんです。午前中は妻と2人で幼稚園に行って、終わったら妻とランチして『じゃあ、練習に行ってくるよ』という感じで。家のことは妻に任せていたし、自分のストレスが分かったのか、家ではサッカーの話を持ち出さなくて良かった。なるべくサッカーのことを考えないようにしてくれたんだと思います」
サッカーで一番感じた疎外感を、家族みんなで救ってくれた。口には出さなかったが心から感謝していた。
契約延長オファーは当然なく、16年シーズン限りで横浜時代に続いて2度目の契約非更新を伝えられる。
引退するつもりはなかった。
大きなケガもないし、体もまだまだ動く。キバを抜かれたマムシで終わりたくはなかった。支えてくれる家族のためにも、絶対にもうひと花咲かさなければならなかった。
マムシの闘志に火がついた。
2023年9月公開